妄想人生〜体験版〜 (短編小説)


「先生、僕に鮮やかな妄想を与えてください!」
 僕が言うと、先生は「わかってますよ」と、興奮する僕をベッドに寝かせて、脳内をコントロールする準備を始めた。
「では、リラックスして、ゆっくりと深呼吸をしてください」
「わかりました」
 僕はスウっと息を吸って時間をかけて吐く。何度か繰り返しているうちに、僕は深い眠りについた。

 これから、僕の脳内にて『妄想人生』が始まる。

『今のあなたは、妄想人生の中にいます。この中なら、あなたはどんな願いも叶えることができます。早速ですが、先ほど会話したときに見せてもらった女性、佐々田麗華さんを登場させますね』
 先生の話が終わって目を開けると、僕は公園の噴水広場で麗華さんと待ち合わせをしている状態だった。
「あ、お待たせ剛くん。元気だった?」
 僕が会いたい相手、麗華さんが現れる。
「う、うん。元気だったよ」
 麗華さんは僕が望むように笑顔で話しかけてくれる。僕が一番最初に好きになった麗華さんの明るい髪が、眩い光を放つ太陽に照らされて、一層色味を増している。
「今日は何するの?」
 僕は脳内から様々なシチュエーションを選択することができる。ただ、今日は体験版だから、一時間しか遊ぶことができなかった。
「そうですね。えっと」
 吐きそうなほど緊張感に包まれる全身を、僕は今リアルに体感している。何をしよう。やりたいことは山ほどあるけれど……。
「あの、麗華さん。一緒に散歩しましょう」
 僕はとにかく、胸の内に秘めているこの想いを伝えたかった。
「はい、わかりました」
 麗華さんは僕の高校時代の一つ上の先輩で、僕は初めて麗華さんを見たときから、ずっと恋焦がれ、追い続けていた。だが、結局一度も声をかけることもないまま、彼女は卒業してしまった。
 あれから十二年。三十路を間近に迎えた僕の想いは、何も変わっていない。
「麗華さん。僕、ずっと麗華さんのことが好きだったんです。でも、なかなか声をかけることができなくて、僕は片想いのまま終わってしまったんです。そのことを、僕はずっと後悔しているんです。あのとき、どうして声をかけられなかったのか、どうして好きと言えなかったのか。時間が経つたびに、悔しい気持ちが蓄積していく自分が嫌でたまらなかったんです」
 麗華さんはずっと僕の目を見て話を聞いてくれる。まるで、昔から僕の存在を認識してくれていたように、親しげな眼差しを僕に向け続けている。
「僕、麗華さんのことが好きです」
 人々の足音、そよ風で木々が揺れる音、そして、麗華さんが「ありがとう」と呟く音。それら全てが僕の脳内を刺激して、僕を幸福な気持ちへと導いてくれる。
「剛くんがずっと私のことを応援してくれていたこと、ちゃんとわかっているんだから。でも、剛くんはちょっと怖がりだったんだよね。だから、私に告白ができなかったんだよね」
「はい、おっしゃる通りです」
「私、ずっと待っていたんだ。剛くんが告白してくれることを。そして、告白してくれたら私もきちんと想いを伝えようって思っていたの」
 心臓の鼓動が急激に速まっていく。僕がずっと片想いしていた麗華さんが、たった今目の前で僕と打ち解け合おうとしている。二人が一つに重なり合おうとしている。
「剛くん。私も剛くんのことが好きです」
 今、僕らの空には、無数の煌めいたハートがヒラヒラと散りばめられている。それぞれ十二年越しの想いが募り募って、ようやく実を結んだ、温かい恋の結晶。
「あの、麗華さん。もしよかったら、手を繋いでもらってもよろしいでしょうか?」
 僕の緊張感満載な言葉に、麗華さんは思わず苦笑してしまう。
「剛くん、もっとリラックスしてよ」
「あ、ごめんなさい」
「いいよ。じゃあ、一緒に手をつないで私の家に帰ろうか。私がおいしい料理を作ってあげるから」
 麗華さんの手料理。夢にまで見た、麗華さんの……。
 ただ、僕はその味を知らないままで、この世界を去ることになる。
「行こう、剛くん」
「う、うん」
 僕は麗華さんの温もりを感じながら、麗華さんの家と思われる場所まで歩いた。その間、麗華さんはずっと僕に話しかけてくれたが、左手に感じる愛の形に酔いしれて、僕の頭は何も機能しなかった。
「着いたよ」
 やがて、麗華さんの家に着き、麗華さんが鍵を開けて入っていく。僕も扉を開ける。すると、目を眩ます閃光が僕を襲ってきて、前が何も見えなくなってしまった。
『すみません、本日はここで終了です。これ以上の設定は作っておりませんので』

「いかがだったでしょうか」
 目を覚ました僕に、先生が問いかける。
「麗華さんに、きちんと想いを伝えることができました。それに、きちんと温もりを感じることもできました」
「それはよかったです」
 僕はゆっくりと身体を持ち上げて、現実世界に戻ってくる。この無機質で彩りのない部屋は、僕の心をガラんとした空洞にさせた。
「前山さん、これは妄想人生の体験版です。きちんとしたものは料金が高くなりますが、より踏み込んだ展開を見ることができます。いかがでしょうか?」
 僕らはたとえ妄想の世界でキスをしても、この現実世界で本当に結ばれるわけではない。それでも、僕は愛する人ともっと深く結ばれたかった。
「先生、続きをお願いします」
 僕の妄想人生は、長い旅路のようにどこまでも続いてしまうのだろう。


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