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ALIVE



 僕の一つ前の机には、一輪の花が入ったガラスの花瓶がポツリと置かれている。造花のように枯れる気配がないほど、その花は綺麗に咲き誇り、悲しみの感情とはほど遠かった。
 煤がついた教室の壁、削れた木の床、放置された雑巾。誰もいない校庭に、雨の降りそうな悪しき曇天。死んだ人を弔うにはうってつけのシチュエーションだった。おまけに先生はずっと号泣していて、生徒たちも何も話すことができず、黙って各々の思考を巡らせている。一言も発せない生徒たちに、先生は涙を流しながら、
「本当に、悔しいです」
 と辛い心境を吐露した。自分が無力であることを痛感し、自分が受け持っているクラスで生徒が自死した事実に、狂おしいほど頭を抱えているのだろう。
 僕は難しいことは知らない。だからこの事故に対して、どんな立場の大人が関わり、誰が犯人にされるのか、それとも勝手に死んだことにするのか、その辺りの裁断の決め方など知る由もない。だが、しばらくは冷たくて淀んだ空気がこの教室を包み込むだろう。誰もが笑顔を取り戻すには、きっと時間がかかるに違いない。
 死んだ同級生と仲が良かったらしい、とある女の子が嗚咽している。感情を堪えきれずに、つい「どうしてなの!」と絶叫する。彼女の隣にいた別の女の子が、慰めるように肩をさすっている。それを見て、先生がまた涙を流し続ける。
 人間、死ぬものじゃないな、と僕は思う。


 僕は家へ帰るなり、湿った畳の上に転がって、読みかけの単行本を読み始めようとする。本来、眩しい太陽もないから、うってつけの読書日和だった。しかし、とてもじゃないが本を読み進める気分ではなかった。この街全体を統一するような無色の圧力が僕らを襲い、何をしても悲しみを忘れた裏切り者みたいな扱いをされそうだったからだ。
 僕は正直、彼のことをよく知らない。同級生でクラスメイトとはいえ、今はまだゴールデンウィークが明けたばかりで、中間テストすら行っていないのだ。交流も少なく、会話したのは科学の授業で一緒に班になったときくらいだった。実験するために僕が準備をしていた際に、彼も一緒に手伝ってくれた。悪い人ではなかったが、それ以上踏み込んだ関わりにもならず、上部だけの関係にとどまっていた。
 それで悲しみを強要されるのは無理がある。たしかに同級生が自死するなんて、まるでドラマみたいな経験をするとは思ってもいなかったから、最初にその話を聞いたときには驚きを隠せなかった。
 だが、きっと僕はそのドラマの映像の中には映っていないだろう。彼との関係性はほとんどないから、出演しても脇役がいいところで、画面から見切れてしまって、おまけに出演料も格安に違いない。
 彼はおそらく、学校か家庭で辛いことがあって、世の中に嫌気がさして死んだのだろう。この社会は幼き頃に抱いた希望を抱き続けることができるほど寛容ではない。いざとなれば、平気で弱い人を切り捨てていく。だから、図太くて卑怯で、過去を顧みない人だけが生き残っていける。そして、誰かを蹴落としても平気な奴こそ必要とされる。僕の同級生は、きっとそんな仕組みをまじまじと見る機会があり、その闇を前屈みに覗き過ぎたせいで、誤って絶望の谷底へと堕ちていったのだろう。それはそれは、大層気の毒なことだった。
 遠くで雷が鳴っている。僕は空気を入れ替えるために開けていた窓を閉め、障子も閉めて、部屋の電気をつける。ついでに降ってきた雨の音を聴いていると、先ほどの先生の涙が連想されて気分が萎えてくる。仕方なく、僕は読書を放棄して、部屋からヘッドフォンとパソコンを持ってくる。
 和室で聴くジョナス・ブラザースは、明らかに異質な感覚を味わうことができる。ヘッドフォンからは、日本的な文化を寄せ集めた部屋に似合わない、コテコテなポップロックが奏でられている。憂鬱さを体現しているビリー・アイリッシュの方が好きだったが、今日は彼女の歌声が僕を穏やかにはさせてくれないと、この体内の本能が抵抗したのだ。
 僕にとって三度の飯よりも大事にしている読書を奪われてしまった今、それでも活字に触れていたくて、僕は愛用している投稿サイトを漁る。主に素人が創作した作品を見ることができるこのサイトは、小説やエッセイに限らず、写真や動画、音楽なども投稿されており、僕に様々な気付きを与えてくれる。創作が僕に想像力を与え、映像が僕に刺激を与え、名もないミュージックが僕を感動させる。そして、無意識に素人の作品を見ていると、時々僕を驚かせる作品に出会う。
 それは突然に、偶然出てきた日記を謳った投稿だった。今日の午後四時ぴったりに投稿されているらしい。きっと予約投稿で設定したのだろう。
 題名は『ALIVE』と書かれている。
 意味は、生きている、だっただろうか。同級生が死んだ放課後。僕はその文章に無性に惹かれた。


「命が恋しければ、この時代に生まれてくるべきではない。争うことが嫌ならば、この世界の存在を憎むしかない。虐げられることが苦痛ならば、未来などないと思った方がいい。あるのは、死のみ。
 私のように、心が汚れ、荒んで、ボロボロになっていくことに抵抗するならば、自ら抱えた全ての闇を放つべきだ。そして、別世界で生きるんだ。誰にも憎まれず、嫌われず、虐められない、楽園に住むしかない。そうだろう? 哀れでクズな、僕の同級生たちよ」


 その文の末には、数枚の写真が載せられていた。複数の生徒が、ある生徒に馬乗りになって殴っている写真。殴られている生徒が、四つん這いにされて首を絞められている写真。さらに、蹴飛ばされた状態を見て嘲笑っている悪魔たちの顔がはっきりと映し出されている写真。そのどれもが、リアルな現実を写し出している。
 僕は思わず目を見開き唖然としてしまった。何度見ても間違いない。殴られて、首を絞められ、蹴飛ばされている男の子も、そしてそれらの暴力行為をしている男の子たちも、みんな見覚えのある顔だったのだ。
 そして写真の下には、ご丁寧に住所とフルネームまで記されていて、もはやプライバシーのかけらもなかった。彼らはそのうち、社会的に処刑されるだろう。ワイドショーも週刊誌も飛びつき、閉塞感が漂うマスコミを世間が野次馬精神を全開にして追い続けるだろう。SNSは彼らを血祭りにして、罵詈雑言や誹謗中傷を浴びせた挙句、めちゃくちゃにするだろう。
 これから起こりうる未来を想像するだけで、何もかもが恐ろしくなって、僕は陽気なBGMを止めた。
 まだ続きがあるようで、僕は同級生の遺言を読み続ける。

「この文章が晒されたとき、僕はもうこの世にはいない。だから僕の声なんて聞くこともない。ましてや、これから先僕を思い出す人なんていないだろう。
 ただ、僕は誰かの天罰のせいで、今までこの世界を生きなければならなかった。だから、最後の別れの挨拶くらいさせてほしい。そして、僕を殺した罪を償ってほしい。僕はこの世から消えるきっかけを生んだ、哀れな同級生たちを道連れにして、これからも理想の世界を彷徨いながら生きていくから。
 さようなら、我が人生。こんにちは、僕の永遠の命」


 最後に「鳥越泰大」と自身のフルネームを記して、その記事は終わっていた。
 喉に異物が引っかかり、上手に飲みこむことができない。全身に鳥肌が立ち、金縛りに遭ったように身動きが取れない。心臓がこいつに掴まれて、離してくれない。
 僕の同級生は、本日未明に自殺をした。すでに生命は絶たれて、彼はどこかへ行ってしまった。だが、彼は死んでいなかった。死んだわけではなく、きっと僕らには見えない別の世界で生きているのだ。怨念だけをこの世に残して、彼はこの世界を恨みながら、どこかで生き続けている。
 雷の轟は、まだどこかで鳴り続けている。


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