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浜村淳と韓国海苔①

マト子、25歳の春。

その頃、私は地元を離れてファッション業界の小さな会社に就職し、ウェブスタッフとして働きはじめて1年が過ぎようとしていた。

ちなみに、それまでは田舎で暮らす呑気なフリーターであった。
就活もせず社会人経験すらなかった私が雇ってもらえたのは幸運でしかなかったと思う。

もしかすると社長面接で"休日の過ごし方"について聞かれた際、偽りなく正直に「大体ぼーっとしてます」と答えたことが、あるいは良かったのかもしれない。


ある日、職場の先輩からのお土産で、卓上ボトル(ファミリータイプ)の韓国海苔を5個もらった。
自炊に慣れていない一人暮らしの私にとって大変有り難いことである。

仕事を終えて一人暮らしの部屋に帰ると、田舎の祖母が頂き物を大切に仏壇へ供えていたことを思い出しながら、韓国海苔をひとつずつ丁寧にテーブルの上に並べていった。
そして、テーブルの上にきっちりと並んだ5個の韓国海苔を見つめた。


改めて見ると目の前の韓国海苔たちは何やら不穏な空気をまとっていた。
その正体とは、拭いきれない「ノルマ感」であった。


そう、お土産で卓上ボトルの韓国海苔5個はさすがに多い。
適量1~2個、せいぜい3個までであろう。
一体どういった試算で一人暮らしの相手に対してファミリータイプ5個なのだ。


お土産を有難いと思う気持ちはもちろんあるが、何にせよノルマや憤りまで感じてしまっている現状は良くない。
そこで私は救済措置として、地元に住む1人の同級生の女性にお裾分けすることにした。

学生時代、明るく友だちも多かった彼女は、暗くて友だちの居ない私に対しても平等に接してくれた稀な人である。
そんな彼女に勇気を出して久しぶりに連絡をし、おそるおそる事情を説明したところ、喜んで韓国海苔を受け取ってくれるという。

人付き合いに慣れていない私は、彼女が喜んでくれたことにすっかり嬉しくなった。
もはや舞い上がっていた、といってもいい。


ただ、今思うと、
それは危険な兆候であった。



つづく



【後記】
私はただ、彼女をもっと喜ばせたいと思っただけなのです。

最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました。

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