「みんなちがって、みんないい」と、心の奥底から想うには時間がかかる

今日は兄の参観日だった。兄の小学校は、毎月参観日があるという保護者や地域に開かれた学校なのだが、コロナの影響で半年前から休止になっていた。このたび、一週間をかけて分散参観のシフトを組んでくださり、4年生になって初めての参観が実現の運びになった。

参観時間の4時間目をめざして学校に向かう。教室に着く途中で3時間目終了のチャイムが鳴り、休み時間中の兄を遠目に探した。クラスの子どもたちは数人のグループに分かれて、ワイワイガヤガヤ。おしゃべりしたり、じゃれ合ったりしている。その中で兄はというと、ゴミ箱の前で黙々と鉛筆を削ったり、授業準備をしている先生のPCを眺めていたり(兄は家電オタク)、明らかに「ポツン」としていた。

1年生の頃から数えきれないほど参観してきたが、ここまでの「ポツン」は初めてだ。他のクラスより少々狭い部屋をあてがわれているから、余計に目立つのだろうか。最近、兄からお悩み相談がなかったので、予想外の光景に胸がざわついた。話かけたい相手、話かけられる相手、いないのかな…。

兄がマイペースで、ユニークな人間であることは重々承知で、紆余曲折、失敗後悔もありながら、彼のパーソナリティを受け入れてきた。家電なんてカッコ良くて、便利であればなんでもいいと思っている私も、兄によるノーサンキューの入れ知恵により、今じゃアキバの有名電設資材店のHPなんかも覗くほどの知識を身に付けつつある。兄が楽しいと思う、一風変わったことをおもしろがり、楽しい気持ちに共感してあげることで、兄とのコミュニケーションを円滑にしているつもりである。

自分が好きなものを共感・共有し合える相手に心を開くというのは、真理ではないだろうか。そのスキや興味が、大多数(と言っても、今所属するコミュニティ内での大多数)に受け入れられているものならば、周囲と話が合い、何の障害もなくコミュニティに居場所を見つけられるだろう。

ハマっているのが鬼滅の刃だったら、問題はなかったはずだ。共通の興味から会話の糸口を掴み、気の合う子が見つかったり、逆にぶつかったり、さまざまな相手との多様な交流が生まれただろう。けれども、今のクラスには、WiFiや充電電池の仕組みについて興味を持っている子はいない。兄が好きなものはニッチすぎて、友だちとコミュニケーションを取ろうにも、アテンションでつまずいている。兄自身もそれを悟っていて、自分から積極的にコミュニケーションを取ろうとしていないのかもしれない。

兄は小さいときから、電気仕掛けのものが大好きだ。

でも私は、命ある動植物に興味を持ってもらいたいと常々思っていた。生命に対する倫理観や、人間らしい情緒が育まれるように感じたからだ。

そんな親の願いとは裏腹に、兄は動物園に行っても、広大なスペースを走り回っているだけだったし、水族館に行っても、エレベーターの乗り降りを楽しむばかりだった。ニコニコして動物と触れ合うよその子を見て、愕然とした。うちの子は何でこんなにも興味を示さないのだろう。生き物に興味がないという人の感覚は大丈夫なのか。何より「自分はそうじゃなかった」という思いが強かった。私は、私の基準でしかパーソナリティの価値を判断できずにいたのだ。自分の経験を超える人はスゴイ人。自分より経験値が低い人は未熟な人。だから子どもには、自分が有益だと思った経験をどんどん積ませたい。そこに、私にとって未知の経験が入り込む余地はなかった。

それから幾年も経ち、幾度も同じような思いに苛まれた結果、今では生まれたときから変わらない興味に、「あっぱれ」と思うまでになった。ニッチなもので突出することに価値を見出す時代にもなり、兄との生活を通じて、「みんなちがって、みんないい」という価値観を、自分の中に取り込めたような気がしていた。

が、である。巻き戻って、集団の中で「ポツン」としている兄を見ると、どうしても不安に駆られる。「みんなちがって、みんないい」を体得したはずなのに、集団生活ともなると、集団に順応していることを「良し」として、順応していないことを「問題」と見てしまうのである。自分の中で固定化されたモノの見方を変えるというのは、本当に難しいと思った。

胸のざわつきが収まらないまま、帰宅後すぐにPCを開き、「小4 クラス 浮いている」と検索した。そこで出会った記事のおかげで、今は平静を取り戻している。下校した兄に、クラスでの過ごし方について問い質すのはやめにした。


私は兄を、私にしたいわけじゃない。兄は天からの授かりものだ。兄というひとりの人間が、生きるよろこびを感じながら、自らの長所を最大限発揮して、社会で活躍できる人になるのをサポートしているだけである。親の役割は、子どもの独り立ちを手伝うことに尽きるのだ。

子育ては、己の心理と向き合う活動であるとしみじみ思う。子育て10年目でも、学びはまだまだ足りない。

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