これからの人生を初めて楽しみに思った日
物心ついた時からずっと自分は周りの人とは違う感覚があった。
みんな人生何回目だ?
どうして、すぐに他人と話したり、身の振り方が分かるのだろう。。
幼稚園の頃から異常な程の人見知りで、他人といると少し荷が重い、
周りは心から楽しんでいるように見えた。そう見えただけかもしれない。
自分は少し頑張って笑っていた。
でも、それでも自分の周りに人はいた。
友達はいた。
だけど、自分の事を友達に話すことはあまりなかったし、
心から話せる友達はいなかった。
親友という言葉が嫌いだった。
家族といても、自分だけ浮いている感覚があった。
なぜか、自分は本当の子供ではないのではないか、とひたすらに悩んでいた。
結果そんなことは一ミリもなかった。
顔だって似ているし、体型も似ている。
何なら性格も両親の性格を足して2で割ったような性格だ。
今思えば、こんなに孤独な気持ちになる原因をどうにか作りたかったのかもしれない。
その頃、ある歌手にハマった。
その人は孤独を歌っていた。
孤独を歌う歌詞にひどく共感して、初めて自分と同じ気持ちの人がいることに救われた。
小学校、中学校、高校、大学へ進んでも
生きづらさは変わらなかった。
明日を生きたいと思えたことがなかった。
いつ消えてもよかったし、隕石が落ちてくる事を願っていた。
事故に巻き込まれる事を願っていた。
社会人になると仕事の面で生きづらさは強くなった。
中々うまく生きることができなかった。
30代を超えて、自分が発達障害というものに
すごく当てはまることを知った。
すぐに大阪へ行き、脳波で検査ができるというものを試した。
ASD>ADHD傾向がある。
世間では、脳波で発達障害はわからないとされている。
でも、それでもよかった。
自分が抱えてずっと探してきたものに
名前が付いたことが安心した。
そして、XやYouTubeなどで発達障害を発信している人を見て、
あ、ここに仲間がいたんだ、と
自分は世界でたった一人おかしな人間ではなかったんだと
安心して心が救われた。
今まで出来ない事を何とか人レベルまではできるようにならないといけないと、
頑張って苦手なことばかりに挑戦してきた。
だけど、ことごとくうまくいかず、精神をすり減らす毎日だった。
発達障害を知った後もしんどい日々が続いたが、
そんな時に新しい概念が自分の中に入ってきた。
自分の苦手な事を得意な人がいること。
凹んでいる部分を伸ばしても○になるだけで、
凹んでいる部分があるから一人一人違って
素晴らしく輝ける⭐︎になれるのだということを知った。
少しずつ苦手を手放していった。
そして、苦手な会社員を辞めた。
これからどうやって生きていったらいいか分からない。
だけど、どんなに苦しくても誰も助けてはくれない事を
この30年間で痛いほどに学んだ。
自分の人生、自分で責任を持つことだけは決めた。
こんな自分でも自分の力で稼げるようになり
自分の人生を作っていくことができたとしたら、、、
そんな未来を想像して
初めて明日が楽しみになった。
これからの人生が楽しみになった。
ここから始まる。
そう思ったら記録したくなった。
忘れっぽい自分だから忘れないように書き留めて行こう。
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