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父の人生を変えた『一日』その74 ~酔っ払い~

その74 ~酔っ払い~
 『おい、ライオン あの吉川って言う男はどういう男だ?』
朝一番で井上専務から言われた。
『何かありましたか?』
麻雀に帰りに駅でばったりあったそうである。吉川さんかなり酒に酔っていたらしく、ずうずうしく専務の家までのこのこ、付いてきそうである。そして、奥様のお酌で夜遅くまで飲んでいったそうである。挙句の果てに吉川さんは専務の値段の高い靴を間違えて履いて深夜に帰ってしまったそうである。
『専務、酒癖が悪いので堪忍してやってください』とライオンは言った。ふーんといって―変わった奴もいるものだ―と言って笑っていた。正気なった吉川さんはかなり恐縮して小さくなっていたという。しかし、会社の専務の家に酔いに任せてとは言いながらも上がり込んで酒をご馳走になり靴まで間違えて帰るほど肝っ玉の据わった人もいないものである。
 奥様もお料理出してお酌してご馳走して、たいした奥様である。酔った勢いで奥様を「ねえちゃん」とまで呼んだそうだが、全くおかしくて笑ってしまう。「何処でうちの主人と友達になったのかしら?」と奥様は思ったそうであるが、その時が初めてに出逢いだったそうである。笑ってしまう話である。
『おい、あいつ変わった奴だな』
専務が言った
『酒がそうさせるにでしょう』
ライオンは苦笑しながら付け加えた。

~倅の解釈~
 親父はまったくもって酒が飲めない。飲めるのだが呑まないとか、若い時に体を壊して飲まなくなったとか色々と言われるが、「まったくもって飲めない」のである。この遺伝子を継承した私自身もお酒は得意ではない。井上専務の自宅に酔っぱらって乗り込んだ吉川さんが少しうらやましかったのであろう。
 親父は様々なお店にアテンド用にお酒のボトルを入れていた。お互い呑まないので、親子で飲みに行くことは無かったがクライアント様を共にアテンドしたことは多々あった。そこでも親父は徹していた。コーラを必ず飲んだ。ある日、長岡でアテンドしていた時、親父から言われた。
 『お前も飲めないんだろう?』
 『はい』
 『接待とかで呑まなくてはならないときはどうする?』
 『飲むしかないでしょう』
 『ふん。甘いな』
 確か東京のお店であったと思うが親父が珍しく水割りを頼んだ。横で呑んでいる。
 『本当は飲めるの?』
 『馬鹿、飲んでみろ』
 ウイスキー水割りに似せたウーロン茶水割りだった。確かり目の前でウィスキーのボトルから入れていたのを見ていたのだが、不思議だった。親父は手取り足取り物事を教えてはくれない。ここからは想定とリサーチ。聞くところ、シーバスとか親父専用のボトルにウーロン茶を入れさせていたのである。親父は必ずアテンドのお店を事前に決めていた。下手したら、事前に下見で店に出向き、しっかりとお金を落として、当日の環境づくりをしていたのである。
 私はまだまだ甘いのでここまで出来ていないのでたまに飲んでしまい、凄まじい体調不良に陥るが親父のような365日24時間体制で仕事、商売、商人道のことをもっと考えないと駄目だと痛感する。親父と二人で飲んだことは一度もないが、食事はしょっちゅう一緒に行っていた。親父がなくなる1週間前、珍しく長岡で時間があったので親父を誘って昼食へ行った。うれしかったのか、電話したのが10時30分。無理やり行きつけのうどん屋を11時にあけさせて二人でみそ煮込みうどんを食べた。これが親父との最後の食事となった。毎分、毎秒、親父との時間は戦いであり、学びの場であった。本音をこぼすと、親子としての時間をもう少しほしかった。親父が引退した後、計画していたが、この夢かなわず。でも、商人の倅として商人の家族に生まれたのであればこれが天命と思っている。


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