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父の人生を変えた『一日』その59 ~部下~

その59 ~部下~
 アメリカから帰って東京本社木材本部米材課の課長で働いた。夕方、課員で飲みに行くことに成った。ところがテレックスを打っている部下がまだ終わらないと言う。困ったものである。毎日毎日、夕方沢山のテレックスが流れており部員が遅くまで打っていた。私は人事部に飛んで行った。課員を2人増やそうと思った。人事部長は喜んでいるようであった。ライオンさん1人増やすと分担金が半年6ヶ月で5千万円かかりますよと言った。2人増やすと年間2億円の経費増になりと言う。
ガッカリした。そしてテレックスの件を色々相談した。人事部の隣に関連会社があった。その中にトーメン関連の人材派遣会社があった。それならライオンさん2人のテレックス打つ専門の派遣社員を付ければ経費も安く問題解決すると言われた。なるほどと思った。人事部長は更に付け加えた。本社員と派遣社員の待遇では差別をつけないようにやんわりとご忠告を受けた。最初は意味がよく解らなかったが人材派遣会社の人を使ってみてよくわかった。
 本社員と派遣社員のでは大きな違いが『年収』の部分であった。しかし、私は飲みに行く時も課で行動する時は皆、一緒に行動した。本社員だろうが派遣社員であろうが全く同じ態度で望んだ。身分が違っても自分の部下とは可愛いものである。運命共同体の中で一緒に働く喜びをかみしめていた。
木材部の中で米材課は花形とも言われていた。また、東京本社だけに全国から社長、専務クラスが表敬訪問で挨拶に来られる人が多くいた。更に海外のシッパーが訪問され色々アテンドする部署でもあった。部下を巧みに使う事に関して私は『合格点』であったと自負している。


~倅の解釈~
 父はよく部下を自宅まで連れてきた。覚えている。飯を喰わすためといつも言いながら若手を連れてきた。子どもながらに、父の背中を見てきた。残念ながら、父が日本で働いている姿は2年ほどしか見ていない。中学3年で留学してしまったからである。今振り返れば、もう少し父が商社マンとして日本でバリバリ働く姿を見ていたかった。アメリカから日本に大学受験で戻ってきた時は水澤電機の副社長となっていた。サラリーマン課長である父の働く姿からもう少し学びたかった。
 大手企業の課長となれば、中小零細企業の社長ぐらいの責任があると感じる。人数、予算考えても、50人規模の中小企業と一緒である。ただし、内部ガバナンスを取るために規則や規定は間違いなく大手企業の方が厳しい。この厳しさに私は中小零細企業の発展のヒントがあるのではないかと最近よく考える。
 私もサラリーマンを5年ほど大手企業で経験したが、『厳しさ』という面では中小零細企業とは比べ物にならないほどである。この不条理な『厳しさ』に企業戦士を育てるエッセンスがあるのではないかと考える。人財育成の本質がそこにあるに違いない。
 『トーメンではこうしていた』
 『大手企業ではこんなの通用しない』
 『もっと大きな発想で物事を考えろ』
 親父から良くこのように叱られた。当時は、『うちは、中小企業だから無理だ』と反論したものだ。今になって振り返ると親父が求めていたことが痛いほどわかる。

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