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善化論。

嘘はついちゃダメと教わって

みんなと仲良くしなきゃダメと教わって

自分勝手なことはダメと教わって

そうして立派な大人を目指したボクだったけど

どうやらダメなオトナになったようだ。


ウソが下手なボクは、
なぜかみんなと仲良くできなかった。

そのせいか、
ボクの犠牲は当たり前のように
受け取られていた。


スマホの中には
立派なオトナになる方法がたくさんある。

それをぜんぶ試しても願いが叶わなかったとき、

きっと自分を責めるだろう。


努力や才能が足りない自分を責めるだろう。

嫉妬心に狩られて誰かを貶し、
そんな自分をますます嫌いになるだろう。

そうして悩み、傷ついて、
やがて世界が見えてくるに違いない。


歓声や拍手を浴びる人の影に、
自分のように悩み苦しむ人がいることに。

時給何億ドルと稼ぐ人の影に、
何百円で誰かのお腹を満たす人がいることに。

高層ビルで働く人の影に、
道端のゴミを拾ってくれる人がいることに。

何百万人を動かす人の影に、
一匹の子犬を助ける人がいることに。

一つの命を授かる人の影に、
命を授かりたいと願う人がいることに。

そしてそんな人たちの影に、
多くの命が簡単に奪われていることに。

どれもこれも地続きなことに
気づけるに違いない。

何が正しいのだろうか。
何が立派なのだろうか。
そうして自分を知ることになるだろう。


『コインの裏表』

表があれば裏もある。
光あるところには影がある。
良いこともあれば悪いこともある。

本当は無い方がいいけれど、
それは仕方のないことなのだと、
裏は"妥協"する部分だと思っていました。

だけど違うかもしれません。

裏は"無い方がいい"のではなく、
表と裏があってのコインという存在なのだと。

『コインの裏表』というのは、
二面性や対極のことを指すのでなく、

『コインには裏と表がある』
コインの存在をありのまま表しているだけかもしれません。

闇は無い方がいいのではなく、
光と闇があっての世界であり、

悪いことは無い方がいいのではなく、
良いことと悪いことがあっての人生である。

朝にだって月はそこにあり、
夜にだって太陽は存在する。

私の背中は私の後ろ姿なのだ。

目に見えない存在も含めて、
私が生きている世界なのだ。

そう考えています。

こんな格言があります。

強い者、賢い者が生き残るのではない。 
変化できる者が生き残るのだ。

そうして変化することは正しいと口にする人がたくさんいます。

かつての私もそうでした。

だけど今の私はこう考えます。

強い者、賢い者が生き残るのではない。 
変化できる者が生き残るのだ。

しかし、
生き残る者が正しいわけではない。
生き抜ける者が正しいのだ。

生き残ることが正しいと誰が決めたのだろうか。
絶対的な正しさはもう失われているのではないだろうか。


何百円で誰かのお腹を満たす行為も、
この頼りない手を誰かに差し伸べる行為も、
顔も知らない遠くの人の平和を願う行為も、

誰かの心に残ることはないだろうけど、

だけど、
私は美しいと感じたから、

だから私は
立派なオトナになることをやめたのだった。

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