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差別がダメなのはわかった!でも暴動は問題じゃない?とおもうあなたへ

最初に言います。この記事は長いです。自分の興味あるところを目次でとばして読んでくれても構いません。

差別はいけない。って、どういう動き?

アメリカ全土で、黒人への差別をなくすため、ものすごい数の人間が動いています。日本でも少なからず抗議の光景が連日報道されているのではないでしょうか。

詳細をざっと説明します。5月25日にミネソタ州で、黒人であるジョージフロイドさんが、白人警察官のデレク・ショーヴァンによって、道端で、公衆の前で、首に膝を8分46秒間締め付けられ、殺された事件がありました。この事件は警察官黒人差別問題のほんとうに氷山の一角で、似たような状況で命を失った黒人の方がアメリカにはたくさんいます。"Enough is Enough" (ええ加減にしろよ、といった感じ)のスローガンとともに、長年続いてきた黒人への差別社会システムの不平等さ警察という圧倒的権力からの理不尽な扱いに終止符をうとうと、#BlackLivesMatter の動きが、より一層強まっています。
(この時撮影されていた動画はネット上調べたらすぐに出てくると思いますが、人が殺害されるシーンですので、閲覧の際はご注意ください。)

今回の件を通して、アメリカに住むアジア人として日本の友達から安全を心配されると同時に、ツイッターなどで色んな意見を見かけたり直接いただくことがあります。一連の流れを質問別にわけて、あなたの考えがどの層と一番近いのか比べながら、自分の周りにも問題点をみつけたり会話のきっかけになればいいなと思ってこの記事を書きます。

お断り

この話をするにあったって、とっても重要な大前提として、断っておきたい事があります。私は、アメリカの中でも他の州に比べてもっともリベラルな、カリフォルニアのロスアンジェルスに住むアジア人です。これは黒人の意見を代弁するものでも、彼らの立場になって考えたものでもありません。私がアジア人である以上、「彼ら」になるのは不可能で、黒人として彼らが日々感じていることに「そうだよね、わかる」と言ってはいけないものだと思っています。それは、彼らが私たちアジア人の気持ちを代弁できないのと同じです。黒人としての差別や偏見を経験した事のない私に、できる最大限の事が、「あなたと私の肌は違うけど、それが原因で私はあなたを不平等に扱ったり、差別をしたりはしない。違いを尊敬した上で、一緒に戦います。」ということ、また、「差別なんてそんな今この平和な現代社会で」と思う人に、どういう背景や見方があって今に至るのか情報を広めていく事だと思っています。この記事は、その一部です。

また、この記事を読んでいるあなたの政治思想が私と合わなくても、それについてあなたのことを否定する気も、どうこう言うつもりもありません。私の言う事に何か意見があって、会話が生まれていく。それでいいと思います。

差別はいけない。でも警察官だけが絶対に悪いの?

アメリカの警察官組織の人種差別具合いをちょっとでも紹介すると、「警察官全員が悪い人じゃないでしょ」という意見をもらいます。その通りだと思います。警察官にも「平等に正義感を持った人」はたくさんいます。とりあえず私の調べた事、見た事を聞いていただいて、その後でどう思うか、考えてもらいたいです。

黒人差別は、今に始まった問題ではありません。白人の犯罪者たちが、何人も殺害した後無罪、もしくは軽い刑で処分されているのに対し、黒人には罪はなくとも容赦なく、逮捕現場で殺害されたり、無期懲役を受けたりしている。この対応の差を許してしまっているのは警察のシステムだし、事件が起こるたびに渦中の警察官を有給で休ませて、事が収まれば仕事に復帰する、見て見ぬ振りをしてきた背景があります。

警察官は、「市民を守るため」という正当な理由があれば、人を殺しても罪を逃れられる特殊なお仕事です。でも、正当な理由がないまま、好き勝手に人を殺すのは、どの人間でもおかしいこと、だというのはわかっていただけると思います。

警察官だって、恐怖を感じない無敵の人間ではないでしょう。ユニフォームを脱いだら一般人なんだから、どんなに強い武器を持っていても、強盗や殺人犯と立ち向かうときは、それそうとうの覚悟が必要なんだと思いますし、この職を選んだ意志は心から、尊敬します。

ただ、あきらかに、黒人が半ば強制的に殺され、殺害した白人警察の正当防衛があまり証明されないまま、という一連の流れが全米で何十年も起こり続けると、「一件だけの問題」ではなく、システム自体が腐敗しているのでは、と警察組織に疑いがかかる。

で、タチが悪いのは相手が警察なので、「自分は不利な立場だ、無実なのに理不尽だ」といったところで、「なんらかの理由があったのでしょう」と言われてしまう。被害者が白人であればこの考え方は比較的薄くなり、「警察官にも非はあっただろう」という結論に至る傾向にあります。(そもそも白人が警察官に正当な理由なく殺されるなんていう事件さえあまり起こらないですが。)

これが仇に出ているのが、一連のミネソタのプロテスト。CNN報道局のレポーターが二人、現場から中継をしていました。一人は黒人、もう一人は白人。黒人のレポーターは、生中継中に、警察に身分証明を求められ、記者カードを出すにもかかわらず、カメラの前で逮捕される事になります。

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(レポーター、オマージミネズがテレビ放送中に逮捕される様子)

しかし、すぐそばで中継をしていた白人のレポーターは逮捕されず無傷。「道からどくのを拒否した」と警察側は逮捕の理由を述べていますが、彼らレポートチームが「どこへでも動くから、どこへ行ってほしいか言ってくれ」と言っているのがテレビで放送されているので、証拠は残っています。

この違いはなんでしょうか。(このCNNレポーター逮捕の件に関して、CNN は全面的に戦っており、ミネソタ州知事を謝罪させるまでいきました)

もちろん、警察の中にも差別しない警察官だっています。ただ、警察官だって仕事です。上司関係だってあります。警察官の制服を着るだけで、権力を錯覚してしまう人だっています。(詳しくはスタンフォード大学の危険すぎて5日で中止になった監獄実験をどうぞ)「僕たちは全員わるい警察官じゃないよ」というには、そういう警察官にたいして声を一緒に上げていくか、デモに参加して共に戦うかして、コミュニティー全員がそうじゃないことを証明していかないといけない。同僚が無実の人を殺してしまった時は、組織の見方をせず正義を振りかざさないといけない。外からどれだけ訴えかけたって、組織のシステム自体が変わらないと、前に進めないですよね。

差別はいけない。でもなぜ暴れるの?

暴動化している映像だけを見ると、過激な印象を受けるのはすごくわかります。でも、このプロテストは最初からそうだったわけではありませんでした。

コロナ都市閉鎖のストレスで「ネイルサロンを開けろ、散髪にいかせろ」とデモに武器を持った白人率いる参加者が先週全米に溢れたのとは反対に、今回のミネソタをはじめとしたいろんな州で起きているデモは、武器を持たない、ただ声を聞いてほしい人たちが率いるものでした。

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(こないだまでの白人によるデモ。ライフルを持っているのが見える)

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(地面で横になり、殺された黒人を表現するプロテスト参加者)

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(コロナ感染者の増加を防ぐため、2メートル以上離れて抗議)

この状況の中、警察が催涙ガスやゴム弾を持って現場に出動。武器を持っていない参加者に対し、パトカーで追突して引き殺したりゴム弾で顔を撃ったりしています。そんな状況の時、あなたはどうしますか?身に危険を感じたら警察を呼ぶ!が通用しなくなる瞬間です。この私たちにとって「瞬間的である警察への恐怖」は私たちにとって瞬間でも、ずっと「警察の中には自分たちの仲間を殺す人もいるから気をつけなさい」と教えられてきた人にはどう感じるのでしょう。

プロテストに参加している人たちのツイッターやインスタグラムには、警察官から攻撃を始めた瞬間の証拠がいくつも残ってる。なのにテレビでは過激化したところしか取り上げられてない現実があります。


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(過去に警察によって殺された黒人たちと、その理由を述べたもの。これはほんの一部。自分の家にいただけで殺された人や、彼女を守っただけで殺された人もいる。)


差別はいけない。でも暴動化するのはいいことなの?

一番疑問だと個人的に言われるのが、ここです。「黒人は危険な人間なんかじゃない」と証明するためのプロテストなはずなのに、逆にイメージ悪くなるだけ。とか、関係ないお店巻き込んで意味不明じゃない?とか。

では、例えを使って説明しましょう。何人かの権力者が、フェイスブックでグループを作った時、投稿は自由だけどコメントとイイねした者はグループから徹底排除したとしましょう。法律では、グループの参加権と表現の自由は守られています。ただ、コメントしたりイイねするのは自由だけど自己責任で、グループから除外される。「いやこのルールおかしくね?」と投稿しても誰も反応をくれないので話にならない。その場合、権力者をいっきにコメントやイイねの嵐でタイムラインを荒らしてこちらの本気に気づいてもらうか、権力者をどうにかしてその座から落として変えていくしかないと思いませんか?だって、聞いてくれないんだもんなに言ったって。

実は、今までなんども静かに平和に抗議する試みは行われてきていました。
有名なのでいうと、NFLの選手たちが人種差別がなくなるまで試合の国歌斉唱はひざまづく!といったもの。アメリカでは国歌を歌うとき、国に敬意を払って立ち上がり、胸に手を当てるのは”マナー”です。

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(NFLの大会で、人種差別抗議のため国歌斉唱中に膝をつく選手たち)

これだけでもものすごい数のディベートを生んだんですが、結局はNFLの大会側に、「全選手の国歌斉唱時のひざまづく行為を禁止」されてしまいます。マジョリティー(多数派)である白人が権力を握るNFLでは、この行為は都合が悪かったので、抑圧されます。平和に声をあげようとしたのに、です。今年のはじめに亡くなったバスケットボール選手コービーも、黒人が白人警察に殺された時に言った言葉、I can't breathe (息ができない)が書かれたシャツをきて試合に出たところ、「そういう抗議の方法は違う」と、抑圧されてしまいます。

じゃあどんな抗議だったらいいのか。マジョリティーが世の中の大半の権利を持っているところに、マイノリティーの声を聞いてもらうには、ちょっとやそっとのことじゃ聞かないよ、と証明したのはマジョリティーです。もちろん、この暴動に便乗して高級品をただただ、盗みにいくような人間だっています。でも彼らはプロテスターではありませんのでそこは分けてほしい。

関係のない個人経営のお店や住民が巻き込まれることに関して私は反対です、もちろん違法だし、逮捕されるのはおかしくない。ただ、そうしないと聞いてくれない、問題の種子を直そうとしない社会を作ったのは、差別を受けていない人たち。差別を受けるという理解に苦しむ人間たちに、今度こそ、どうにかして聞いてもらおうとしているのが、今です。実際、今回の件でこの問題についてしっかり考えたのは初めてだと思う人かなりいるのではないでしょうか。本来人の命は「建物」や「財産」と同じ天秤にかけられるべきではないのに、この”暴動”のおかげで話題になり、注目を浴びている。それは、まさに、「ええーこれでビル燃やしちゃうのかぁ」と思うこと自体が、「富」を美化し、それを教えてきたアメリカの膨大な資本主義への憧れがある表れではないでしょうか。

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(ミネアポリスの個人レストラン店主が「正義のためなら僕の店を燃やしてくれてもいい」と発表した投稿)

また、アメリカ各大手も、「共に戦う」などの声明を発表。一番最初にミネアポリスで被害を受けた大手チェーン ターゲット も、「私たちの壊された窓や商品はいくらでも取り戻せるから大丈夫、でも人の命は取り戻せない。この動きを応援しています。」と発表。「悪に悪は正義にならない」のもよくわかります。でも、なぜこういう事件が何度も起こり、なぜその度にデモが起こっては激化するのか、特権者が理由を突き止めて向き合わない限り、いつまでたっても「正しい道」に進めない。そっちに行きたくても聞いてくれない。だから一番、誰にでも目に見える形で、プロテストしているのではないでしょうか。

また、これは日本の教科書では習わないことなのでピンとこないかもしれませんが、アメリカは革命を繰り返してきて出来上がった国です。イギリスからの独立革命、人権革命、市民革命、女性権利革命、などあらゆる問題があるたびに、マイノリティーがマジョリティーを倒してきました。革命は、決して美しいものじゃありません。たくさんの人間が死にます。でも、アメリカで使われる多くの教科書には、革命を「これがあったから、今がある」と美化して教える傾向があります。素晴らしい動きのようにして教える。革命が正しいかどうかよりも、「革命があったから今があるんだよ」と言われ続けたら、追い詰められた時の声の発し方をそれ以外知らないまま育ちませんか?

ただし、暴力を使うことに対して反対するのであれば、あなたが批判すべきは警察だと考えたことはありますか?無実の人を殺しておいて、その責任を取らずに「責任とれ!そういうシステムを直せ!」ていっている人たちを片っ端から暴力で制圧しているのは警察側だと知ると、少し考え方は変わりませんか?

私だって自分の住む街が燃えるのも、人が怪我をしたり死ぬのを見たくはないです。でも、こうでもしないと聞いてこなかった社会がある。キング牧師の言ったように、「暴力を使わないという選択肢は1番の武器」でしょう。でも、黒人でない私には、Riot(暴動)に込められた背景を、「差別なんてない」というマジョリティーの特権者と、一緒に考えていく責任があると思います。もちろん平和が一番。でも、平和な世の中になってほしいと叫んでいる声を受け入れ、その意見に対してサポートし、どうやったら最も平和的に問題解決できるか考えていくように持ってくまでが社会に身を置く人間としての責任ではないでしょうか?彼らなりの声の上げ方に、彼らの痛みを経験していないものが「暴力はダメだよ」って言えるでしょうか?なぜこんな動きが出ているのか見極めて、問題自体の再発を防止するべきじゃないでしょうか?「暴動化するなんて怖すぎ」「意味なさすぎ」と一括りにして問題の趣旨を見ずに批判できるのは、特権者だから言えること、今まで苦しまなかったから言えることです。

「暴力はダメ」「普通の声で届けよう」と真っ向から否定することは、差別はいけないと信じるあなたの助けになっていますか?この時代で差別を終わらせる、差別のない世の中に変えるまで、過去世代がやってきた方法を繰り返す“だけ”では同じ結果が出る。大事なのは、暴力に賛同しなくともその背景を理解し、他の方法を一緒に考えていくこと。暴力なしにも声を聞ける社会になるように。その役割を担うのは、過去の方法の成功も失敗も学んで感じ取ってきた、今を生きる私たちの世代だと思っています。

差別はいけない。でも黒人の命ばっかりが大事なの?

黒人だけかばうのはおかしい、どの人種も尊重されるべきでしょ、白人だって人間でしょ。という思いの節はとても理解できます。でも、Black Lives Matter (ブラックライブスマター・黒人だって権利はある)っていうのは、他の人種は関係ないという意味ではありません。

これに関しては、米人気歌手のビリーエイリッシュがうまく説明してくれてるので利用します。

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(彼女のインスタ投稿)

”もし友達が腕に怪我をしたとする。血を流して痛がっている彼女の横で、「いや、みんなの腕が平等に大事だから、みんなの手当てしてからね」っていう?言わなくない?だって傷を追ってるのは友達だし、血を流してるのも友達だし、痛がってるのも友達だから。もし、家が燃えてます!まだ中に人がいます!って消防車よんで、「ちょっと待ってね、近所の家も平等に大事だから、そっち確認してからね」って言われる?言われないよね、だって燃えてるのはあなたの家で、近所の住民はそんな助けいらないもん。”

わかりやすかったですか?彼女はこうとも言っています。”白人であるあなたに対して、つらいことなんてないでしょとか、悲しいことなんてないはずって言ってるんじゃない。ただ、肌の色が原因で困ったことはない、そう言いたいだけだ。”と。

差別はいけない。でもトランプめっちゃ怒ってない?

この一連の事件に関して、いろいろ声出していたトランプさん。先日は過激な発言で米ツイッター社に「暴力の賛美」だと注意され、ツイートが非表示にされるまでに。あくまで国をまとめるはずの大統領が、「自国民だろうが撃つ!」と堂々とツイッターで宣戦布告するトランプ氏する姿をみて、「ついていきます!差別なんかデタラメ!白人の命だって大事!!」派(ネイルサロン開けろデモ派、統計でみて白人の多い、低教育層)の意見と、「大統領っていう立場使ってこれ以上国をバラバラにせんとって。。。」派(今回のデモ派。統計で見て白人も含んだ多様人種の多い、高教育層)の意見分断は、もっともっと広がっちゃいました。

日本の報道に目を向けると、どうやら極左思考をもつテロリスト集団ANTIFAが今回のプロテストは主役らしい、といった報道内容の印象をうけました。アメリカは、国土も広く、人口も多いです。私の住むカリフォルニア州だけでも、日本丸ごと一個入る大きさです。いろんな人種の人が集まり、いろんな考えを持つ人がいる。右も左も下も上も、一周回った人も、たくさんいます。その中には過激派と呼ばれる人たちはいる。でも、それは全体で見たときのほんの、ほんの、ほんんんの一部です。ANTIFAもその一握りの一部。アメリカ人でも名前を聞いたことない人はいます。トランプ氏は、今回のプロテストをこの団体とものすごく強い繋がりがあるかのように見せかけることで、「自国民でもテロリストは除外します」といったような、一見正義のような見せかけを作れてしまう。国内で国民同士を「半ば意図的に」戦わせることは、本来話し合っていくべきはずの問題に対して、右は「お前らテロリストやろ!」といい、左は「いやテロリストちゃうわ!」といった口論にフォーカスがシフトされてしまうのも事実。結局根っこの人権問題は解決しないまま。

そもそも、ANTIFAって何なのか。テロ集団と呼ばれて少し身がこわばるかもしれませんが、彼らは組織でも、リーダーを持つグループでもありません。国内の問題に対して、左寄りの考え方を持つ上で、解決法をより強引に、もしくは暴力的にとることで世界をよくしようとする思考のことで、それを持つ人を一人でも、Anti-fascist(反ファシスト)といいます。別にこのデモで勢力を広げているわけでも、団結してビルを燃やしてるわけでもありません。プロテストする人の中にはそういう思考を持つ人もいるでしょうが、「アンティファ率いるデモ」といういった報道内容は、首を傾げていいと思います。(左の端っこにこういう考えがあるように、右の端っこにもまた暴力的に事を終わらせようとする考えがあります)また、トランプは今までの歴史の中で、アメリカがこの団体と戦ってきたかのようにおっしゃっていますが、ニューヨークタイムズにある数字が載っていたのでご紹介します。

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アメリカ国内で、2010年から2016年の間に起きたテロ攻撃の53%が過激宗教グループからのもの、35%が極右思考(共和党支持者、極右でいうとトランプさん含む白人主義者、KKKなど)、12%が極左思考(民主党主義者、極左でいうとBlack Pantherなど)によるものでした。アメリカの国民の中には、「今更名の知れない団体持ってきて、ある種のスケープゴートじゃないか?」という疑問の声も。トランプさんの言うように「歴史的に見る」のであれば、左側が何か声を上げた時、右側が極左思考を持つ人々とそのデモをつなぎ合わせ、それを”倒す”正義を支持する(でも本当はテロとこぎつけて潰しにいく)傾向にあることも、テロ思考研究者たちによって研究されています。詳しくはニューヨークタイムズの記事をどうぞ。また、このプロテストが始まる少し前から、都市閉鎖が緩和されてきています。コロナウイルスの感染者数は第二波を迎えるでしょう。でも、トランプはきっと「このデモのせいで感染者が増えた」とかなり偏った(感染者が増えたのはデモのせい‘だけ’ではないし、白人の「ネイル開けろ」デモでも、感染者数は上がりました)内容をツイートするだろうと恐れられています。私も、そう思います。皆さんはどう思いますか?

これが日本で割と大雑把に報道されると、デモの大半がこの’テロリスト’と呼ばれている人なのかなと思ってしまうのも、無理はありません。でもその報道に個人的には違和感は感じても、メディアを非難するのはどうなんだろうと考えてみました。アメリカでさえ、国の中で誤解され、誤解しあって、ぐっちゃぐちゃの状態。それを、文化も言語も違う日本のメディアに、全部理解してクリアに報道しろ!というのは少し強引かも。日本だって日本のニュースで忙しいでしょうに、アメリカの話を徹底解説するのにスペシャル番組を組んだら、それこそ苦情がきそうですよね。誰にだって、全員にわかるように中立に報道しろなんて期待をするのは、よくないのかもしれないですね。

差別はいけない。でも日本には関係ない話じゃない?

日本は人口の98%が「日本人」で、住みやすくて快適なので、日頃不安に思うことや、ん?と思うことを深く掘り下げなくても、マジョリティーであるあなたが全く問題なく生きていける「気持ちのいい社会」ですよね。私も、日本ではマジョリティーに属しますし、マイノリティーの声は届いていても、立場を同じにして戦うことは正しくないと思っています。彼らの声を、マジョリティーである私が代表できないし、「私の話」にはしたくない。

でも、そんな社会で長いこと過ごすと、本当に日頃からある差別や偏見に、麻痺しませんか?周りに、日本語が全く話せない友達はいますか?日本ではないところで育った友人はいますか?彼らが彼らなりに、「これおかしくない?」と感じることを声を上げて来た時に、それを私たちマジョリティーが「いやそれは違うだろ笑」「あなたも悪いんじゃないの?」と言う権利はないんです。だって、経験できないもんその痛み、苦しみ、もどかしさ。

日本で声を上げるのは、アメリカのような多様な人種が集まる国で声を上げることよりも、難しいんじゃないでしょうか。だって、ほとんどが日本で日本語だけで日本の教科書で日本人ばっかりに囲まれて育ってきてたら、せっかくあげた声がよくわかんないまま響かないで終わっちゃう。それを、「いや日本に来たんだから日本のルールに従って・・」「そんなことやってる浮くよ。。。」と片付けれる人は、その気づかない自分の特権を一度日本人があまりいない国に持ち出されてはいかがでしょう。

ここまで書いて、私にできること

何度もいいますが、私は代弁者になることも、差別されている人の立場に立つことも、できません。深い歴史があって、今に至る。アジア人である限り、アジア人以外の人が感じている感情を伝えられません。ただ、アジア人として、どうするべきなのかは考えれる。私は、未だに日本でも差別がないと思う人たち、差別されるのはしょうがないと思う人たちに、日本育ちのマジョリティーとして、それは見えてないだけで、存在しないわけじゃないんだよと教えてあげたい。アメリカで暮らす有色人種として、アジア人コミュニティの一員として、差別には絶対に反対であることを声に出し、差別や偏見に苦しむ人たちの支えになりたい。そして、会話を生み出していきたい、そう思っています。

なぜ日本でももっとこの話をする必要があると思うか、もっと知りたいなら、個人的意見をここに述べています。
https://note.com/masorafukuda/n/nfb3b458110a5



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