部屋とセーラー服と猪木
マト子、14歳の夏。
その頃、私はド田舎に暮らすセーラー服に白靴下の中学2年生であった。
毎日、白いヘルメットを被って自転車で学校に通い、化粧も色つきのリップが精いっぱいである。
それだけ聞くと純真無垢な田舎の女子中学生といった印象だろう。
しかし、現実は全く違っていた。
なぜなら私は心を閉ざす理由もないのに閉ざしてしまった重度の厨二病患者であったからだ。
特に誰かに何をされた訳でもないのに「自分以外の人間は全員敵だ!」と被害妄想をこじらせ、世の中を恨んでいた。迷惑だったと思う。
当然のことながら、そんな面倒な奴に友だちなど居なかった。
毎日、最後の授業が終わると同時に白いヘルメットを装着し、居心地の悪い学校から一目散に家へ逃げ帰っていた。
そして家へ帰るとそのまま2階の角にある自分の部屋に閉じこもり、晩ごはんまで一歩も出てこない。
まぁ晩ごはんになったら絶対出てくるので、親も特に気にしてないようだった。
さて、自分の部屋に閉じこもって過ごした思春期の日々。
私はそこで一体何をしていたのか。
ずっと忘れていたその日々を大人になってからふと思い出した。
「この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ」
元プロレスラーのアントニオ猪木による、伝説的なスピーチの文言である。
私は毎日学校から逃げ帰ると、夏の強い西日が射し込む自室に閉じこもった。
着替えもせずセーラー服のまま学習机に向かい、慣れた手つきで引き出しからノートと鉛筆、そして一枚の紙をそっと取り出す。
その紙は、先述したアントニオ猪木の伝説的なスピーチの文言を、わざわざワープロに打ち込んで印刷したお手製のものである。
私は西日の当たる部屋でひとり、セーラー服で学習机に向かい、アントニオ猪木のその文言をノートにひたすら清書していたのであった。
何度も、何度も。
来る日も、来る日も。
忘れていたこの記憶が大人になってふと蘇った瞬間、嘘かと思った。
私はアントニオ猪木のファンでも、プロレス好きでも何でもない。
名言好きでもないし、そもそもこの文言に感銘を受けた記憶がない。
なのに、何でこんな形で執着していたのだろう。
嘘みたいな思い出だが、この記憶が間違いではないことはハッキリしている。なぜなら、
何 も 見 な く て も 、
文 言 を 全 部 言 え て し ま う の だ 。
もはやホラーである。
おそらくその頃の私は、その昔、鎖国によって日本独自の文化が花開いたように、外界を遮断したことによって自分の中にオリジナルの文化が息づいていたのであろう。
ただ、他人はもとより自分でさえも理解できないそんな過去も、今は否定せずに受け入れたい。
そう思えるほどに私は大人になった。
なのに、何で今でも友だちが居ないんだろう?
【後記】
書いて覚える、というのは本当です。
おそらく私はアントニオ猪木の文言を忘れることは一生出来ないでしょう。
たとえ忘れたくても。
最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました。
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