三島神社宮司と巡る、良い”気”に浸れるディープスポット(松山・久谷)
愛媛・松山の魅力を発信する「松山ローカルエディターズ」の今回のテーマは、松山市の久谷エリア。松山ローカルエディターズ編集長自ら、スピリチュアルな魅力を探りたいということで、白羽の矢が立ったのが、久谷エリアの三島神社(愛媛県松山市東方町)の宮司・権名津朗さん。
座談会で語られた久谷のまとめ記事はこちら▽
まずは、マダムロミさんの拠点、ポタジェガーデンで、顔合わせ。緑に囲まれたこのポタジェガーデンも、お客様から「良い気を感じる」と言われることがよくあるそう。
ロミさんのハーブティーをいただきながら、話が進む。権名津さんは、三島神社の宮司であるが、人が足りない他の神社の宮司も兼任している。連綿とその土地に続いてきた文化を次に繋いでいきたいという、地域への想いは熱い。
そんな権名津さんでも、お客さんに久谷を案内するならばと聞くと、答えに詰まっていた。地元の人がそうは思っても何かあるはず、ということで、権名津さんの案内のもと、ロミさん、松山ローカルエディターズ・大木編集長とともに、久谷を巡ってみることにした。
サルタヒコの前に、巨大キノコに遭遇
まず、サルタヒコの神が祀られているという祠を案内してくれた権名津さん。畑沿いの道から、草が生い茂る土手を登りきると、木の周辺の茂みに直径20センチほどの謎の丸い物体が数個あるのを発見した。
その時は謎であったのだが、調べると、どうやらオニフスべのようだ(キノコの一種で直径50センチになることも。白いうちは食べられるらしい)。こんなキノコに出会えるなんて、自然豊かな証拠に違いない。私も松山の田舎で育っているが、見たことがない光景だ。
オニフスべを後にして、サルタヒコを祀る祠に到着。小さな水路の側にひっそりと佇んでいた。サルタヒコは、日本神話に登場する神様で、天孫を道案内した故事から、導きの神、道の神とされている。まさに、この小さな旅のはじまりに相応しい。
祠に手を合わせた後、三島神社に向かう。その途中に池が見えてきた。静かに水を湛えていて、訪れた時期はセイタカアワダチソウの黄色い花が周囲に咲き誇っていた。水面と花があり、よく水不足が話題になる松山っぽくない風景。ポートレートを撮っていても、誰かの邪魔になることがなさそうで、フォトスポットとしても良さそうだ。
三島神社で、心洗われる風を感じる
権名津さんが宮司を務める三島神社に到着。神社の由緒は、712年(和銅5年)43代元明天皇の時代(奈良時代)、伊予の国司・越智玉興が大三島宮より勧請し、浮穴郡荏原郷一宮の三島神社とし、五穀豊穣・家内安全を祈願したとされている。
鳥居の手前にある「三島神社」と刻まれた神名石は、明治15年に建立。『久谷村史』にも古い写真が掲載されていて、その写真と比べると、周囲の風景は時代とともに変化していく中、神社の佇まいはそのまま残っていることがわかる。権名津さんに境内を案内していただいた。
権名津さんによると、この西側から抜ける風に、良い“気”を感じて、心が洗われるのだそう。訪れたらその風を感じてみてほしい。
悪因縁を断ち切る文殊院
次に向かったのは、文殊院。弘法大師が文殊菩薩に導かれて逗留したことから文殊院と呼ばれるようになったと伝わっている。その後、衛門三郎の旧家があった現在の地に移転したそうだ。門前の案内板には、「四国遍路開祖 文殊院」とあり、衛門三郎ゆかりの四国八十八箇所発祥の寺院であることが書かれている。
衛門三郎は、転生して領主となり善政を行って罪を償ったとされている。転生して生まれた時に握りしめていた、衛門三郎と書かれていた石を奉納した寺が石手寺となったという衛門三郎伝説は、私も愛媛の昔話の絵本で読んだことがあるくらいなので、松山市民ならば、知る人ぞ知る物語ではないだろうか。
弘法大師が衛門三郎の子どもの供養とともに悪因縁切御修法をしたことから、現代では悪因縁を切る寺として訪れる人も多い。
田園風景を楽しめる城跡
悪縁を断ち切ったところで、田園風景を歩きながら新張城跡へ。土岐氏代々の居城があった所で、三方堀に囲まれていたそうだ。現在、堀は大雨の土砂により埋まっている部分も多い。
久谷エリアには、新張城跡の他にも、荏原城跡、じょうの城跡、勝山城跡、真城跡、葛掛城跡など、かつての城の存在が今に伝えられており、この地が伊予の要所であったことが窺える。
それにしても、祠の手前に佇む常夜灯の石積みのバランス感覚に驚く。愛媛も大きな地震が起こることがあるが、ビクともしていないようだ。
八坂寺で極楽行きの手形を
そして、いよいよ四国霊場88か所の一つ、八坂寺へ。1,300年の歴史を有する寺である。8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことが寺名の由来となっており、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来しているそうだ。
悩みを手放し、心軽く。浄瑠璃寺
極楽往生の通行手形を受け取って、旅の最後は、浄瑠璃寺。こちらも四国霊場88か所の一つだ。車で行ったので駐車場から境内に入る。木々が生い茂っていて、風情があり、凛とした空気が漂っていた。
ここは「ご利益のよろず屋」と異名を持つほど見どころ満載で、テーマパークを巡るかのように時間が経つのを忘れてしまった。誰しも生きていたら、様々な苦難や悩みにぶち当たることがあるだろう。そんな時、お願いできる場所が境内のどこかに見つけることができる。
最後に見た言葉は、「すべての生物の霊に感謝を」。そこここに言葉が散りばめられている寺でもあり、折々に響く言葉に出会えるだろう。お願いごとだけでなく、命あること、自由に手を動かしたり、歩いていけること、そんなことに感謝することを気づかせてくれる。
最後の浄瑠璃寺で、「人はなぜ願うのですかね」と編集長が投げかけた問いに、「言い難いことも、神様にならば言える。誰かに話すことによって、手放すことができて身軽になり、気が晴れるんじゃないかな」と権名津さん。
そんなふうに神様と、自分自身と話せる場所が、ここ久谷にはあった。それをスピリチュアルというのかどうかは分からないが、あなた自身で確かめてみてはどうだろう。
今回の書き手:新居田真美
えひめの暮らし編集室主宰。これからも続いてほしい「ひと、もの、こと」に光を当ててたいと、流れていく言葉や降り注ぐ言葉を編む人。暮らしを編むことについてはまだまだ実験の日々。愛媛県内子町の紙にまつわる人々による「そしてこれから 和紙の旅」のサポーター。
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