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おかしなお留守番旅 鎌倉 ーずぶぬれ編ー

 湘南新宿ラインも駅間が長いので得意ではないのだが、地上を走るので気は楽だ。雨の日の車内は窓ガラスが曇り、空気もむっとしていて一瞬気分が悪くなったが、すぐに上着を脱いで事なきを得た。

 湘南新宿ラインには、20代の頃毎週のように乗っていた。当時中野に住んでいた私は、美術作家の永井宏さんのワークショップに参加するため、毎週のように葉山のアトリエへ通っていたのだ。それよりもっと前には、鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのマスター、堀内隆志さんと沼田元氣氏の講座「喫茶店学(カフェロジィ)」なるものにも通っていた。鎌倉、逗子は、仲間たちと通い、文化系の青春を炸裂させた思い出の地だ。私たちはいつも文章を書き時に歌い、写真を撮っていた。

 雨の中、傘をさしてリュックを背負いトートバッグを肩からかけ、まず最初はカフェ・ディモンシュへ向かった。発症して間もない頃に夫とともに訪れ、マスターに結婚の報告をすることはできたが、あれからももう、6年の月日が流れている。いつもの日曜なら行列ができているであろうディモンシュにも、この日は空席がたくさんあった。雨でよかった。濃いカフェインが取れないため、申し訳なくも紅茶とゴーフルをいただく。一人で来たのもまた10年以上ぶりだろう。

 マスターは震災後、アルバイトに店を任せることをせず、営業時間中ずっと自分自身の手でコーヒーをドリップし続けている。フロアに出ることなくカウンターの中でドリップに集中する姿を、遠くから眺めるにとどめた。本当は、店の人と知り合いになるのは好きじゃない。

 そして、線路沿いの小さなビルに向かう。この日で3年強の営業を終了する、「古書ウサギノフクシュウ」だ。店名も故・永井宏さんの著作名に由来しており、店主は当時のワークショップ仲間、Oくんだ。Oくんとは同い年で、自宅の方角が同じだったので、よく帰りが一緒になった。文学にも音楽にも膨大な知識を持つ彼が、鎌倉駅のすぐそばに古書店をオープンしたと聞いた際は、みんな遠くへ行ってしまうなあ、と感じた。そしてもちろん、私は今日まで足を運ぶことができなかった。私が鎌倉に泊まると決めた日に閉店を迎えるというのは、全くの偶然だった。

 レジに中谷宇吉郎の岩波文庫『雪』を持って行くと、Oくんはとても驚いた顔で、台風の中ありがとう、ありがとうとなんども言ってくれた。閉店セールだけ来る客でほんとごめんね、今日は長谷に泊まるんだ、と言って手を振って帰った。Oくんはかつて少年のようにサラサラだった髪をシュッと横に流し、大人の文化人になっていた。

 夫がいなくても、言葉を交わす人がいる。夫に出会う前から、知っていた人や場所がある。ああ、私は、ちゃんと社会の中で生きていたんだな、と思った。

 雨は激しさを増してきた。早々に宿にチェックインして荷物を置くべく、江ノ電に乗る。私はここ数年、平日の鎌倉しか訪れたことがないから知らないのだが、週末の江ノ電の混雑は大変なことになっているらしい。しかし今日ばかりはガラガラだ。

 長谷駅で降り、大きな荷物を持ってもう一息、と、手紙舎鎌倉店へ。なつかしい「CICOUTE」のロゴがついたスコーンがラッピングされて置いてあった。反射的にレジへ持っていく。
「久しぶりにみつけました!」
「入荷してもすぐ売り切れてしまうんです。ラッキーですよ」
 チクテカフェ。2000年代初頭、ディモンシュと同じくカフェブームを牽引してきた店の名前だ。下北沢に行くことはあまりなかったから、たまに行く時はとても楽しみにしていた。お店のお姉さんのすっきりとしたネイビーのニット姿に憧れた。当時私は、出版社で忙しく働きながら、趣味でカフェのウェブサイトとミニコミを主宰していた。私がまだこうしてしぶとく生きているように、当時の店たちも、場所を変えながらどこかで息づいている。

 雨は恐怖を感じるほど激しく、もはや一刻を争うほどのスピードで私は宿までの道を急いだ。荷物もコートもスニーカーもベレー帽もびしょ濡れだ。海へ海へと南下すると、目的のホテルが入っているとはとても思えない、野暮ったい3階建のビルが見えた。以前に訪れたことがあるはずのビルなのに、2階までは知っていたはずなのに、そこより上に忽然と異空間が現れたように思えた。

 このホテルは、壁、寝具など、ところどころに、藍色が使われている。紺でもない、ブルーでもない、藍染の藍だ。私はこのホテルの内装をウェブサイトで見るまで、藍染にどこか民芸くさい、野暮ったいイメージしか持っていなかった。このホテルの藍は、そのイメージを覆す、涼しげで洗練された藍だった。2017年の夏、寝苦しさから不眠症がぶり返した私は、一縷の望みをかけて、ブラウンを基調にした寝具を、このホテルを参考にすべてネイビーに変えてしまったほどだ。

 チェックインのため、意外なほど広々としたカフェラウンジに入る。これから何かが始まるかのような、開店前のような静けさだ。ああ、私は今日、この宿でひと晩、ひとりで過ごすのだ。

 対応してくれた若いご夫婦は、あまりにもおしゃれで洗練されていて、泥臭い心の旅をしている自分がなんだか恥ずかしくなった。私は、「kumo」という名のついた部屋に案内された。鍵の説明を受けてパタンとドアを閉じると、私はここでこれから朝までの無限の時間をどっぷり過ごすんだ! というよろこびが溢れ出て、あちこち写真を撮った。

 本当は一刻も早く部屋にこもりたい。幸いこの天気だから、「この人、鎌倉に何しに来たんだろう」と思われるほど部屋にこもって過ごしていても、おかしくは見えないだろう。

 当初私は、飲食店の少ない長谷エリアで、夜も営業している数少ない喫茶店、「浮」(ブイ)に夕飯を食べに行く予定だった。しかし、とても夜7時の営業を待って出かける気にはなれない。かといってコンビニやパン屋で何か買ってきて食べるのはもったいないし、この部屋に似合わない。私は、まだテイクアウトできるものがあるかどうか不安に思いつつも、川口葉子さんの著書『鎌倉湘南カフェ散歩』に掲載されている、「コヤギヤ デリカテッセン」というデリカフェへ向かうことにした。

 チェックイン時、ホテルのカフェラウンジから客室に入る際に靴を脱いだのだが、再びそのびしょ濡れの靴を履くことを少し憂鬱に思っていた。すると、私のハイカットのスニーカーの中に、丸めた新聞紙が入っているではないか。若くておしゃれな宿のご夫婦の庶民的な気遣いに、私は一段階ほっとすることができた。

 結果として私は、コヤギヤでパクチーとトマトのきいた、温かいカレーをテイクアウトすることができた。その上、帰りには2人の連れとともに宿に戻ることになった。何が起きたのか。詳しくは書かないが、私はコヤギヤで早い夕食をとっていた若い母娘と知り合いになり、泊まる宿が同じことが判明し、喋りながら雨の中、バシャバシャわいわいと一緒に宿に戻ってきたのだ。

 私は人見知りだ。しかし、彼女らと店主の会話を、カレーを待ちながら聞いていた私は、これは話しかけてもいいくらいの偶然ではないか? と思った。彼女らと店主はちょうど金沢について話しているところだった。このふたりは私と出身地が近いようだった。美しい娘のほうは大学の学部の後輩だった。そして、今夜の宿も同じだったのだ。本来はひとり上手なはずの私が、誰かと会話を交わしながら宿に戻るという、自分でも意外なことをしてしまった。

 けれど私は、これがひとり旅であることを忘れないようにしたかった。知り合いができたから寂しくない、とは思いたくなかった。Aさん親子とは、カフェラウンジで丁重に挨拶をして部屋の扉を閉じた。

ホテルの共有スペース。ノンカフェインのブレンド茶が出迎えてくれる。ほか、カフェとしても利用できるダイニング、シャワーが2室、トイレは2つある。

「kumo」は、シングルベッドとロフトつきの部屋。ほかにも、ツイン、ダブル、シングルの部屋がある/この日購入したもの。手紙舎オリジナルのカレンダーなど。チクテカフェはベーカリーに姿を変え、現在は八王子市でオープン/「古書ウサギノフクシュウ」(閉店)の隣には、同じく永井宏氏の門下生が営むごはんメインのカフェ「sahan」があり、こちらは引き続き営業中/「コヤギヤ デリカテッセン」の店主は、陽気でお話好き。キッシュやドライカレーがイートインでもテイクアウトでも。今日は何があるのかまず聞いてみよう

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