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サイボークになる、を読んで考えたこと

 僕がこの本"サイボーグになる"で一番印象深かったのは、障害者の方が完璧な義足や補聴器を求めて、いわゆる健常者の体に戻りたい、とはあまり思っていないことだった。もちろん個人差はあるだろうが、生まれた時から足がない人であれば、そもそも元の体に戻りたいという発想もないだろうし、その体で生きてきたのだから、愛着のようなものもある。障害者の不完全さを一つのタグと捉えてそのまま受け入れて、社会や環境をテクノロジーで最適化してくれればいいのになぁ、と考えているのだ。勝手に規定した、"普通の体"に戻す技術さえあれば、障害者はみんな幸せになれる、という発想自体がどうも少しずれているようだ。

 僕は仕事でネットワークインフラのエンジニアをやっているが、少し似たような話がある。最近”ゼロトラスト”というセキュリティ設計の概念が普及してきてた。ざっくりいうと、ネットワークに完璧な安全というものは存在せず、不完全であることを前提にセキュリティ設計をしよう、というものだ。別に普通のことなんじゃないか、と思うかもしれないが、これまでは内と外の境界を作って、完璧に安全なセキュリティ対策を講じる、という努力をずっとやってきた。しかしそれでも、ハッキングによる情報漏洩や、ネットワークを攻撃されて事業継続を危ぶまれたりすることはなくならなかった。新しい攻撃がなくなることはないし、境界も内と外を規定すること自体が難しくなった。そもそも完全にセキュアなネットワークというものは、設計することが不可能であるにも関わらず、それを頑張って目指そうとすることで、いびつな状態(過剰で無駄な投資や、新しい攻撃に対応できない)を引き起こしていた。しかし不完全なものを不完全なまま一度受け入れる覚悟のようなものが出来てから、様々なソリューションや柔軟な考え方が出てきて、好転してきているように感じる。

 日本の吉藤オリィさんという方が開発したオリヒメロボットというものがある。難病のALS患者のための遠隔操作ロボットだ。現在これを使って、寝たきりのALS患者が遠隔でカフェの接客をやったりして障害者の就労支援にも繋がっていたりする。経済合理性を考えれば、カフェの配膳ロボットを作ったほうがよいのだろうが、オリヒメロボットは飽くまでも寝たきりの人でも遠隔操作ができるだけだ。吉藤オリィさんがたくさんのALS患者と対話して一番多かった声は、”働きたい”ということだったそうだ。働くことは、社会と接続している実感を得るための装置として、大きな役割を持っている。そして、普通にカフェのバイトとかをやりたいのだと思う。寝たきりの障害者だからといって、みんなが天才物理学者のホーキング博士のようになりたいわけじゃないのだ。

 合理性だけでは解決できない、テクノロジーと尊厳の問題を、どう考えていくかは障害者の方だけの話ではない。近いうちに多くの健常者もAIやロボットに仕事が奪われるだろうし、超高齢化社会に突入して体に支障がある状態で昔より長く生きることになるからだ。そういう意味で、障害者の方は既に様々な気付きや、知見を持っているのだと思う。本の中で、継ぎ目のないシームレスなデザインに、多くの障害者がまぁまぁ困っているという話があった。そんなことはあまり想像したことがなかった。iPhoneを始めとしたシームレスでシンプルなデザインは、漠然とバリアフリーにも向いているのではないかと、根拠もなく思っていた。社会課題をテクノロジーで解決する、みたいなことはこれから様々な場所で増えていくと思うが、その中で、一見手触りが良くて、ツルツルしてかっこいいものを見かけたら、取り敢えず触ってみようと思う。そして、表面に小さなひっかかりのようなものがあれば、少し立ち止まって考えるようにしたい。

「サイボーグになる」キム・チョヨプ 著 |キム・ウォニョン 著 |牧野 美加 訳

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