子どもたちの心と身体/親御さんの子育てヒント
子育ては年々困難具合を増していくかのように思える。
養育も教育もこの先の大人は、そうした行為が苦手すぎて、SF作家の想像する管理社会とディストピアで描かれるようなシステムに巻き取られていくのではないかとさえ思えてしまう。(詳細割愛)
その中で、近年気になることの一つは、大人の幼稚化とその単調さである。
当たり前だから子どもたちはロボットでもなく飾りでもない。
れっきとした一人の人間である。
そこには心も身体もある。
ストレスがかかり過ぎると病んでしまうこともあるし、壊れそうになることもある。
ところが、消費とそこにある製品に慣れすぎてしまったせいなのか、まるで、心も身体も無視したような親の側の見方と行動を目にすることが多くなった。
子どもたちも悩みもあれば不安もある。
疲労だってある。
これを無視したまま、大人の側の都合(大抵それは欲であるのだが)を、一方的に押し付ける。
“子どものためを思って”
よくあるこのセリフは、時に、欲や煩悩の言い訳に使われやすいから、慎重な取り扱いが必要だ。
過ちを繰り返さないために。
子どものためを思うならば、まずは、感情を落ち着かせ、一呼吸おく。
その上で、俯瞰的鳥瞰的視座に立ち、冷静な頭で、再度状況を見る。
そこで考えるべきは、“子どものためを思って”彼ら彼女らの「心と身体について思いやること」なのだ。
心も身体も、これらはいずれも脳働きに直結するものなのだ。
だから、ここを見ることなしに、さらなる負荷やストレスをかけることはできない。
子どもたちにも心があり身体がある、一人の人間なのだから。
それこそ、ロボットだとか電気製品のようにはいかない。
あなたの思い通りに、一人の人間をどうにかしようなんて、無理な話なのだ。
だからといって、無力なのではない。
僕ら大人は、彼ら彼女らに、影響を与えることはできる。それは間接的で長期的なものだ。
わずかながらに今日、何かしらのポジティブな影響を与えることはできる。
それはあなたの思考、言葉、行動、によるものだ。
逆にネガティブな影響だって与えることはできる。
今日のわずかばかりのあなたの言葉や行為が、ポジティブなものなのか、ネガティブなものなのか、それを選ぶことができる。
優しさに溢れたもの、温かく優しいもの、希望や安心に満ちたもの。
不安や恐れ、苛立ちや怒り。
あなたはそのいずれかを、子どもたちの人生のために、選ぶことができる。
先述した、幼稚化、単調化は、それらを見失ったものであろう。
わずかばかり、我々は大人になろう。わずかばり努力して、そのようにあろう。
子どもたちには心も身体もある。
そのことを忘れないでいよう。
あなにとって、何より大切な一人の人間なのだから。
(おわり)
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