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タケノコのすき焼き、タケノコの焼きそば

タケノコを使った料理で何が好きかと言われたら、「すき焼き」である。というか、何に使っても美味しいものである。遠いところの水煮タケノコを使っても美味しい。

もちろん朝まで生きていたタケノコのほうが嬉しいに決まっているが、水煮すると余り違いはわからなくなる(笑)。良いのかそんなこと言って。

まあ、地面に生えているのを取ってくるだけだからなあ。道端の草、食っているようなものである。そう言えば、昔は田んぼの畦に生えていたふきのとう食べたっけ。

金がかからないのが嬉しい。小ぶりでも一本500〜600円はするからなあ、とは言っても100本でも売値で5−6万円である。タケノコ売りでは財は成せない。

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唯一、自分で茹でたほうが美味しいものと言えば、アク抜きそてまだ温かいタケノコをかじることだろうか(笑)。まあ、これも皮ごと買ってくればいいだけのことでは有るが。

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友人ににアク抜きしたタケノコを持っていくととても喜ばれる。とにかく調理は面倒だ。すぐに食べられるようにしたものしか喜ばれない。

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もう次ぐらいからは現場で解体して持ってくるようになると思う。この革を持っていくのがまた面倒なのだ。家の小屋で解体していたら、父に山で解体してくればいいだろうにと言われて気がついた。本当に、山から車まで持っていくのが大変なのだ。

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そもそも家で調理をしなくなったのが大きな変化だ。50年前には考えもつかなかったことである。そもそもお店にそのまま食べられる商品は駄菓子程度であった。今、売られている商品も「大量生産」されているものなのだから、似たようなものである。

小さくて、価格を高くしてもお客さんが来てくれるようなお店ならば別だが、そうでない限り難しいのだ。

食事で利益を出すためには安く仕入れなければならない。スーパーなどでは、仕入れが40%というから、700円の弁当で300円程度で材料・人件費・搬入コストまで出さなければならない。そして満腹を売らねばならないのだ。最も満腹コストが安いのが炭水化物である。

そんな値段で、碌なもんが出来るわけがない。

素材の「水」プロセスこそが大事。

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タケノコのすき焼きは味を吸ってくれるので嬉しい。牛肉、こんにゃく、椎茸、タケノコの順に炒めて、砂糖と醤油で味を強くして煮込む。内のすき焼きは牛鍋である。焼きながら食べるのは余り好きではない(笑)。

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最後に真ん中に青物を入れてかなりの量になるがほぼみんな食べ終わる。少し残ったものは明日おじやとかうどん入れたりが美味しい。

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少し値段お高い卵を買ってきて食べるのが贅沢感があってよろしい。

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食べていたら、豚のばら肉のブロックが余っていたのを思い出して、タケノコ焼きそばをつくった。

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豚バラ肉をじっくり油出して、タケノコをソテーしながら新玉ねぎをジックリやっつけて蓋して蒸して焼きそばをつくった。

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これは美味しかった。新手である。タケノコは味を吸うので、他の素材の味を受け取ってくれる。ばら肉の油を捨てないで調理するのが良いのである。

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コロッケは、「豚捨」と言う三重のコロッケである。実に美味しい。娘が短大にいる時に好きだったそうである。伊勢の近辺だったのだろうか。丁寧に作られていて素晴らしい。今度コロッケには挑戦したい。コロッケは、揚げ物でも難しい部類にはいると思う。アジフライは冷凍物、自分でさばいてもいいが、面倒である。メーカによっては十分美味しいものも有ると思う。

メザシは安売りになっていたものを買えた、嬉しい。

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そのまあ焼酎を飲んでいたらつまみが足りなくなってパンにチーズのせて焼いてたべた、痩せないはずである。昼にシフォンケーキを娘が作ったので残っている分を少し食べた。

ここしばらく家族的には落ち着いている。妻を怒鳴ったりすることもすっかり無くなった。食事作りは、家族という関係性を維持するために重要な役割があると思う。

あの頃、お店で買ったものを食べるだけの関係であったらもう別れていたと思う。とにかく、僕が作り家族が食べるという事だけは最低限守っていた。

帰ってきた娘が僕の料理を食べなくなって、その後食べるようになり、今日はケーキをつくってくれた。

食事と家族の関係性についてはもっと考えたい。

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仏壇に供えた。父の死から、もう一年以上経っているが僕にはまだ辛い。

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昨日、隣家の叔父さんが無くなったので香典を持っていった。小さい頃いつも遊んでもらったことを思い出した。辛い。

本当に私達は、「人の死に際」に出会わなくなった。皆施設で孤独に死ぬのだ。そして自分のことを誰も覚えていてくれない。

「死んだあとなら何もわかりっこない」とうそぶくバカも居るだろうが、問題は自分が最後の一人になったときの孤独だ。周りに知人が誰も居なくなり、自分が何者かを知っていてくれる人間の居ないときの孤独である。

家族というの、は最後まで付き合ってくれる相棒なのだ。「断捨離」とか「お一人様」などとええカッコシイでうそぶいている輩は未来を見るメガネを持たない戯け者である。

とは言っても、多くの人の通っていく道である。愉快ではないが、仕方がない。

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もう少し生きていようと思い始めたら、また酒が止まらない。胴突得ればいいだろうか。

妻にセックスしてもらおうか。難しい選択である。

向こうの問題も有るしなあ。

しかし、死ぬまでセックスしたいというのは厄介なものである。マユと添い寝してもこればっかりはなあ。

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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。