学校の現在地 【4-先生の暴走】
学校の現在地 【4-先生の暴走】
最近僕が、チーム内で言及していることの一つが、「先生の暴走」です。
時代が巡り巡って、今、ココ、みたいなものなのですが、
不条理なクレーム時代から、対処は割と落ち着いてきて、
先生が本来の授業やテストやその他様々な指導において、
野放し状態、みたいなことになっているように感じることが増えました。
いわゆる、先生の暴走です。
理不尽なクレームにもある程度慣れ、もはや、他者の目が気にならなくなった先生の暴走です。
ただでさえ、村的組織、自浄作用が働きにくい組織にあって、何も恐れず、意見は無視して、他人の目があってもないような状況になっているというのは、かなりまずい状況だとも言えるでしょう。
これに影響を与えるのは、地域の教育熱と、民度・文化度です。
地域特性がありますから、全国で同じ症状が出るかどうかはよくわかりません。ただ、こういう地域もあるということです。
見る人が見れば、わかる人が見れば、
このテストはないよね、
この授業はないよね、
この指導はないよね、
この言葉はないよね、
というものが、無制限に広がっています。
そう、暴走、という形容が一番しっくり来る。
この状況をみて、先生の質が落ちた、と感じている一般の方も多いかもしれません。
おそらくそれは、暴走、によるものなのだろうと思います。
質が落ちたという言い方を一概にするのは、いつの時代も難しい。過去だって、もっといい加減な先生いっぱいいたじゃないか論が、反論として展開されるからです。
だから"質の低下"とは言わず、あえて、暴走という言葉を使うのです。
そうすると、質をどう確保するかではなく、
暴走しないために何が必要か、ということを考えることになる。
そのことが、ここでの問題へのアプローチにつながると思っています。
仕事でもクリエイティブでもなんでも、独りよがりというのは、やはりどこかに隙があり、どこかに負の要素があるわけですから、自分の仕事が暴走しないために何が必要かを考えることは、プロの仕事人、職業人が考えなければならないことだと思います。
そんな最近の、気になる「暴走」について書いてみました。
(おわり)
おすすめ本
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。