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患者に「自分が病気だ」と信じ込ませることが治療の第一歩:NBM(傾聴)というまやかし

「ナラティブ・ベースド・メデスン(NBM)」という医療における技術がある。患者に話しさせ事が患者の苦痛を和らげるというのだ。僕はそれを知って嬉しくなって、早速本を買ったのだが、日本の第一人者の本というやつには失望した。

患者にどう話をさせるかという技術で「オオム返し」で患者の言うことを繰り返せ、そうすると患者はドンドン話してくるから最高っだという。これは本気かと呆れ果てた。実生活で、そんな事されたら呆れるだろう。真面目に聞いているのかと思う。

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やがて、はっと気がついた。その著者は、患者に話をさせて、いかに患者が間違えてるかを「論破」するために話をさせろと言っているのだ。確かに、それはそのとおりである。自分が病気だと納得しなければ薬など飲まない。もう一つ大事なことは、治療に患者が同意することである。

ドクターハウスが好きな理由

DRハウス

僕はこのドラマの(一部)が好きだ。シーズン1と2に関しては言うことなく好きだ。秀逸な物語が揃っている。まあ、ポンと臓器移植して患者は回復するからアメリカでいかに臓器移植が市民権をえているか見て取れる。

しかし、問題はそこではない。シーズン5だったかのエピソードでハウスが精神病院に入院するのだ。そこで、ハウスは自分は依存症ではないと言って治療(具体的には「投薬」)であるが、様々な治療技術(皆の前での寸劇、カウンセリング)を拒否するのである。

結局最後は薬飲むこと(=自分が病気だということ)に納得して現場復帰するのである。もちろん社会に戻りうと依存症は再発して、彼の人間関係破綻して物語は終わる。


Dr.ハウスと言う物語が、「医学の無力さ」を見つけるターニングポイントであった。医学の栄光を描いて始まった物語が、最後はここに来たかと思った。イケイケドンドンの医療ドラマが多い中で、僕はこの物語はすごいなあと感じる(注)。

患者は嘘をつく

ハウスはいくつもの名言を語る。その中に「患者は嘘をつく」というのが有る。まあ、多くの医療ドラマのネタにもなっているが、患者の言うとおりに信じてはいけないと言う警句だ。

しかし、これはコンサルティングの当たり前の原則である。僕はシステムエンジニア(笑)であるが、依頼主の言うとおりにシステムを作るとだいたいトラブルになる。依頼主が言いたいことは別にあるのだ。

病状は現実を鏡に写したものなのだ。現実を変えない限り病気は再発する。最初は症状は収まってもやがて薬は効かなくなり投薬量が増えて人生が破綻する。まあ、定年まで持てばいいが、引退後の苦痛に満ちた人生が待っている。医師は処方する時にそんな事は言わない。

もっと言い換えれば、「自分に見えるものしか見えない」ということである。特に精神病「患者」が、幻聴が聞こえるとか怖い夢を見るとか言ってきた時に、それが病気なのだと納得さっせる。原因が現実にあるのではなく病気にあって、そんな病気を招いたあなたが悪いというのだ。

全てのトラブルの原因は「人と人」の関係性の中にある。

「親や、周りの人たち会社の上司や親戚縁者」が原因である。人は他人との関係の中コミュニティを作る。そのコミュニティでは常にセクハラやパワハラがあり、その関係性の中で誰かが利を得て裕福になり、自分は分配をもらう。そして公平に扱われないことが苦しみの原因だ。

そして経済的な貧困がそんな生活を変えることを妨げる。結局は貧乏が悪いのだ(笑)。

だって、一生懸命働いても定年になってもパートで人の言いなりに働かねければ年金は足りない。毎月の家賃を払うがそれは家主の収入になる。

固定の金が常に出ていく。年取ったら好きない金額の年金では、電話もテレビも見れないのだ。そして役人は天下りと高額な年金を受け取り、年金資金で損出しても出回か押して高額な金をもらう。経営者は社員の首切って会社の業績回復ともてはやされる。

自分の人生は何だったのかと医師に聞いてご覧、きっと病名とよく効く薬をもらえる。こんな社会がクソだといえば何と言う病名をもらえるのだろうか。そしてアヘンや覚醒剤が社会への不満を消したように僕はは毎日満員電車に乗る。

その一方で、預金通帳の残高見せびらかす「糞なIT企業の経営者」にはいい女と沢山の外車が車庫に眠る。その金は一緒に働いている人の給料を安くしたおかげで手に入るんじゃないか。涙が出てくる。僕もIT会社の社長なんだけどね。

ある精神病の解説書には幻覚幻聴は人の当たり前の機能だとある。その時になるほどそうなんだなと感じた。偉大な業績を残している宗教家の人生において「これは幻聴を真に受けているのでしょう」と突っ込みたくなることも多い。現実ではないものが見えるという「機能・能力」は、生物(注)にとっては意味のあることなのだと思う。

DRハウス2

特に精神病理学に置いては、患者に「自分が病気だ」と信じ込ませることが治療の第一歩である。だから、詳しく話を聞くことで「あなた以上にあなたの事を分かっている」と感じさせるのだ。

厳しい現実が「うつ」という現象を生む

会社で、とんでもないノルマを課せられて自殺すると「ブラック企業」だと言われる。だから、定期的なメンタルな診断を受けさせて、「病気」だとする。睡眠不足や不規則な生活が病気を生むのだ。家系的なものや人間関係もうつの原因になるという。

そして投薬をして、治療しているから会社には責任はないということになる。しかしね、考えても見て頂戴、毎日外回りさせられて早くからラ遅くまでこき使われたら「うつ」にならないはずがない。

しかし、生活があるから会社は辞められない。上司にはパワハラ・セクハラされ方放題で給料もやすい上に、経営者はとんでもない金額をもらい外車乗り回して報告を聞いてはやり直しさせる。汚いことは皆部下にやらせる。

おかしくならないほうがおかしい。

しかし、医師は、アンタの考え方が違うという、他の人はちゃんとやっているのだからアンタが病気なのだと説得するのだ。「外国の論文や学会でも皆そう言っている。」という。

自分がどんなに会社でひどい扱いを受けているかを話したところで「医師」には何も出来ない。これはアタリマエのことだ。医師は裁判官でも正義の味方でもないのだ。

「世界は正しい、異常なのは君だ」と繰り返されて薬が処方される。

まさによく効く薬が私達を殺しているのだ。「社会の格差」が精神病を生んでいる。人は道具として扱われることには耐えられないのだ。

のうち、僕が人を殺そうとしたお話を書きます(笑)。カウンセリング行っていたら確実に統合失調症と診断されて薬漬けだったろうと思う。今でも、人を殺す夢を見るが、最近は「アイツラは人じゃない」と気がついたから苦しくなくなった。僕は博愛主義者だからカエルやネズミも僕に襲いかかってくると言っても殺しはしない。だから大丈夫(だと思う)。

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生命にとって意味のあること

イルカやクジラが海辺に乗り上げて死ぬのはなぜだろうか?レミングが集団で移動するのはなぜだろうか?一見すると不合理な行動合理的な機能を持つ事は報告されている。

ヤゴがトンボになる時、セミが成虫になる時、蝶は蛹の中でどんな夢を見ているのだろう。私達は「変態=メタモルフォーゼ」を繰り返して、環境の変化に対応しているということを考えている。

今の環境から新たな環境にジャンプする時僕らは何を見るのだろう?

よく効く薬は、今を維持するために未来へ向かおうとする力を殺す。今僕らの苦しみは誰かを利するために生じている(=奴隷の苦しみ)。奴隷を奴隷のままにするためにアヘンや酒やよく効く薬が有るのだ。

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イケイケドンドンの医療ドラマが多い中で、........

「私、失敗しませんので」とか言ってバッサバッサと手術する外科医などはその典型なのだろうなあ。僕は見たこと無いのですが(笑)。病院内の人間関係に関して特化するものも多い。しかし、患者の視点から描かれたものは好き無い。

「病院へ行こう」は秀逸な映画である。先入観無しでると良い。看護婦としての薬師丸ひろ子さんが成長する姿が素晴らしい。

手塚先生はブラックジャックという素晴らしい作品軍を残されたが、僕がお勧めは「きりひと賛歌」だ。あれは面白い物語だと思う。MU(ムウ)南下と同じで青年マンガ誌に書かれたからああだったのかなあ。火の鳥だったら「おぶうと弁慶編」か「腕失いしガオウ」が一番好きだ。正式な名称は忘れたが。

ああ、手塚先生のこと思い出したのである。ちょっと探そう。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。