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Matchday Note - 2021 Kanagawa

 この“Matchday Note”は、“Away from home”(いわば「日常から遠くへ」)をテーマに、2018年頃から認め始めた備忘録的アウェイ遠征記である。これまで札幌や仙台、広島、長崎などの「旅の空」を散発的に書き記してきた。しかし新型コロナの感染急拡大以降、個人的に訪れたアウェイは、今のところ神奈川にあるいくつかのスタジアムだけにとどまっている。小田急沿線に暮らす僕にとっては、飛行機も新幹線も寝泊まりも必要ない、乗り換え1回片道数百円で行ける近場ばかりだ。緊急事態宣言が解除されたタイミングでの名古屋や広島など、いかにも遠征らしいアウェイに行けるチャンスは何度かあった。が、やめておいた。ライフワーク(←大袈裟)としては、ここでちょっと躓いた感がある。

 おかげで家計的にはずいぶん助かってしまった。皮肉な話だ。


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平塚

2021年7月某日

 相模川を渡って本厚木を過ぎ、電車が伊勢原駅に到着したのは、午後4時を少し回った頃だった。いつもならナイトゲームでも早朝始発でスタジアムへ向かうところだが、今回は全席指定のためさほど急いで行く必要がなかった。ゆえに伊勢原駅の周辺で食事を済ますのも、実は今回が初めてだった。ちなみに他の多くのサポーターにとってはメインステーションであろうJR平塚駅の周辺は、小田急線ルートの僕にとっては、ほぼ未開のエリアである。なので噂に聞く「平塚タンメン」は、個人的にはいまだ謎のローカルフードだ。

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 伊勢原駅から少し歩いたところにある食堂で、てんこ盛りの豚丼をかき込んだ。連れは想像していたよりも大きいロースカツを前に、少々困惑したようだ。そういえば神奈川県は豚肉の消費量が全国トップクラスだと聞いたことがある。いつの日か試合の帰りにでも、本厚木で途中下車して、かの有名な「豚ホルモン」を存分に喰らってみたいな、と思っている。

 駅南口で平塚駅方面行きの路線バスに乗車し、スタジアムのある平塚市総合公園へと向かった。僕はこの車窓が結構気に入っている。団地付近のアップダウンから垣間見える丹沢山塊や、東海道新幹線の往来を望む鈴川沿いの平坦な田園風景、鉄道も駅も存在しない豊田本郷駅バス停付近の鄙びた通り、そして時折建物や木々の合間から顔を出す富士山――。風光明媚、とまでは言えないごく普通の生活路線なのだが、どこか客愁を誘うこの30分ほどの道なりが、何気に好きなのだ。

 バスを降り、公園に棲みつく猫たちの姿を見遣りつつ、ビジター入場ゲートへと向かった。スタジアム周辺にはすでに多くのサポーターが集結し(もちろん皆マスク&ディスタンスだ)、あちこちで賑々しく談笑していた。僕らにはいわゆる観戦仲間がいないので、少し羨ましい気もした。まあこれはこれで気楽なところもあるが。

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 話は少し逸れるが、僕らはスタジアムでよく見かける特徴的なサポーター各氏に、失礼ながらこっそりあだ名をつけることがある。仔細は省くけれど、例えばマスチェとか、ミリタリーとか、フルタさんとか。もちろん親愛の情を込めているつもりだ。ただ長年スタジアムに通っていると、いつしかスタンドから姿を消してしまう人もいることに気づく。かつて、いつでもどこででも声を嗄らしていたあのソンゲンおじさんは、どこへ行ってしまったのだろう。

 どこかしらでふいに各氏の元気な姿を確認できると、本当にホッとする。コロナ禍の今は特にそう思う。この日は仲間との再会を喜ぶ、ゴーゴーさんの姿を視界に捉えた。

 さておき、場外のフードパークに並ぶ「釜揚げしらす丼」などを目のあたりにして、食事を済ませてきたことをちょっと後悔した。ここのスタグルイベントは国内屈指の充実度を誇っている。そういえば以前、山盛りのスパムと豚焼肉が豪快すぎる見た目の「男前ハワイ丼」にチャレンジして、満腹中枢が早々にダウンした記憶がある。

 ちなみにこの翌日から、再びイベントでのアルコール提供が禁止される。そんなわけで、皆ここぞとばかりに、名物のクラブ公式クラフトビールを堪能していた。しばしの別れを惜しむかのように。


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 雲行きが怪しくなってきた午後7時、キックオフの笛が鳴った。我らが“青赤”はこのスタジアムを比較的得意としているが、この日の“湘南スタイル”は気合十分で、試合は互いに拮抗したまま時計の針が進んでいった。試合の半ばには強烈な雨が降り始めた。僕らはあわてて雨合羽を羽織った。そんな中炸裂した我らが“アフロの魔術師”によるゴラッソは、オフサイドで取り消された。

 スコアレスの雰囲気が漂い始めた80分すぎ、相手ゴール前での混戦の中から、こぼれ球が青赤の“稲妻”の前に転がってきた。彼は躊躇なく右足を振り抜いた。ゴールネットは勢いよく水飛沫をあげた。

 青赤はこの1点を守りきって、アウェイ7連戦の初戦を勝利で飾った。

 チームはこれからまた長い旅に出る。一方の僕らはまたしばらくの“ステイホーム”だ。そして我らがホームスタジアムでは、着々とオリンピックの準備がすすんでいる。


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 伊勢原で急行に乗ればもう乗り換えも不要ということで、いつもならつい居眠りしてしまうところだが、この日は妙に頭が冴えていて、暗い車窓を見つめながらいろいろ考え事をしていた。連れはスマートフォンとにらめっこをしながら、時折こくりこくりと睡魔に相槌を打っていた。

 すると相模大野で、若者4人組が勢いよく乗車してきた。だいぶ仕上がっているようだ。連れは完全に目を覚ました。

 明日からはまた自粛の日々が始まる。若者にはさぞ辛かろう。 



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川崎

 「川崎」は僕にとって近しさを覚える町だ。地元から多摩川を挟んですぐ隣ということもあって、距離的には“ホーム”より近い。例えば夏の夜、たまに等々力のスタジアムがぼうっと光っている様子は、うちのベランダからも遠巻きに視認できる。

 上京して初めて暮らしたのも川崎だった。小田急線の生田駅から北西に徒歩約15分の、ひたすら長い上り坂の先にそのアドレスはあった。坂の途中には高名な映画監督の静謐な邸宅があったのを覚えている。アパートの窓からは多摩丘陵の一端に広がる町並みが望めた。ありふれた眺めではあったが、やや起伏のあるその景色は、田舎の真っ平らな風景に慣れた僕の目には新鮮に映った。冬の澄んだ大気の下で朝陽を浴びる生田緑地は特に清々しく見えた。今思えばその向こうには等々力のスタジアムがあったわけだ。

 現在の住まいからほど近い、国分寺崖線上のとある一角からは、今もなおあの町の実景を反対側から望むことができる。まあしみじみ眺めたとて、小粋なエピソードなど一切浮かんでこないけれど。

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2021年10月某日

 多摩川が碧色の川面を細かく煌めかせながらゆったりと流れている。宿河原堰堤の向こうには二子玉川や武蔵小杉のタワーマンション群が見える。その遠景を横目に、下り電車は小田急多摩川橋梁をゆっくりと渡り、登戸駅に停車した。

 登戸で南武線に乗り換えると、黄色い電車の車内には、“王者”の色であるサックスブルーと黒のコンビを身に着けた人々が、あちこちに見受けられた。彼等にどこか余裕が感じられるのは、気のせいだろうか。僕はなるべく彼等の姿が視界に入らないよう、ひたすら車窓の向こうを眺めていた。連れはキョロキョロしていたが。

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 約一年ぶりに訪れた武蔵小杉の街はすでに日暮れの支度を始めていた。駅北口にそびえ立つ2棟のタワーマンションの間を抜け、通りをひたすらまっすぐ進んだ。やがて中原街道に出て、すぐ西明寺の参道に入り、寺門の前で右に曲がると、目の前に等々力のスタジアムが見えた。小杉神社の向かいにある小さな商店は、コロナ禍でも逞しく営業中だった。

 先に向かった場外のイベントパークは、控えめながら賑わいを取り戻していた。ほんの数日前ではあるが、ようやく解除されたんだな、と実感した。もちろん油断はできないけれど。

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 昨年はここの名物スタグル「塩ちゃんこ」を堪能したが、今回は「コラソン・デ・フランゴ」なる鶏ハツのブラジル風串焼きや、「ヤンニョムチキン」などをチョイスしてみた。これは下戸な僕でもビールが欲しくなる味だ。

 いつもなら1階の立見席で応援に勤しむところ、今回は戦況を見渡せる2階席のチケットを取っていた。じっと観戦するなら、このスタジアムは2階席のほうが断然見やすい。ここからピッチを望むのは何年ぶりだろう。バックスタンドに立つ照明のはるか向こうに目をやると、旅客機が一定の間隔を取りながら、次々と羽田空港に向かっていくのがわかった。

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 数ヶ月前のホーム戦では王者に点差以上の実力差を見せつけられた青赤であったが、このアウェイ戦ではキックオフから臆することなく勇敢に立ち向かった。惜しい場面も何度か作り出した。しかし前半終了間際、元セレソンのクラックに一瞬の隙を突かれてしまった。結果としてこの1点が勝敗を分けた。

 長年の因縁もさることながら、むしろ「多摩川を挟んで隣町」という地域振興的なアイデアで、ダービー関係に仕立てられた両者。しかし近年の対戦結果や、リーグ戦での成績を鑑みれば、“クラシコ”と大見得を切るには少々アンバランスな状況が続いている。今回の試合は、客観的には接戦のように見えたかもしれない。また昨シーズンのカップ戦セミファイナルでは、大方の予想に反し、青赤が勝利している。しかし現実として両者の間に広がっているのは、実力差というよりむしろ「格差」だ。少なくとも現状では。

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 2017年に念願のリーグ初制覇を成し遂げた以降も、“イルカ”はその進化を止めてはいない。攻守両面で高性能のスーパーチームとして、国内では図抜けた強さをキープし続けている。彼らが「シルバーコレクター」と揶揄されていたのは、もう遠い昔の話だ。かつて国の事業仕分けで「2位じゃダメなんでしょうか?」と詰められたかのスーパーコンピュータ開発事業も、主導は彼らの母体企業だったっけ。そんな嫌味を浴びせられながらも、じっと反攻の機会を伺っていたわけだ。そして満を持して証明してみせた。「2位じゃダメなんです」と。

 一方、青赤が失意の「シルバー」をその首に掛けたのは、2019年のたった一度だけだ。リーグ戦ではまだ、コレクターにすらなれていない。


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 スタジアムを出て、いつもの愚痴を連れと交わしながら、武蔵小杉駅まで歩いた。駅南側にある大型ショッピングモール内のレストランで、とりあえず肉料理を食らった。こんな時は肉に限る。食事中、店内に流れるBGMに紛れて、外から大きな轟が聞こえたような気がした。

 食事を済ませモールを出ると、地面がひどく濡れていた。辺りには雨の匂いが充満していた。どうやら僕らは、すんでのところでゲリラ豪雨を回避していたようだ。例のタワーマンションの下水は無事だっただろうか。

 南武線で登戸に戻り、小田急線に乗り換えた。上り列車は徐々に加速しながら、暗がりに横たわる多摩川を渡り始めた。さながらオートリバースのように。



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新横浜

 町田から横浜線に乗って新横浜方面に向かう最中、鴨居の手前あたりから鶴見川に沿って流れていく車窓を眺めていると、薄っすら「死」のようなものを意識することがある。それは囂しい苦痛や恐怖を伴った「プロセス」のほうではなく、結末としての「静けさ」のほうだ。

 何年か前、たまたま横浜線に乗っていて、たまたまそんなことを考えていた時の心理状態が、ふとフラッシュバックするからかもしれない。

 うららかな春の日の午後だった。緩い陽光が降り注ぐ鶴見川沿いには、菜の花がぽつぽつと咲いていた。せっせとジョギングに勤しむ青年や、のんびりと散歩を楽しむ老夫婦などが、川辺を行き交っていた。ふいに、その光景がどこか、「行く末の静穏」のようにも思えた。電車の走行音は聞こえている。だが耳の奥はしんとしている。温くもなく冷たくもない、温度のない静けさ。その気配なき気配に、仄かな悲しみと、そこはかとない安らぎを覚えた――そんな記憶がある。

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2021年11月某日

 久しぶりに訪れた新横浜は秋の乾いた青空に覆われていた。小机駅周辺は相変わらずの鄙びた雰囲気だ。

 駅からスタジアムに向かう道沿いには、名門“トリコロール”の輝かしい歴史をシーズンごとにパネル化したものが、ずらりと並んでいた。年度順に進んでいくと、「☆」のマークが記された、「2019」のパネルが現れた。それを目にした僕は、2年前の12月、あの冷たい雨の日を思い出した。スタンドで数多の三色旗が歓喜にはためく中、目の前でシャーレを掲げられた、青赤にとっては屈辱の日だ。

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 あの時連れは終了のホイッスルを聞いた直後、悔しさから激しく嗚咽した。実のところ、この人はふつうに負けただけでもわりとすぐに泣いてしまう人なので、これはある意味通常運転だった。だがそれにつられたのか、前席の女性二人もしくしくと泣き始めた。その様子を見ていた隣の中年男性も、何か熱い一言を放った後(よく聞き取れなかったが)これまた嗚咽し始めた。嗚咽がバトンリレーのように輪唱されていくその流れに、僕は一瞬悔しさを忘れ、なんだかちょっと可笑しくなってしまった。そんな性格の悪い僕もすでに涙はこぼしていたが。

 連れもこのパネルを前にして、あの辛い記憶が甦ってしまったかな…と思いきや、彼女の視線は散歩で通りがかった柴犬のほうに釘付けだったようだ。

 入場前にまず腹ごしらえをしておこうと、先にフードコートをぐるりと巡った。まずロックオンしたのは、スパイスの効いたジャマイカンな「ジャークチキンライス」だ。次いでクリームたっぷりのハワイアンな「マラサダ」にもいってしまった。ジャンキーな後味とまあまあの腹部膨満感に、しばらくの間心地よく身悶えした。おととい医者に注意されたばかりだというのに。

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 食後、散歩がてらに新横浜の駅前まで足を延ばした。途中、ラーメン博物館の入口が目に入ったが、さすがに医者の言葉を思い出してスルーした。駅構内の土産店に並ぶ「シウマイ弁当」や、柳原良平によるパッケージイラストが可愛い「横濱ハーバー」などに後ろ髪を引かれつつ、売店でペットボトルのお茶などを調達し、再びスタジアムに戻ってのんきにビジターゲートを潜った。この後起こる悲劇のことなどつゆ知らずに。


***

 2018年1月、優勝経験のある名指揮官を新たに招聘し、躍進を誓った青赤。そのチームは、2021年11月、ここ新横浜で、壮絶な最期を迎えた。

 10’

 21’

 24’

 41’

 試合開始後、時間の経過とともに、トリコロール側の数字だけが次々とスコアボードに加算されていった。新横浜のビジタースタンドに集った多くのサポーターは、ピッチ上でかつてないほどに身体と精神を蹂躙される青赤の姿を目の当たりにした。前半終了後には、「もしやあのスコアを超えるのでは…」との不安が頭を過ぎった。それは14年前、多摩川のライバル相手にホームで食らった、青赤史上最悪のスコアのことだ。そしてその予感は的中する。

 48’

 69’

 84’

 86’


 スクリーンにはついに「8-0」と表示された。

 その数分後、ジ・エンドを告げるホイッスルが鳴り響いた。ようやく惨劇が終わったのだ。2年前と同じ場所で、あの冷たい雨の日以上の屈辱と、囂しい90分間の恐るべき「プロセス」が、心に刻まれた。

 横浜線の車窓にしみじみとしていた僕は本当に浅はかだった。静けさの前にはプロセスがあるのだ。

 指揮官はこの翌日にクラブへ辞任を申し出た。責任感の強い男であった。


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 スタジアムを出てからの記憶があまり残っていない。連れは試合前、スマートフォンをにらみながら、はりきって新横浜駅周辺の美味しい店を探していたはずだ。しかし、気つけば僕らはどこに立ち寄ることもなく、いつしか電車は家の最寄り駅にまでさしかかっていた。

 改札を出て、ふらりと駅構内の立ち食い蕎麦屋に入った。とりあえず目についた「限定メニュー」とやらのボタンを押し、その食券をカウンターに差し出した。すると店員はぶっきらぼうにこう言った。

 「すんません、それ、前のお客さんで品切れになりました〜」

 普段なら笑うであろう連れもこの時は黙っていた。再び言いようのない悲しみが込み上げてきた。


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 来る2022シーズン、青赤はかつてない変化を迎える。クラブがこれまでのインフラ的な安定志向から、ベンチャー的な挑戦志向へとパラダイムシフトする、最初のシーズンとなる。新たにスカッドを率いるのは、新潟で日本を学んだカタルーニャの情熱家だ。“青臙脂(ブラウ・グラナ)”の哲学がついに“青赤”と邂逅する。両方のファンである僕にとっては、もう期待しかない。

 その“新生青赤”は、トラウマの地・神奈川で、世にその姿を初披露する運びとなった。開幕戦の相手は、いきなりの最強カンピオーネだ。この日は「多摩川を挟む形だけのDerbi」が、いよいよ「国中が注目する本物のClásico」に昇華するための、新たなスタートの日となる。

 その日はあらためて希望を胸に多摩川を渡りたい。ビジターチケットが取れればの話だが。

(2022年1月)

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