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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第20話 トルコ

2004年12月3日 旅立ちから、現在 335 日目

イランの首都テヘランからトルコ国境を目指すために、テヘラン郊外にある長距離バスターミナルへ向かった。
近くにいたイラン人にその場所を尋ねたら案の定懇切丁寧に教えてくれて、更にそこまでの交通費を払ってくれようとした。
さすがにそれは丁重に断ったが、最後まで親切なイラン人と接することができて、気持ち良くイランを後にした。


一晩かけて翌朝トルコとの国境に到着した。
バスを降りると外は吐く息が白くなるほど冷えきっていた。
季節はもう冬になっていた。
標高が高いこの国境からはアララト山という山が見えた。
旧約聖書に登場するノアの箱舟が大洪水後に流れついた場所だとも言われているこの山は、形の美しい単独峰で、山頂に雪化粧をしたその姿を見て富士山を思い出した。

アララト山


トルコ東部は標高が高いためこの時期はとても寒く、雪も降り積もっていた。
またこの地はクルド人の分離独立にからむ紛争地域でもあったため私は足早に抜けることにした。

トルコの長距離バス車内では香水が配られた
カッパドキア
カッパドキアのバスターミナル
サフランボル


トルコ中部内陸のカッパドキア、首都アンカラ、サフランボルなどを通り、トルコ入国から10日後、ついにこのアジア横断の目的地であるアジア最西端の都市イスタンブールへたどり着いた。

イスタンブールの町は海峡を境にアジア側とヨーロッパ側にまたがっていた。
旧市街や安宿街などの町の中心部はヨーロッパ側に属しているため、アジア側の港からフェリーに乗り込みヨーロッパ側へ向かった。

汽笛とともにゆっくりとフェリーが動き出す。

外は寒かったが風に当たりたかったため2階のデッキに出た。
対岸にはヨーロッパが見えた。
空にはたくさんのカモメが飛んでいた。

10分程の乗船時間だったが、私にとってこの10分間は今までの旅を振り返る長い10分間になった。

ヨーロッパが見えてきた


目を閉じるとこれまでの旅が鮮明に蘇る。

1月にアジア極東の国、日本を出発し北京に入った。
真冬の中国を南下して、春になる頃に東南アジアに入り、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーを回った。
バングラデシュを経由し、夏の2ヵ月間を灼熱のインドで過ごした。
北上してネパールに入り、ヒマラヤ山脈を越えチベットに入り、秋に中国最西部の新疆ウイグル自治区へ抜けて、キルギス、パキスタン、イランを通過した。
そして季節は冬。
丸1年かかってようやく12月にトルコのイスタンブールにたどり着いた。

ついにここまで来た。
長いこと夢見たアジア横断の旅が、今、実現しようとしていた。

ついにヨーロッパ上陸


フェリーが終着点のヨーロッパ側の港に接岸された。

私は船からゆっくりと一歩踏み出し、そして、ヨーロッパの土を踏んだ。

1年前にアジアの東に立っていた私が、今、確かにヨーロッパに立っている。
感無量だった。ただひたすら感無量だった。

人類初の月面への第一歩を刻んだN・アームストロング氏は、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と言ったが、この言葉を大袈裟にもじれば、私にとってのヨーロッパへのこの一歩は、「人類にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な飛躍である」、そんな一歩だった。

早いものでこの時からあっという間に長い年月が過ぎてしまった。
けれども、私は今でもふとこの瞬間のことを思い出す。
その記憶は私をもう一度あの場所へと連れていってくれる。
そして、今もなお自信と勇気をくれるのだった。


続く ↓

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