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ポグリ・ダージ

秋の雨がそぼ降る宵、私は窓辺に腰掛け、濃いめのハイボールを舐めている。

つまみには、昨夜ヅケにしたスーパーの鰹のタタキを、納豆と一緒に冷奴にぶっかけたものを食っている。

新鮮な鰹を愛する高知人からみたら、私は不道徳な行いをしている。しかし、高知以外でできる精一杯のサウダージはコレだ。

こいつはうまい。ヅケにしたために醤油が、出汁醤油化している。日本食の醍醐味である、生魚、納豆、豆腐が同時に味わえるいいとこ取りな、たしかにうまいツマミではある。

しかし私が今、欲するのはこんな気の利いた小料理ではない。

旬の味覚で満たせないこの心の奥に、思い出と共に深く沈んだサウダージな景色がある。

それは何なのだろうか...

それは、ポグリだ。


ポグリが発明されたのは、1980年代後半以降の韓国の軍隊内での事らしい。

ツマミを一文字抜くとツミになるが、まさに深夜に食べたい炭水化物、背徳の味だ。

名前には聞いていたポグリだが、正しい作法を詳しく知る術はなかった。
そう。一年前までは。

あの日を境に、私は韓国の文化を愛する者の憧れである、ポグリに憧れるばかりの素人から、いわばポグリ体験者になれたのだ。以下、体験記を聞いてほしい。


ポグリとは韓国語で鍋にお湯が沸く時の擬音に使うような言葉らしい。
そのポグリとは一体何なのかというと、袋状のインスタントラーメンを、鍋や器に入れず、袋に直接熱湯を注いで完結さす、インスタトラーメン界の極北に位置する調理法だ。私が知る限りでは、インスントラーメン発祥の日本ですら、このような調理法は聞いたことがない。

一説によると、韓国のインスタントラーメンの袋は分厚く、内側に石油系のコーティングがされてないため、熱湯を注いでも有害物質が出ないと言われている。本当だろうか?

今から一年前のある夜のことだ。ソウルから1時間ほど、電車またはバスに揺られた所に位置する、世界遺産の城がある街、水原市で、日本でいうところの京都の社寺仏閣が立ち並ぶような城を中心とした、
旧市街地を取り囲むように観光業や、現在進行形のヒップ?というよりシャバいカフェがヒプノシスに金太郎飴状態で出迎えるエリア、まさに、石を蹴ればカフェに当たる勢いの地域に、韓国ならではの、あのもちろん、オンドル付きの外壁レンガの古いマンションがあり、その友人宅でのことだった。

私は、冬のライブツアーをソウル、水原と終えて、深夜まで友人とビールや高梨酒、ソジュを呑み、語らっていた。適当な乾き物とソジュなどで、ひとしきり笑いあったあと、突如としてポグリはその場に居た数人で、厳かに始まった。
私のファーストポグリは死ぬ前に食べたいものベスト10に入りそうな勢いの国民食である辛ラーメンではなく、聞いたことないような、しかし、ありふれた?袋麺で執り行われた。

その宵のポグリ司祭は、友人の音楽家のドンサン氏だ。彼はこれを知ってるか?というような、堂々とした素ぶりで、袋麺を開封した。そして、そこに付属のスープの素を半量だけ入れた。

ポグリは、その形状から、鍋で作るような湯の量を入れれない。なぜだかおわかりだろうか?袋の面積に限りがあるためだ。


しかし、この夜は熱湯を袋に注ぐだけでは、すまなかった。なんと、生の卵までドンサン氏はポグリに投入していた。

果たしてうまく調理できるのだろうか?韓国のラミョンを食べたことある人ならわかるが、日本のインスタントラーメンより固めだ。そのため、煮込むとモチモチ感が出る。スープと一緒に煮込むことにより、麺に味が染み込む。

韓国のインスタントラーメンのウマさは煮込みラーメンのウマさだ。
しかし、今宵は鍋を使わない。つまり煮込めねぇのだ。

麺のモチモチ感をどうやって引き出すのか?ドキュメンタリー番組風に言うならば、それは見ものだった。

ポグリは、調理時間含めてその行為自体を愛でる極めてフェティシュな遊戯だ。六畳間程の寝室に友人が数人集まり、袋の内側で麺がふやけるのを想像しながら、温度が上昇したポグリを期待を持ち、皆が見守る様はじつにエロティックだ。

鍋で調理されることを許されない工業製品が熱く濡れ、その関節を思う存分伸ばせないままの体制で、膨れ上がり湯気を吐き、激しく脈打っている。

拘束具を着けられた球体関節人形が、箱に押し込められたかのような、妄想が私には浮かんだ。この袋の中の麺がふやけるまでポグリを放置したい。人類がまた月に行く日まで、その宇宙食としての魅力を備えた叡智の賜物。インスタントラーメン、ポグリをエイリアンとの自由貿易に差し出すため。

七つの海を渡った海賊達は、貿易船に積まれた胡椒を巡り、船を襲った。
南洋の国でしか採れない胡椒は、金(ゴールド)と同じくらいの価値があった。

東アジア経由で行く、壮大なスペースオペラの序章に私の頬は辛ラーメンのように赤さを増す。胸の高鳴りのファンファーレで旅の幕を開けた宇宙空間を彷徨う我々は、アンドロメダでは貴重なポグリを何と交換してもらえるだろうか。

エイリアン達もポグリを知れば、地球に対して、味覚の情景の念を抱くかもしれない。これはサウダージだと。

帰る場所を失った我々、水原(スウォン)宇宙遊牧民は自らの血族のその血を、幼い時から愛したこのポグリを、その種を絶やさないように、今か、今かと、ポグリを見つめている。

ほんのりと水滴が表面の袋に見てとれる。外界と外気が作り出す、温度差、季節という地球からの贈り物を袋に見て、冬の季語はポグリでもあると悟った。季節を忘れるぐらいポグリに恋したポグリ恋しい我々。

宇宙での5分は、地球ではどのくらいの時間に換算されるのだろうか。

ポグリ、ポグリと雪が降り出し、雪にまつわる思い出を暖かい暖炉の前で、友人達が順番に語ってくれる。
この長い長い朝鮮半島の冬を無事に越す為に。

韓国とは、ときに氷点下19度、冷凍庫と変わらない気温になる雪国の側面も持つ。ポグリ ポグリ ポグリと、三拍子であるこの音節を唱える。

三拍子で有名な音楽はワルツにサンバだが、朝鮮半島一有名な三拍子の曲は何か知っているだろうか?それは、アリランだ。アリランは、朝鮮半島各地で、異なる節回しと、歌詞を持つ。

今、私達がいる水原市は、京畿道という地域で、この地域には、京畿道アリランというアリランの発祥地であるのだ。

5分で唄い終わるアリランを唄い終わったところ、ポグリがようやく出来上がったようだ。

袋から熱湯がダディ・ダディ・ドゥしないように、2パックを、チャック・Dしていたのは、割り箸だった。

割り箸の先端のみで、袋を閉じ、フリースタイルにみせかけて巾着型の様式美に落としこんだ。ついでに卵も落とし込んだ♡

宝の風呂敷が待望の開封の儀を迎える。卵は煮えているか?麺は煮えているか?心は冷めてないか?ビクトリア朝のラーメン丼ぶりと何か適当なスチーム・パンク映画のダウンロードを本当に用意していなくともいいのか?しかし、5分も放置してスープはまだ熱いか?ストリートは安全か?誰一人として欠けることなくこの時を迎えているか?

ポグリがポグリたる所以である、その袋がついに、自らのアイデンティティを問うように、動揺しながら優しい唄のように、花開いてくれた。

ドンサン氏によって、ポグリの結界が解かれた瞬間だ。

時はきた。 我々がその時を望むなら。


ものを作ることでしか生きていけません。あなたのサポートが、おれに直接響きます。こんな時に乾杯。