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【適応障害休職中】転職前に気づく「休職中の成果」

転職後の「ゆるい目標」


あと9日で、新しい仕事がはじまる。イコール、新しい生活リズムを築くということだ。

環境変化の影響を受けやすい私は、しばらくは無理をせず、

①心身の健康を第一に、

②家族の幸福度を維持する

という課題設定をしている。それはとりもなおさず、今月退職したばかりの前職での苦い経験からくる反省でもあるし、休職中に徹底的かつ冷徹なまでの自己洞察として得たひとまずの結論でもある。

10月は、生活のあらゆる場面(家事、育児、仕事、健康面、雑務など)で課題やタスクが散りばめられていて、奇しくも転職前のトレーニング期間として最適だったように思う(現在進行中)

まだまだうまく行かないことも多いのたけれど、適応障害前の私とは、「ちょっと違うかも」と思える時が増えてきた気がしている。

今日は、そんな話を、少し。


「みんなやってること」=「私にも出来ること」ではない


10月半ばから、毎年恒例の夫の酒蔵勤めが始まった。

思えば夫は、Uターンしてからずっと肉体労働者なのたが、実は「パラレルワーカー」でもあるのだと、今頃になって気づいた(笑)

それに伴い、家族の生活リズムやバランスが変わってくる。毎年のことだけれど、季節の変わり目ということも重なってか、体調を崩して風邪を引いたり、ややメンタル不調に陥ったりするのも思えばこの後だ(実際、娘の登園拒否が強まったのも10月半ばになってからだし、風邪も引いて家族にうつりつつある)

この期間は、夫がガッツリ会社員と同じタイムスケジュールになる(通勤時間も長くなる)ので、これまでのような時間的余裕が減って、家事育児にもそれだけ時間も気力も注げなくなる。

同時に、おそらく私の「負担感」も増える。

毎年のことで「そういうものだ」と思ってきたけれど、少なくとも家事や育児や農作業のサポートでは、間違いなく私ひとりにかかる比重が一時的に増える、ということは間違いない。

れに気づけて言語化できたことが、休職のひとつめの成果だと思う。


今現在、私がやっていることを、大小問わず列挙してみる。

・家事  お弁当づくり/3度の食事づくり/朝ごはんの片づけ/洗濯/布団の上げ下げ/時々掃除機がけ/買い物/衣替えや灯油くみなどの季節柄必要なこと
・育児  朝晩の身支度/食事見守り/トイレサポート/送迎/連絡ノートと登園準備/一緒に遊ぶ/しあげみがき/入浴/体調不良時に医者に連れて行く/服薬管理
・農作業  畑でサツマイモほりと袋づめ/夫がとれなくなった自家用野菜の収穫をしに行く
・仕事 ライター業の原稿書き/取材先・編集者やデザイナーさんとのやりとり
・雑務  転職と退職の手続/それに付随して必要な機関に出向く/傷病手当申請
・健康管理  精神科・産婦人科への定期通院/漢方を飲む/基礎体温をつける


上記はマストでやっていること。やらなければ、今の生活に不具合や支障をきたすことたちばかりだ。

これに加えて、出来ればやった方が良いこととやりたいことは、

オンライン英会話/ヨガ/散歩/短時間でもエアロビ/noteを書く/You Tube視聴

一見、たくさんのことをこなしているようだが、他人からしてみれば呼吸するがごとく、ごく当然にこなしているものばかり、とも言えるかもしれない。

私がこうして文字にしてみた理由は、漠然としているものの正体を、まずは明らかにする必要があるからだ。

言語化し具体化出来れば、あとは対処法を考えて行動する、というフローを作ることが出来る。

さらに、「みんなやっているから」という理由は、それらを「私がやすやすと出来る」という論理的な説明にはならない。

何しろ私は、「環境変化の影響を受けるタイプ」だし、「マルチタスクがそんなに好きではない(ある程度は出来るけど)」ので、これらを求められる場面では、結果的にストレスをためやすい。

これらをある程度避けられない時期は、まずはこれに気づいて、自分の状態を俯瞰して見極めベターな状態を作ったりという、何らかの対応策を知っておく必要がある。


もっと言えば、そもそも「みんなやってる」という無反省な前提を考え直すべきかもしれない。ひとそれぞれにバックグラウンドが違うからだ。

家族構成、体力、能力、生活歴、仕事、経験、価値観など…根本的なものが違えば、「みんなやってる」という言葉自体が矛盾をはらんでいると言える…


とにかく、私の場合は、適応障害診断後であり、退職後&転職前、まだまだポジティブサイコロジーの修業中、浮き沈みもあるし、頑健な心身にめぐまれているというわけでもない。育児も仕事も抱えていて、パラレルワーカーたし、そのうえ自分のしたいこともそれなりにあるけれど、とにかく物理的に時間は不足気味だということを、よくよく認識しておかなければならないと思っている。

「ワーママの悩みとしてよく言われること」として、共通項というものはあるかも知れないけれど、よくよく細分化すれば、これはとても個人的な問題であり、それぞれに合わせた分析と解決手段が必要なのことなのではないかと、今はそんなことを考えている。


休職の「果実」


先にも書いたが、ポジティブサイコロジーを知って実践しているつもりでも、その時は理解した心持ちになったとしても、そんなに急に変われるわけではない。

まだまだ浮き沈みがある日々で、何か起こるたびにオロオロしたり、イライラしたり、それで落ち込んだり反省したりを繰り返している。

働きはじめてお給料が安定したら、認知行動療法のワークにも参加したいと思っていて、今後も継続して自分の思考のクセに働きかけていく必要を感じている。

れでも、休職中に行ったインプットとアウトプットを通して、いくつか既に「効果」や「変化」を感じていることがあるので、書き留めておきたい。


(前項は役立ったリソース、=の後はその成果物)

ジャーナリング+ヨガ+樺チャンネル =その日の体調に気づけるようになった

これまでは、多少無理しても早起きして朝活やオンライン英会話を継続していた。今は体調>自己啓発を徹底。

ジャーナリングは妊娠中から続けていたけれど、樺チャンネルで、


①心身の状態に点数をつける

②ポジティブ3行日記をつける(出来たことにフォーカスして、幸福感を感じて寝ることが良い睡眠につながる)

③6〜8時間の睡眠死守

ということの重要性を再認識したので、3つの点について振り返ったり、朝イチの状態を見つめることで、「今日は予定を減らそう」「人と会わない方が良いかも」という判断もつくように。

睡眠については、個人的に武井壮さんの言説もとても興味深い…


ポジティブサイコロジー+読書+note+エントリー書類作成=予定の優先順位がつけやすくなった =自分の「幸福」が何かがはっきりした

『残酷すぎる成功法則』という本が特に、休職中の私に多大な影響を与えてくれたと感じている。詳しくは、以前のnoteにまとめた通りなのだが、まさしくnoteで「アウトプットまでワンセット」で読書したことが、より理解を深めて腹落ちさせてくれたと感じている。

ジャーナリングにも本書の「ビッグ・フォーの調整」という要素を取り入れ、毎日その配分を考えたり振り返ったりすることで、私なりに日々の幸福度を高めて、それを維持するために必要なことを、具体化な行動レベルで考えられるようになった。

これは、個人的な幸福について徹底的に考え、「幸福」のものさしを比較や見栄などに起因しない、他人にそれを判断する権利を引き渡さない、という決意の表れでもある。


ヨガ+有酸素運動+ポジティブサイコロジー+ひろゆき氏の思考 =「カオス」の最中に思考出来るようになった、複数の打開策が考えられるようになった

運動が気分を上げて、頭を明晰にしたり、ポジティブサイコロジーでのワークが、「私の幸福リスト」を作ってくれた。

「嵐」(落ち込み、体調不良など)の予感の前に、早めに備え(睡眠、休息、ヨガ、運動、アウトプット、好きなことをするなど)をしておくことで、それを避けたり被害を最小限に留めたり出来るようになってきた。

まだまだ修業中ではあるが、たとえば

・登園前・仕事前の家事のやめ時や見切りをつけられる〈カンペキじゃなくていいというスローガンを思い浮かべる〉

・家事や用事が娘の行動で中断される〈マルチタスクになるのは当然、ひとつ「諦める」ことでイライラしなくなる〉

・イライラやモヤモヤしたらとにかく外に出す〈書き出す、体を動かす、人にこ話すとなとでラクになるとつくづく感じた〉

・予定をつめこまない〈「片手をあけておく」(ひろゆき氏)というまではいけないけれど、せめて予定を極力減らすことで、「本当にしたいこと、面白そうなこと」を取り入れるスペースが出来た〉

ということなどかなぁ、と思う。



まだまだトレーニング中。

本当にその成果が定着しつつあるか試されるのは、転職後からだと思っている。

それでも、マジメな私がフマジメも取り入れ、まずは自分の幸福を考えてみたことで、この先少しラクに、楽しく、もっと言えば、周りの人たちとも幸せな状態を考えていけるのではないかと前向きに考えている。

気負わず、なるべく自然な状態の私を「アウトプット」しながら、やっていければと思っている。


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