マガジンのカバー画像

父の人生を変えた『一日』

101
父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
運営しているクリエイター

記事一覧

父の人生を変えた『一日』その100 ~夢と希望~

その100 ~夢と希望~  人生は環境によって非常に変わるものである。新幹線のように高速…

水澤元博
3年前
2

父の人生を変えた『一日』その99 ~シャミー~

その99 ~シャミー~  アメリカに駐在して家を借りた。シアトルの隣町、ベルビューのベル…

水澤元博
3年前
1

父の人生を変えた『一日』その98 ~死ぬまで勉強~

その98 ~死ぬまで勉強~  3枚分の黒板は英語の単語でびっしり一杯になった。田舎の少年…

水澤元博
3年前
2

父の人生を変えた『一日』その97 ~長老~

その97 ~長老~  電気業界に入って早20年になる。20年前当時を思い出してみた。もちろん…

水澤元博
3年前
3

父の人生を変えた『一日』その96 ~生き字引~

その96 ~生き字引~  高校なり大学を経て当社に入社する。そうすると必ずある部門に配属…

水澤元博
3年前
2

父の人生を変えた『一日』その95 ~工事を恐れろ~

その95 ~工事を恐れろ~  某スーパーゼネコンは事故を起こすとイエローカードがでる。経…

水澤元博
3年前
3

父の人生を変えた『一日』その94 ~セカンドネーム~

その94 ~セカンドネーム~  アメリカに駐在する日本人の総合商社マンは必ずセンカンドネームを持つ。なぜかというと例えば、森田幸夫さんの幸夫が英語で言いにくいからなのです。幸夫は英語で言うと幸いな夫だからニックネームセカンドネームはLucky幸運ラッキーとなって公式名刺にもYUKIO Lucky MORITAと書かれるのである。 先輩の安川さんは恒(つね)勝(かつ)だったので恒に勝つから勝利のVICTORYでビック安川となるのである。背丈が小さい小林先輩が駐在できた。本当に小

父の人生を変えた『一日』その93 ~365日24時間対応~

その93 ~365日24時間対応~  電気関係の仕事は24時間絶えず仕事の時間と思わなければなら…

水澤元博
3年前
2

父の人生を変えた『一日』その92 ~物件に秘められたドラマ~

その92 ~物件に秘められたドラマ~  長岡には法務省直轄のいわゆる「少年学院」が悠久山…

水澤元博
3年前
5

父の人生を変えた『一日』その91 ~信念を貫きとおす~

その91 ~信念を貫きとおす~  新潟の某電気工事会社の社長がライオンに因縁をつけて喧嘩…

水澤元博
3年前
3

父の人生を変えた『一日』その90 ~生き残りの時代突入~

その90 ~生き残りの時代突入~  新潟県の電気業者は父ちゃん、母ちゃん2人でやっている会…

水澤元博
3年前
6

父の人生を変えた『一日』その89 ~親父。。。ディナーショー~

その89 ~親父。。。ディナーショー~  素人がディナーショーをやる。前代未聞のことであ…

水澤元博
3年前
1

父の人生を変えた『一日』その88 ~情熱と覚悟~

その88 ~情熱と覚悟~  建設業特有な商売形態が存続していた。いわゆる『随意契約』であ…

水澤元博
3年前
2

父の人生を変えた『一日』その87 ~長岡財界デビュー~

その87 ~長岡財界デビュー~  長岡に着任して右も左も分からなかった。創業者の親父さんが色々と気を使ってライオンズクラブに入会させて頂いた。着任して2年目であった。最初、商工会議所に入れようとしていたみたいだが親父さんが1号議員をしていたのでライオンズクラブとなった。 異業種交流会みたいな奉仕団体で色々な人的人脈ができあがった。ある人曰く、ライオンズクラブは『生まれたときから死ぬまでお世話になれる』と?言った。つまり産婦人科の医者から亡くなったときの坊主までライオンズマンで