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【穏やかな子育てのために/最初にすべきことと二つの指針】

【穏やかな子育てのために/最初にすべきことと二つの指針】

我が子の学習。

頭が痛い方も多いでしょうけれども、これは親が親として逃げることのできないことではあるので、親がパンクしない程度に、できればできるだけ穏やかに、取り組んでいきたいものです。

普段書いている連載では、主に親御さん向けに子どもの学習について書いていますが、そこに近いテーマで、ここでも書いておきます。

誰にとっても、親の役をこなすのは、初めて、ではありますから、思うようにいかなかったり、後々後悔する、なんてこともあるでしょう。

それは致し方ないことだとして、できるだけ、我が子のためにも、同時に、自分の平穏のためにも、わからないことや知らないことは、学び、成長していくことが、とても大事です。

その前提で、書いていきます。


私は完璧な人間、親としてもパーフェクトヒューマンなのでそんなものいらないという人は、
ここで読むのをやめてくださいね。


さて、何を私たちは親として学ぶ必要があるのか。


まず第一に、これまでの自分が育てられてきたやり方を、手放しましょう。

これがスタートです。

大抵の場合、子育てというのは、勘と感覚で行ってしまいがちです(笑)。
その勘と感覚というのは、自分が親から受けた子育てから来ているんですね。ゆえに、結果として、自分が育てられた方法で、自分の子にも子育てをすることになる。

時代が違えばそれはそれでもいいのですけれども、今は科学が更新されすぎてしまっていて、従来の「正しい」が、嘘になってしまっています。
同様に、テクノロジーの進化もあり、社会と社会が持つ価値観が変わってしまいすぎています。

なので、ちょっとここは、論理的に、諦める。

そして、子も自分も苦しめないですむ、穏やかな世界を手に入れるのです。

自分が実際に受けた子育てを捨てる。決して真似ない。

また、同時に、ここでは学習に関わる面についても、捨てる。

学習界隈の話も同様に時代錯誤になっているからです。


では、次。


学習面で、指針になることを書きます。

それは、2つの基準を変えること。

1つ目、子が「いやいややる、苦しんでやる」を捨て、子が「望んでやる、納得してやる」という基準に変えること。

2つ目、親の「指示命令強制」こそ正しいという過去の過ちを捨て、子が「自らの意思により、選択し、決定してやる」という基準に変えること。

以上です。

理由は簡単です。
それが科学的に正しいこと、そして、子供はもちろん、親御さん自身にも、それが穏やかな自分、平穏でいられるメンタルをもたらすからです。

子育てノウハウ、勉強ノウハウでよくあるのは、「こうすれば、楽チン、パーフェクトに理想達成、ニコニコママ」みたいなもの。
残念ながら、そんな安直なことは言いません。
苦しいことがないとも言いませんし、ストレスが0になるとも言いません。 

考えてみてください。

子育てにおける、子どもたちの学習と習慣について、取り組むということは、そのことを通じて、成長と学びを得ていくことを意味しています。
成長し、成熟に向かう。成熟とは複雑性をましていくこととも言い換えられます。

このような、人間性の形成のようなものへと進むのに、ただの楽(らく)、ただただパーフェクト、理想通り、なんてことがあり得ますか?
何の負荷もかからない生物に成長がないように、何の負荷もかからない人間にも成長などないはずです。

特に、成熟=複雑になっていくことだと捉えれば、
我が子がなんとも煮え切らない態度や行動をとる、なんてことは当然のことになるわけです。
この子は一体何を考えているのだ、一体どうしたいのだ、となると、親はストレスを感じる。
当然のことです。
我が子は、ますますよくわからんやつ、になるんですから。

よくあるノウハウが、(あまり言及はしませんが)、この点で、逆の方向に向かうリスクを抱えているものだということがおわかりいただけるはずです。

楽チンで、パーフェクトで、理想的。
あなたをそんなふうにしてくれる「よくわかる子」「わかりやすい子」に、本当に育てたいですか?と。


話を戻しましょう。


苦しいことが0にもならないし、不安だってあるでしょうし、ストレスも0にはならない。

それを承知した上で、2つの基準を変えること。

1つ目、子が「いやいややる、苦しんでやる」を捨て、子が「望んでやる、納得してやる」という基準に変えること。

2つ目、親の「指示命令強制」こそ正しいという過去の過ちを捨て、子が「自らの意思により、選択し、決定してやる」という基準に変えること。

これが、重要な指針です。


先に断っておきます。

ここで示した指針を変えることなく、小手先のノウハウで、そのように“見せかけよう”というのは通じません。

「子がいかにも望んでやっているように見せかける」も「子が自らの意思で取り組んでいるように見せかける」も、見せかけである間は、
いずれ、どこかで破綻します。

当然ですけれど、それは見せかけなんですから。破綻して当たり前。

十分に注意してください。


この指針を決定的な柱として、自分の中に「親が」立てることができれば、「強制しないで、命令しないで」それでも子どもたちが学習に取り組めるよう、考えることが可能になります。
可能になるというより、考えなければいけなくなる、のです。

指示命令なしに、どうやって、子どもたちが、納得感を持って勉強していけるのか。

それを考えるのです。

もちろん、叱っても、怒ってもいけません。(これは科学的に脳の変形すら起こすほどに悪影響があるということがすでに知られています)

そうすると、親であるあなた自身が、「ないスキルは学ぶしかない、ない知識は学ぶしかない」ということに気づけます。

この記事の最初に述べましたよね?

成長と学ぶ意思があるかどうか。

学び、成長していく気がなければ、間違いなく、この指針を立てた時点で行き詰まります。

だから、学ぶ。

知識もスキルも、ないものはできない。
素直にここで学ぶのです。

学ぶ内容をここで書くと、本が数冊書けることになるので、言及しませんが、多くの場合、必ず必要になるものがあるとすれば、コーチングの技術です。

なぜなら、コーチングは、相手に指示や命令、強制をしないという前提で作られているからです。


不登校や発達障害の現場では、支援者たちがどようにその人たちと付き合っていくのか、が本や記事などで紹介されていたりしますが、そのベースはコーチングであることが多い。

実はこれ、企業での人材マネージングなんかもそうなんですが、ここにあるノウハウのベースはコーチングであることがほとんど。はっきりそれと書いてなくとも、です。

(なお、日本で使われているコーチングという用語は本来の意味ではなく、別のものを指していることが多いので注意されたし/スポーツで用いられているものは別のもののことが多いです)


ないものは補う。知らないものは知る。

学ぶことが必要な時には素直にそれを学ぶということです。

もちろん、僕も記事や動画シリーズで、これらコーチングベースのスキルを長年にわたり紹介してきていますから、ご覧いただければと思います。 


まとめます。

まず第一に、これまでの自分が育てられてきたやり方を、手放すこと。

指針として、以下の二つの基準を持つこと。

1、子が「いやいややる、苦しんでやる」を捨て、子が「望んでやる、納得してやる」という基準に変えること。

2、親の「指示命令強制」こそ正しいという過去の過ちを捨て、子が「自らの意思により、選択し、決定してやる」という基準に変えること。


我が子の成長と自律をサポートしていく。
そこには、学習面での関わりという難しい要素がある。
そこで、親も子も、メンタルを病むことなく、穏やかに、日々を送る。
それは良い循環を生み、子も親も、共に成長してゆける。


そのために。


(おわり)



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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。