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異国の匂いがもたらすもの〜マレーシア・クアラルンプール

人の記憶が呼び起こされるキッカケは色々とありますが
僕にとっては、それは「匂い」であることが多いです。

すれ違った人から香る匂い
ふらっと立ち寄ったお店の匂い
閉めっぱなしになっていた古い箱を開けた時に漂う匂い

昨日、あるレストランに入るとアジアン料理の匂いがツンと鼻の奥まで押し寄せました。日本人向けにアレンジされているアジアン料理ではなくまさに本場の食材を使って、本場の味付けを施してある料理の数々。

2020年10月、海外旅行に行けず少しずつフラストレーションの溜まっている僕にとってそんなふうに日本にいながら海外気分を味わえることはとても嬉しいことです。

そのお店に入った時、僕は、ちょうど2年前の2018年10月に訪れたマレーシア・クアラルンプールのことを思い出しました。かなり輪郭くっきりとその記憶のイメージが僕の中で湧き上がりました。

アメリカ旅行のあと、台湾・台北を訪れ、アジアの勢いを感じた僕はそれまでほとんど興味を持っていなかったアジア諸国への興味が増していました。そこで、その頃耳にすることの多かったマレーシアを新たな旅行先に選びました。

クアラルンプール(以下、KLと書きます)は、日本人の移住したい街としても人気の街です。定年の迎えたシニア層が、セカンドライフの地として選ぶことで人気なことでも有名ですね。有名なガクトさんも、KLに住まわれているということを聞いたことがあります。

近未来的なビルの数々と、昔ながらの街並みと、豊かな自然の融合、信仰の地としてのムスクや、KLから少し離れたバトゥ洞窟など、数々の新しい体験に観光客を飽きさせない街です。

WEBでKLの情報を見ていると、ネガティヴな評判というのはあまりないですが、やはり「人」に関しては少し不快感を持ってしまうことがあることが多いみたいですね。たしかに、僕も、不親切な窓口の人や、バスやタクシーのドライバーに当たってしまい「なんやねん・・こいつ・・・」と思ってしまったことも事実ですね。

でも!

それを「不親切」と評価した僕は、”正当な”評価をしたのでしょうか。

まだまだ海外旅行歴の浅い僕ですが、各国を回っていて思うことは、
仮に店員やその他の人々との関係で「嫌な思い」をすることがあったとしても、僕は特にお店では物を買い、受け取るという基本的な行為は達成できているし、態度の悪い店員であったとしてもそれは達成できているんです。

その他の「礼儀」に関しては、日本人である僕が勝手にプラスアルファのこととして、押し付けている価値観ではないかと思うようになりました。

もちろん、僕たちの国の「おもてなし文化」は世界に誇れる素晴らしい習慣です。日本人同士でも気持ちよく、その時間を過ごすことはできますし、海外からも日本人は親切だという評価をいただけることでしょう。

でも、それは、僕たちの文化であって、諸外国の文化とは違います。

店員と消費者の関係は、物の売り買いだけで、それ以外のことはノータッチということも理解できます。

それに、特にアジア諸国の物価は驚くほど安く、物価が安いということは、彼ら彼女らの賃金が安いことは容易に想像できます。売り買いの行為以外のことにはペイされていないと主張されたら、本当にその通りだと思います。

そんなふうに思っていると、一つの価値観が広がりました。
これが海外に出ることの大きな大きな意義だと思っています。
同じ国、同じ地域、同じ人種だけで暮らしていると、どうしても視野、価値観は狭くなってしまいますね。

狭くなってしまうことの大きなネガテイブな側面は、他人に不寛容、つまり他人に優しくできなくなってしまうところにあると思います。

感謝しましょう!人のために生きましょう!という声高に叫ぶことには
申し訳ないけど、抵抗があります。感謝や人のためというのは、自らの内から自然に湧き上がる想いであって、他人からどうこう言われるものでもないと思っているからです。

でも、価値観を広げて、他人に寛容になることは、なにより自分のためになるのだと僕は考えています。他人に不寛容に、他人を責め立てる日々の暮らしの先に自分自身の幸福があるでしょうか。ちょっとイメージすれば分かることですよね。

ホスピタリティという言葉。これが生きる上での全てだと感じるんです。

僕は、この言葉を20代の多くの時間を過ごしたスターバックスでの仕事で覚えました。あの頃、日本におけるカフェ文化は少しずつ根付ている時期であり、スターバックスの影響力が絶大であった時代です。スターバックスといえば、ホスピテリティと僕は思っています。コーヒー業界にいるとスターバックスに対する悪口は色々と聞こえてきます。

でも、僕は、思うんです。
スターバックスがなかったら、今、あなたはコーヒーを飲んでますか?
スターバックスがなかったら、今、あなたは気軽にカフェに出かけていますか?

少なくともあの頃のスターバックスには、「ホスピタリティ」という言葉が標語としてではなく、しっかり事実して存在していました。だからこそ、カリスマ的な存在感を持ち、世界中にその影響力を持つことができたのだと僕は思っています。そして、多くの人、広くカフェ業界に影響を与えたのは事実です。

そして、それは今の僕にとってももっとも重要な礎となり、20代という人格形成において大事な時期をスターバックスで学べたことはとても大きな意味があると思っています。

それは、KLのスターバックスでも間違いなく感じることができました。
淡白な店員さんがいるお店が多い(という僕の勝手な印象)中で、スターバックスのスタッフさんたちは、やはり親切で優しい人が多かったです。
やっぱりスタバってこうだよねって僕は異国のスターバックスで感じたんです。やっぱり好きだなって。

話がそれましたが、KLの街の中を歩きながら、そんな想いを感じていました。

僕が海外に一人でいく大きな理由は、孤独を求めて行くんです。
独りになるからこそ感じることができる想いがあります。言葉も通じない、慣習などがよくわからない環境に身を置くことが僕は自分の感性を磨くために必須だと思っています。こんな文章を書いていて、愚にもつかないことかもしれないと自分でも思います。

けれど、直接的ではないにせよ、きっと僕の人生にとってどこかで役に立っているはずだと僕は強く信じているんです。

KLは、至る所で、工事が行われていました。
きっとその勢いはまだしばらく続くことでしょう。

僕も自分自身の工事を続けたいと思います。
さらなるバージョンアップを目指していきたい。
日本には閉塞感があるのは間違いありません。だから、僕は海外に出ることを意識的に行いたいんです。それは、自分の生まれた国が大好きだからです。自分の生まれ育った国が、また住みよい街になればいいな、そのために一役買えたらいいな、と恐れ多くも思っているんです。

だって、住みよい国、住みよい街になったら、僕も、僕の周りの人も
さらなる幸せを目指せるのですから。

新しい道をいつも探して、歩いて行きたいですね。

僕は、海外を回りながら、いろんな想いを抱きしめながら
コーヒー豆を焙煎・販売する仕事に今日も熱中しています。

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