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モラルのない民間教育に見えること

モラルの欠如は今始まったことではない。

営利企業の民間教育を提供する企業では、
この緊急事態宣言が出された状況の中であっても、自分たちがどう利益を上げるかに集中するところが多くあるようだ。


自分たちの宣伝のために、オンライン授業します、を、今前面に打ち出してくる。

僕は今まさに現場にいて多くを感じているのだが、子どもたちの学習については非常にセンシティブになっている。 


学校の方針はなかなか見えてこないし、判断や決断、方向性を決めること自体が困難であるから、これについては理解せざるを得ない。


その中で、どこに向かって学習を進めていけばよいかは、課題や宿題が出されるだけの自治体や学校に属する子どもたちと親御さんは、
迷いと不安の中にあるだろうと思われる。


学習時間の調整から、コンテンツ、何をどこまでやるかというような目標設定が見えないのは、
思う以上にストレスがある。
すでに1学期の中間テストは中止になっている中学もある。


考えなければならないことは学習のみにとどまらない。

家庭の状況、親御さんの仕事の状況如何では、大きなストレスに苛まれている家庭がすでにあるかもしれない。

メンタルも、そしてなかなか運動もできない中での健康面も気がかりである。



柱は学校である。
これを関わる者皆が理解しなければならない。

利益のために、子どもや親御さんの状況を無視して、ひたすら授業を提供します、得ですよ、と、うたうこと自体が、相手のことを考えていないばかりか、学校が柱であるという社会的意義を見失わせている。


民間の立場で考えると(僕は非営利法人だけどね)、連絡ツールや資料配布等のシステムをどんどん導入することは即座に可能である。


ところが、僕の側を柱にしたシステムを組み上げてしまうと、学校が遅れて導入する同様のシステムが重なり、ご家庭の負担が増えてしまう。


柱が学校であるということを履き違えた民間企業は、自分たちが主であるかのように振る舞うことで、後々、子どもたちや各ご家庭に過剰な負荷がかかることまでを考えていない。


また、学習そのものについても同じことが言える。

今、オンライン授業が可能だからと言って、闇雲に多くの授業で子どもたちを縛り付ける。


すでに課題や宿題は山ほどある。
加えて、オンライン授業のできない学校も、余裕のある時間で自分たちで取り組みたい学習や主体的な学び、普段の学習を超えた学びに取り組めるようサポートをしている最中だ。
単に教科学習に縛られない学びのチャンスだからだ。

予習復習、到達目標についても定かではない。

その中で、ただ授業を受ければ得と言ったような安易で一方的な押し付けは、子どもたちから余白を奪い、場合によっては過度な負担を強いることになりかねない。

あくまでも柱は学校だ。

利益に惑わされ誰か一者の都合で、強引に一方的に考えられるものではない。


例えば、習い事の先生、習字でもピアノでも、
私が教えているものが頂点にあるのよ、私に準じて行動しなさい、と、それを柱に管理してしまうとしたらどうだろう?
子も家庭も負担が大きすぎてついてはいけないはずなのは明らかである。


総合的に、俯瞰された中で、子どもたちの環境を支援していかなければならない。

センシティブな時だからこそ、僕はこの点をかなり危惧し、センシティブになっている。


子どもたちと直接話ができるので、毎回、そうしたところを会話しながら、進めているところだ。

うちの話で恐縮だが、すでにほとんど定員とはいえ問い合わせ待ちでお待たせしている件も何件かある。慎重になっているゆえに。オンラインが1ヶ月ほどになり、作法もこどもたちの振る舞いも見えてきたので、いよいよオンラインからの入塾もお受けしようかと考えているところだ。


リアルでの授業に戻った時のことも視野に入れた受け入れになるために、正直なところ、そのくらいセンシティブなのだ。


民間教育のモラルの欠如は今始まったことではない。

(やっぱり教育は民間でやること自体は、他の業種と異なり危険すぎる)


親御さんが目先の不安やストレスから、安易な方向に向かわないことを願っている。



(終わり)





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