20年後の【アジア横断&中東縦断の旅 2004】
1990年代後半にアジアへの旅に心奪われた私は、何回かの短い旅を繰り返すうちにいつしか「深夜特急」のような長旅に憧れを抱くようになっていった。
沢木耕太郎氏が「深夜特急」の旅に出たのが26歳(1974年)。
氏から1歳遅れとなったが27歳(2004年)の時に「私の深夜特急」への旅立ちが実現した。
あの旅から20年が経った。
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私が旅に興味を持ち始めた1990年代後半。
時代はアナログからデジタルへの移行期だった。
その頃のアジア諸国への旅は、沢木氏の「深夜特急」の時代のようなストイックさはかなり薄れていたと思うが、旅する上で不便なことはまだたくさんあった。
もちろん当時でも金さえ払えば大抵の不便は解消されたはずだが、若い旅人たちは(単純に金が無かったということもあるが)そんな不便をあえて楽しんでいるようにも見えた。
現地の人たちと全て同じとはいかないけれど、できるだけ現地の人たちの目線に近いところで余計な金をかけずに旅をしたかった。
それが旅の醍醐味だと思っていたし、何よりそんな旅がただただ楽しかった。
日本ではインターネットが家庭にも普及し始めた頃だったが、アジア諸国ではまだ黎明期だった。
かくいう私自身もそれまでほとんどパソコンを使ったことがなく、初めてEメールアドレスなるものを作ったのもこの時期だった。
しかしアジア諸国では日本語フォントがインストールされているPCはまだほとんどなかったため、日本へメールを発信する時は文字化けしないようにローマ字を用いてやりとりした。
ビデオカメラは大きくかさばる上に高価だったので持ち歩いている旅人はほとんどいなかった。
デジタルカメラもあるにはあったが画質がまだ満足できるものではなかったため使用している旅人は少なかった。
私もフィルムを何本もバックパックに詰め込んで節約しながらカメラのシャッターを切った。
音楽プレーヤーもiPod(これも今はすでに製造終了している)はまだ存在せず、CDプレーヤーが主流で、かさばる外付けのスピーカーとともに何枚ものCDを持ち歩きながら旅をしていた。
できるだけ荷物を減らすために割り切ってカメラも音楽も持たない身軽な旅人も少なくなかったが、私は写真も撮りたかったし音楽も聴きたかったのでバックパックはいつも重かった。
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この20年で旅のスタイルは大きく変わった。
iPhoneは世界を手のひらに収め、SNSは手のひらの中に新たな世界を作った。
どこにいても世界と繋がり、予約も買い物も情報収集も情報発信も、地図も言葉もスケジュールも日記も、音楽も写真も映像も、さまざまなことがインターネットやスマートフォンがあること前提で成り立ち、あの頃バックパックに詰め込んでいたたくさんの物事が手のひらの中で全て済んでしまうのが当たり前の時代になった。
今や私も最新のiPhoneを駆使してその恩恵を日々享受している。
それらが存在しない世界はもう考えられないとも思っている。
だからこそ、あの時代に旅をすることができてよかった。
もちろん今の時代ならではの新しい「深夜特急」の形もあるはずだ。
けれども私の人生において、「私の深夜特急」はあの時でなければならなかった。
そして今でもあの旅は私の中で太い幹の一本として息づいている。
だからこそ、あの時一歩踏み出してよかった。
今20年前の旅を振り返り、改めてそう思う。
2024年 吉日
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