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「また来るからね。行ってきます」

台風の雨が降っていた。
急に強くなったり、弱まったりを繰り返しながら
斜めに降りつける雨に対し、垂直に傘を向けて歩く。

今日は、長らく入院している祖母に挨拶をしてきた。
もう話すことはできない状態だけれど
きっと会話はできた、と思う。


コロナが流行した頃から、祖母が入院している病院では
透明のビニールのカーテン越しに
お互いマスクをして
10分間
付き添いは最大2人
という条件付きの面会となった。

病室ではなく、ナースステーションのような受付の前で、そのまま寝られるベッドのような車椅子に祖母が座った状態での面会のため、色々な人が行き交う場所で、大きめの声で話しかけなければならない。
祖母の耳は遠く、眠りは深い。


本当は、祖母と2人だけで話したい。

「あと何分だろう」なんて時間を気にせずに。

手を繋いで、優しく声をかけたい。

行き交う人の目線や、「話を聞かれている」という意識をとっぱらって、もう少し込み入ったプライベートな話がしたい。



仕方のないことだとわかっているけれど、どうしても

一枚の厚手のビニールカーテン
10分にセットされ、容赦無く時を刻むキッチンタイマー
周りを忙しなく行き交う人々の光景を目にすると

なんとなく落ち着いて祖母と向き合うことができず、切ないのだ。


いつもは大抵眠ってしまっていて、「起こすのも可哀想だ」と思っているうちに、あっという間に10分間過ぎてしまうのだけれど、今日は。

声をかけたり、名前を言ったりすると
瞼がピクピクと何回か動いて
心なしか目も開いたような気がする。
「あー」という声も聞くことができた。

…嬉しかったな。

きっと今日は、一方的な会話ではなかった。
私の声も、届いたはずだ。
私が来たことも、感じてくれていたと信じたい。


本当は
今、こんなことをしているんだよ。
最近、こんなことがあったんだよ。
今度、こんなことに挑戦するんだよ。

…と、他愛のない話と、新生活の報告をしたかったのだけれど
たくさんの人がいる中、大きな声でプライベートな話をすることは難しかった。

ちょうどいい感じの言葉が出てこない…そんなことを考えているうちに


「ピピピピピッ」
10分を告げるタイマーが鳴る。


たくさんの意味を込めて

「また来るからね(それまで元気でいてね)」
「行ってきます(私も頑張ってくるね)」

とにかくこれが伝わっていれば、それでいい。と思うことにする。


明日は晴れるかな。

今頃、眠っているかな。
何か夢を見ているかな。

私の声は、届いたかな。

…どうか、祖母が深い眠りの中で
心穏やかな夢を見ていますように。




2024.5.28

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