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なぜそれが先生の"エゴ"なのか?/エゴだらけの現場はまだまだ続く

あいも変わらず、現場の先生の話はエゴだらけ。

自分のやり方以外は許さん、というのを露骨にいう人もいるらしい。


これがなぜエゴかというと、
"学習者が主体になっていない"から。


判断に必要なのは、学習者にとってそれがベストか、どうか。

自身のエゴをその判断、判定の基準にしてはならないのだ。


授業を自分がするから、テストは自分が作るから、
だから、王様である自分に従え、

・・・なんて、

これがエゴ以外の何者であろうか。


それとまあ、この類、大抵の場合は、学問としての基準も無視されている。
教師という裸の王様は、なんと学問よりも偉い存在になってしまうのだ。


ちなみに僕は、学校の先生に合わせてね、といつも話している。
(この点については色々理由があるが長くなるので割愛)


それにしても、
混沌としてきたな。


(おわり)




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