「自主勉ノート」「自学ノート」という誤った言葉が子どもたちから学びを奪う
今や義務教育課程においては、定番となった「じしゅべん(自主勉)ノート」あるいは「自学ノート」。
内容や分量が指示されている時点で、これは「じしゅべん」ではありませんから、当記事を幸にしてご覧いただけた先生方は、即刻、使う単語を変えましょう。
なぜか?
間違えた言葉の使い方や概念を教えて欲しくないのです。もはや致命傷に近いものです。
明日から「じゅしゅべんのうと(自主勉ノート)」や「自学ノート」は、「宿題ノート」または「課題ノート」あたりに名前を変えるべきです。
「うちは内容もページ数も自由だから、自主勉で問題ないのよね?」と思われた方も、残念ですが、同じです。
あなたが「期限を設け、提出を課した」その時点で、それは課題であり宿題なのです。加えて、内申点や授業に関するところで「評価」点の一つにも加えるでしょうから、やはりこれは課題以外の何者でもないのです。
(既に起きていますが)このままでは、
・自主勉強とはやらされるもの
・(自主)勉強とはやらされるもの
・(自主)勉強とは管理されるもの
・自分が自分の修練のために書いたノートも常に人の目、評価の目にさらされるもの
・勉強とは、あらゆる瞬間ですべて同じように、丁寧に綺麗にカラフルにノートを書かなければならないもの
・学ぶとは評価されること
という勘違いが起こり続けます。
言葉を間違って使うことは、この場合、致命的なのです。
学びの最中、過程にある子どもたちに、自ら学ぶことや学ぶことの意義を本当に伝えていくつもりがあるなら、あなたはいまこの瞬間から、誤った言葉と概念の用い方をやめなければなりません。
巷ではもうすでにここを誤って育った世代が、社会に出始めています。
会社や組織で働かれている一般のみなさんは、すでに若者の(劇的な)変化を感じておられるはずです。
教育の現場の、わずかばかりの、ひとりよがりが、すでに、社会では結果となって表面化し始めているのです。
家にじっといる特殊な時だからこそ、学びを見直す。
大人になっても学べる人はどんな人か?
学びの姿勢とは?
学び続けることが私たちに何をもたらしてくれるのか?
あなたの出している宿題課題「自主勉ノート」「自学ノート」は、本当の学びを促すものとなっているでしょうか?
学びとは一体何であったかを、今一度、見直して見ませんか?
このタイミングだからこそ、書いておきます。
(おわり)
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