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自由すぎて、不自由を求めていた

「なんでもいいよ」
「どこでもいいよ」
「どうにでもなるよ」

という「自由」な選択肢で悩む時。
嬉しくて、楽しくて、ワクワクして…
でもしばらくすると…自ら自由を手放そうとしていることがある。


自由すぎて、不自由を求めていた


ここ数日、先日手芸屋さんで購入してきたパーツや道具を使い、新たに何か作ろうと、頭を働かせ、手を動かそうとしていた。


誰かに頼まれたわけでもない。
何を作ってもいい。
デザインや作り方に、決まったルールがあるわけでもない。
1人で楽しむ分には、禁止事項も特にない。

…まさに、自由だ。


最初はワクワクする。

どんなデザインにしようかな。
こんな風にしたら面白いかも…?
これなら私にもできそうだ…!

手を動かす前に、
頭の中でイメージがどんどん膨らむ。


…すると、形にならない“もどかしさ”が生まれ、苦しくなってきた。

そこで、「とりあえず何か作ろう」という焦りが生まれ
ルールを設けようとしたり、
すでにあるお手本に縋りたくなった。


不思議だなあ、と思う。

自由なのが、楽しみの一つだったのに
その自由さによってむしろ苦しみ、ルールを設けようとするなど、自ら自由の幅を狭めようとしている。

しかし一方で、この苦しみも楽しんでいるのかもしれない、とも思うのだ。


まず、一つ。


まあしかし、なんにせよ。
こういう時、私はいつも同じ結論に達しているような気がする。


「まず一つ、形にすること」だ。


お手本を見ながらでも
あえて自由なところにルールを設けても
とりあえず一つ、完成させること。

これは
「できた」という“達成感”
「形になった」という“喜び”を得ることができる。
それは
「次は何にしよう」という“意欲”に繋がる。

それに、たとえ歪な完成度でも
“一つ目の作品”というのは愛情が湧くものだ。


そんなわけで、誰に強制されるでもない
あくまで自ら始め、能動的な趣味に勤しむ時間。

「自由って難しいな。何かルール作ろうかな」
「“テーマ”や、“色”縛りで考えようかな」
「何時までに終わらなければ諦めよう」

しまいには
「あー、疲れたー」なんて言葉をこぼしている。

それなのに、やめないでいる。


…いや、自分がやりたくて、好きで始めたことでしょう!
別にやめてもいいんだよ!…と、自分でツッコミを入れたくなってしまう。


自由すぎると、不自由にしたくなっている自分に気がついた、最近のこと。


あまりにも滑稽で、自分を笑う自分がいた。


「自由」を満喫すること


手芸に限らず、何にしても
「自由」を満喫することって難しい。
…ひょっとしたら
「自由な“心”のまま」で「自由を楽しむこと」が難しいのかもしれない。


例えば
仕事もしなくていい。
どこに出かけてもいい。
いくらお金を使ってもいい。
何を食べてもいい。
何を着てもいい。
誰と会ってもいい。

…こんな風に、あらゆる自由を与えられた時。

最初のワクワクをキープしながら、どこまで自由を満喫することができるだろうか。


やはりいつか、孤独や焦りを感じてしまうものなのだろうか。

私は、私なりの小さな“秩序”をつくり、大切にしようとするのだろうか。


人間って、面白いな。


…そういえば、noteも書き方が自由だ。
最近は書き方が定着しつつある。
もっと遊び心を持てば、もっと自由に楽しめるかもしれない。


それにしても
同じ姿勢で作業を続けていたこの数日間で、
身長が数ミリ縮んだような気がしている。

体をほぐして、ホットアイマスクでもして
自由な夢の世界へ行きたい。



2024.7.16

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