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結局は同じなんだね

最近テレビで水原氏のことを取り上げる時間が相変わらず多い。私ごときがこんな問題に口を挟む気はないし何も意見を言うことはできない。ただ感じたことを少し書きたいだけ。

テレビで解説されていたギャンブル依存症の専門家の方(名前は失念しました。すみません)がこれは脳の病気だと説明されていた。病気と言っても大きな大きな犯罪を犯したのだから罪は裁かれなければいけない

ギャンブル依存症は完治しないとも言われていた。今後は自助グループなどでギャンブルを一切しないように一日一日を生きるしかないと。アルコール依存症と同じなんだろう。私はアルコールに関しては無知だけど知り合いが悩んでいて、障害者年金がもらえないと嘆いていた。でもみんながみんな障害者年金がもらえると思ったら大間違いだ。皆さまの税金をいただいているのだから。

そうなると私の躁鬱も全く同じだ。完治しないし一生付き合っていかねばならない。それに私のしてきたことは犯罪ではないけれどやはり人の道から外れている。なんだ、全く同じじゃないか。私は独房に入らずに済んでいるだけで一生贖罪の人生だ。

最近何の根拠もないのに私の贖罪人生はいつか終わるんじゃないか、という気がしていた。記事にしてみてほんの少し浮かばれた気がしたけど結局はまた苦しくなる。

一生罪を償い生きていくならいなくなった方がマシな気がして希死念慮がふつふつと湧く。でもそれは許されない。私は生きていかねばならない。どんな人生を送っていけばいいのか全く分からないけれど…。

こんなだから私の記事はポジティブにはまだまだならないと思います。それを期待されてる方がいらしたら期待外れの記事がしばらく続きます。(予め言っておきたい)頭の中からプラス要素をひねくりだしているところです。趣味以外はダークな記事をこれからも書くことになります。すみません。シャバにいながらもがんじがらめの毎日です。

今日はここまでです。
モヤモヤしていたので思い切って記事にしました。
お読みいただきありがとうございました。

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