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休校明けの不登校の問題/求められる寛容さ

これから懸念されるのは、不登校の問題です。

ここまでは多くの方がそれどころではなかったわけですが、学校の休校措置が解除となるこのタイミングで、学校に行きたくない、行けない、そうした子へのケアが重要になってきます。

メディアが報じるのは総じて、
「わかりやすいもの」、
「そのように望んでいるもの」、
「受け入れやすいもの」、
「学校に行きたいなあ、友達に早く会いたいなあ」というような、大人の側が期待したいものに過ぎません。 

もちろん、そういう子たちもいます。
(僕がこどもたちから直接聞く中で多いのは、「やることがない」「暇」という声です。友達については、LINEもできるし遊びにも行けるので、それが一番という風には思えませんね。つまり、報じられていることが全てではない)


大抵の場合、メディアで報じられて見えるものは、一つの側から見た断片にすぎません。

たとえ、それがマジョリティーであっても、それが全てではなく、むしろマジョリティー以外のところが今は多様に広がっているのでそこを見逃してはならないのです。


これだけ長期で休み、かつ、先の見えない中で家に閉じこもることを余儀なくされ、体力的にも落ちているでしょう、その中で、いきなり学校に行くことになる。

新しい学年、新しいクラス、新しい学校を迎えることは、ドキドキワクワクなだけではなく、重圧としてのしかかっている。子によっては重圧をより大きく受け止めている子もいる。

終わりの見えないトンネルの中で、そうしたプレッシャーを受け続けた子たちがいることを忘れてはなりません。


やはり、三月から四月と、予定通りスムーズに流れの中で移っていけるいつもの状況とは違うのです。ホップ、ステップ、ジャンプ、みたいな勢いはないんです。

いざ、鎌倉、ならぬ、いざ、学校。

これが子どもによっては、大変なエネルギーを要する可能性がある。

私たちは、子どもたちの声にしっかり注意を向けておかなければなりません。

合わせて、家庭の状況も難しくなっているところへの配慮も必要でしょう。

子どもたちがひたすら家にいて、かつ、することがさほどない状況は、親子関係も難しくさせています。

まずは、学校へ行きたくない、という言葉に耳を傾けること。

今が特殊すぎる状態であることを考えると、無理強いには意味がないこと。

どういうケアができるか、どういう助走ができるか考えること。


さらにその後、学校に通える期間が増えてから見えてくる不登校の子たちへの対処対応が求められるでしょう。

これについては、学校や地域での寛容さを求めたいと思います。


特別な時だからこそ、穏やかに、慎重に。

いつもより少しだけプラスされた優しさを忘れずに。



(おわり)




記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。