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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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父の人生を変えた『一日』その77 ~与信~

その77 ~与信~  当社の長岡に着任するなり、営業本部営業から―スペースネオトピア(宇…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その76 ~忘却の闇に捨てる~

その76 ~忘却の闇に捨てる~  ゴルフでも何でも、「もし、こうであったら」と思う時があ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その75 ~臥薪嘗胆~

その75 ~臥薪嘗胆~  茨城の一族にも相談した。元来、㈱トーメンで一生働く事になる事を…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その74 ~酔っ払い~

その74 ~酔っ払い~  『おい、ライオン あの吉川って言う男はどういう男だ?』 朝一番で…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その73 ~男の約束~

その73 ~男の約束~  『男の約束』と言う言葉がある。 当社、創業者、会長が畳に頭をこす…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その72 ~憧れの人~

その72 ~憧れの人~  井上専務が言った。 『おいライオン、西垣林業と商売どうなっている…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その71 ~男と漢のロマン~

その71 ~男と漢のロマン~  私は㈱トーメン時代偉いさんによく可愛がられた。その中に井上専務がいる。財務経理本部で実績を伸ばし出世街道を走ってきた専務である。頑固者で有名であり口の悪さも定評があった。専務だけにお抱え運転手付きであるが自分の脚は健脚丈夫だと言って朝は地下鉄で会社に通っていた。麻雀・ゴルフの大好きな専務であった。富士山の見える天城に別荘。そこに、ゴルフ会員権を持っておられ、よくそちらに遊びに行った。奥様も元トーメンの社員であったという。素晴らしい奥様であった。

父の人生を変えた『一日』その70 ~再スタート~

その70 ~再スタート~  20年前に着任してから3億8千万円あった借入も全額返済し新社屋も…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その61 ~ケチな先輩~

その61 ~ケチな先輩~  ㈱トーメンの給料日は毎月15日であった。私は柏の独身寮にいた。…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その60 ~死~

その60 ~死~  2年生先輩の逸見先輩が受け渡し部にあまり大した用事でもないのに私の所に…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その59 ~部下~

その59 ~部下~  アメリカから帰って東京本社木材本部米材課の課長で働いた。夕方、課員…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その58 ~英語~

その58 ~英語~  本部長から呼び出しがかかった。偉いさんが集まっていた。 「ライオン、…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その57 ~戦闘部隊~

その57 ~戦闘部隊~  その日は異様な雰囲気の日であった。㈱トーメンの木材部の上席はあ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その55 ~時間と縁~

その55 ~時間と縁~  人生は何が起こるか分からない。『人生はあざなえる縄のごとし』と言った人がいる。 禍福(かふく)つまり幸福も苦労も縄のように順次起こってくるものである。新入社員で外人と国際結婚したクーガー堤君は今や世界一の木材会社ウエアーハウザー社の日本向けセールスマネージャー販売部長になっている。数年前にシアトルに行ったときも会ったが全く元気で頑張っていた。 長岡新聞に寄稿した『ライオンが吠える』にでてくる下條さんは昭和49年に70万円のお金を払えなかった人。今やポ