見出し画像

"今"を生きるってこういうこと。

今を生きる。

幸せに生きる方法として、
これほど単純なものはない。

しかし単純だからこそ難しい。

今回は今を生きるとはどういうことなのか考えてみた話。

結論から先に言うと
時間を考えるな。
に行きつきました。

それではいってみましょう。

*

なぜ今を生きれていないのか?

今を生きようとするのは
いま現在、
今を生きていないから。
ということになる。

言葉にするとややこしいが、
少しかみくだいてみる。

*

私たちは未来のことを
気にしてしまうものだ。

私のネガティブな一面として
未来に不安を抱え、
過去に原因を求める傾向がある。

そして今という瞬間は、
過去の清算をすることと、
未来の不安をなくすことに
使われている。

あなたはどうだろうか?

明日のことを考えずに
生きられるだろうか?

数年後のことを考えずに
生きられるだろうか?

老後のことを考えずに
生きられるだろうか?

いい大人であれば、
すべてにYESと答えられる人は
ほとんどいないだろう。

今を幸せに過ごすことよりも、
未来の不安をなくすことが
重要になりがちだ。

未来の幸せとは
不安がないことだと。
不安がないことが幸せなんだと。

プラスよりもマイナスを消すために
私は今を消費してきたのだった。

*

本当の時間泥棒とは。

ミヒャエルエンデの著書
『モモ』に由来する
時間泥棒という言葉がある。

本を知らなくても
言葉は聞いたことがあるだろう。

現代でもよく使われている
この時間泥棒。

しかし本来の意味と違った意味で
使われている。

時間泥棒とは
私たちの時間を奪う者。

効率の悪いことや、
無駄なこと、
迷惑な人、
邪魔な人…ではない。

エンデが言う時間泥棒は、
未来の不安を煽る人だ。

今のままでは
老後は生きていけないよ。

今のままでは
この先何かあったとき困るよ。

今のままでは
将来みじめな生活になるよ。

だから
今という限られた時間を
大切に有意義に効率よく
使うんだと教えられる。

こうして
『今』という時間が
今のためではなく、
未来のために使われていくようになる。

これが本当の時間泥棒である。


「漁師とコンサルタント」という有名な話がある。

メキシコの海岸沿いの村に、
アメリカ人のエリートコンサルタントが
訪れました。



波止場に止めてある漁師の船を見ると、
活きのいいマグロが獲れています。

コンサルタントは
その船の漁師に尋ねます。

「その魚を釣り上げるのに
どれくらいかかったのですか?」

漁師は答えます。

「数時間くらいかな。」

「なぜもっと魚を獲らないんですか?」
 
「家族の分があればそれでいいのさ。」

「では、仕事以外のときは何をして過ごしているんですか?」

遅くまで寝て子どもと遊び、妻と一緒に昼寝をして、夕方には散歩に出て仲間たちとワイン片手にギターを弾いて楽しむね。
本当に充実した毎日だよ。


それを聞いて、コンサルタントは鼻で笑いながら言いました。

「私はハーバード大学を卒業してMBA(経営学修士)を取得したコンサルタントです。

そこであなたに助言をしましょう。

まずあなたは大きな漁船を買って、
もっと魚を取るべきだ。
それからさらに多くの船を買い、最終的には大きな漁船団を手に入れる。

そして、こんな小さな漁村を離れてシティに移り、ロサンゼルスやニューヨークへ進出するんです。大きくなった会社を経営できるようにね。」

それを聞いた漁師は返します。

「で、それはどれくらいかかるんだい?」

「15~20年くらいですかね。」

「じゃあ、その後は?」

コンサルタントは興奮気味に答えます。

「ここからが最高ですよ。
あなたの会社を株式公開して
自社株を大々的に売り出すんです!
あなたは巨万の富を手に入れ、
一躍億万長者に成り上がるのです!」

「巨万の富か…
それで、次は?」

コンサルタントは
満面の笑みで答えます。

「そしたら大金を持って早期リタイヤですよ!
あなたの好きなことがなんでも出来るんです!

遅くまで寝て子どもと遊び、妻と一緒に昼寝をして、夕方には散歩に出て、仲間たちとワイン片手にギターを弾いて楽しんだりできるでしょうね!」

「それなら、もうすでにやっているよ。」
が、この話のオチなのだが、

もしここで、
漁師がコンサルタントの話に
のったとしたらどうだろう。

大きな船を買い、人を雇い、
魚を売る準備をする。

億万長者になる20年後を
夢見て働くようになる。

すると、
準備を遅らせる妻やワイン、ギターを
時間泥棒と考えるだろう。

しかし、
この場合の時間泥棒は
コンサルタントなのだ。

*

時間泥棒から今を取り戻すために。

どうだろう。

現代の時間泥棒は、
未来のために頑張っている自分を
邪魔する人やコトを指す。

ただ私はこれに良し悪しを
決めるつもりはない。

単純に、
今を生きれなくなる正体は
コレなのではないかと思っただけだ。

子供の頃はなぜ楽しかったのか。
なぜ夢中になれたのか。
なぜ月日が長く感じたのか。

先のことを考えずに
今を生きていたからだろう。

先のことで不安を煽る人、
時間泥棒がいなかったからだ。

先のことを考えずに
生きられればどれだけ幸せだろうか。

私はそれに気づきながらも
未来の不安がなくなって、
過去の原因を清算して、
そうしてはじめて
今を生きることができるのだ。

それだけ根強い不安の種を
植え付けられている。

もう打つ手はないのか…


一つだけアイデアがある。

それは時間を考えないことだ。

時間泥棒の話は
過去の積み重ねが未来を作る。
過去を頑張れば未来は明るい。
過去をサボれば未来は暗い。
という前提で成り立っている。

時間は過去から未来へと流れている。

これはもう神話のように
世界に浸透している。

今と過去は未来の踏み台で、
未来こそが重要な存在なんだ
と考えられている。

この神話に異議を申し立てるのだ。
大概は異端者扱いされるが…

*

時の神話への異議

こう考えてみる。

じつは時間は
未来から過去へ
流れているのだと。

想像してみてほしい。

ちょうど川のように
上流(未来)から下流(過去)に
流れていくイメージ。

今の私はその流れの途中に
たたずんでいるにすぎない。

するとどうだろう。

未来からいろんなものが
流れてきていることに気づく。

私はただ、
それを見たり、触ったり、
嗅いだりしているのだ。

そして満足したら手離すだけ。
それは過去に流されていく。

私は思うのだ。

これが思い出というものでは
ないだろうか?

神話では思い出によって
今と未来が作られてしまうと
考えられている。

だから未来を作りたければ、
過去の汚点は清算しなければいけないし、
そうしなければ良い未来は
やってこないと思い込んでしまうのだ。

逆に、
過去が良いものであれば
未来は明るいものになる
ということでもある。

一度でも成功すれば、
過去の栄光は未来を保証してくれる。

成功を目指したくなるのも当然だろう。


さて、それぞれの力関係を表すとこうなる。
未来>過去>今

今を大切にするどころか、
ないがしろにされているのがわかる。


いいですか。

過去は過去の自分が、
未来は未来の自分が、
今は今の自分が背負うんです。

もちろん、
未来の自分をラクさせるため、
今のあなたが頑張るのも良い。

しかし、
未来の自分に対して
自己犠牲や過保護になりすぎると、

未来のあなたを
苦しませるかもしれない。

親が子供を心配しすぎて、
あれこれ世話をすると、
子供が自分を見失うように。

せっかく入学したから、
せっかく入社したから、
せっかく合格したから、
せっかく買ったから、
せっかくここまできたから、

こんな風に過去の選択から
今が不自由になったことは
誰しもあるだろう。

*

過去と未来を合わせる
必要なんてない。

過去と今と未来を
繋げなくていい。

一貫性なんて
取らなくたっていい。

昨日と今日と明日が
違うあなたでもいい。

違うからこそ良いのだ。


過去も未来も背負う必要はない。

過去は過去の自分に
未来は未来の自分に
任せてみる。

彼ら彼女らは、
今のあなたと一心同体だが、
同一人物ではない。

過去や未来のあなたではなく、
今のあなたで生きること。

今を生きるって
きっとそういうこと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?