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休校明けで見えてくるもの/先を生きる先輩の話を聞こう

登校再開で、様々なことが見えてくるはずです。

授業のこと、宿題のこと、
コミュニケーションのこと、
生活や態度に関すること、
これら細々したことにどのように対処、対応していくのか?

そうすると、その背景にある価値観が浮き上がって見えてきます。


学校として、またそこにいる先生として、どのような価値観のもとで子どもたちを“導こうとしてきた”のか、それが見えてきます。
あえて、過去形で書くのは、ひとまず、打たれようとされる策が、かつての価値観によって打たれる策であると推測されるからです。

そしてこれらは、子どもたち伝いに親御さんにももたらされることになる。

まずはそれをしっかりと見つめてみてもらいたい。


果たして、これらは今後本当に必要で、価値あるものなのか否か。 
さらには、未来を生きる子どもたちにとって、真に重要なものか否かを。


その上で期待するのは、未来に向けた、新しい思考とそこにある新たな価値観です。
(現状ではごく限られた人材のいる学校に期待するしかないため、ここは過度には期待しない)

今まで正しい、必要、大事だと思われていたものを今一度見つめ直す。


授業数や学習量が単に足りないからと、
「(こどもたちに)やらせる」にしか走れない
ことだけを見ても、既にある価値観がどんなものであるかが明確になるはずです。


押し付けないと子どもたちは本当に学ばないのですか?
やらされないとやらないのですか?
そんなに自分は強制されないとやらない自分でしたか?
怒られないとその行為を修正できない人間でしたか?

もしそうだとしたら、そもそもこれまで受けてきた教育のあり方を疑ってみませんか?

あなたが叱られたり、威圧されたり、強制されないとできない人間だとしたら、まずはそのような教育を受けてしまったことそれ自体を見直してみる必要があるかもしれません。

(少なくとも僕のところではそのような手法をもう何年も前から捨てています。そして、子どもたちが「やらされる以上に、どんどん勉強をしていく、学んでいく」ということを、実践して目に見える結果を出しています。)


大人である我々は、今一度、自分の中にある価値観を見直さねばなりません。

頼りになるのは、子どもたち自身の既にもっている未来の社会人の感覚。そう、すでに子どもたちは無意識的に未来の姿を知っている。だから、大人こそがそれに耳を傾ける。

これは常々話していますが、子どもたちこそが未来の先輩、先を生きる存在なのです。


もちろん、大人自身も足りないと思えば、知識や情報をもっと取得した方が良いはずです。


(今のところ昭和世代の僕らは、学校教育では明らかに、学べてないことが多い。憲法のこと、民主主義、資本主義、そして人権。それと近代国家成立の歴史)


いずれにせよ、今年は大変大事な年となることは間違いなさそうですから、まずは関わる大人で考えていかなければなりませんね。


(おわり)




記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。