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幸運な病のレシピ 2021年6月21日〜6月30日

僕は「乾燥・濃縮・抽出」工程は食事から生命を奪うと思っている。しかし、昔から「稲」は乾燥させるし、油は抽出している、梅干しは乾燥+濃縮工程がある。なぜ「食事の商品化のプロセス」での「乾燥・濃縮・抽出」が駄目なのかということがはっきりさせたい。

今年はメンマを作った。猛烈に美味しい。カリカリに乾燥させたが、なぜ僕のは商品化されたメンマより美味しいのだろうか?商品化された食事の「乾燥」は駄目なのだろうか?

商品化というのは、利益を出さなければならないから作るプロセスを「工業的=効率的」にする。メンマを干すときも、大量のタケノコをボイラーで干すのである。伝統的プロセス(僕のやり方)では、天日で干す。天日で干してあるならばそれは、美味しいのだ。そして値段も高いだろう。

つまり、伝統的なプロセスで作られた「食事」と外見が似ていても全く違うのだ。。味などは関係がない。比較されれば分かるが、すでに伝統的なプロセスで作られた「食事」は高価で、庶民には手に届かないものなのだ。

そして僕が探しているのは「庶民である自分自身」の「健康な死」である。

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身体というコロニーの内なる海には数限りない「タンパク質や脂質、そして多くの代謝物」が存在する。タンパク質や脂質は複雑な立体構造を持っている。それは「水(生命の海)の中」でこそ有効な姿なのだ。タンパク質や脂質は非常にデリケートなのだ。加熱して三次構造を破壊すると機能しなくなる。乾燥させてもだめになる。伝統的な乾燥方法は生命の力をきちんと生かしている。

食品成分表に載っている40種類ほどの成分は、乾燥させたり燃やしたりして物質の分量を測る。その水を蒸発させた時、「炭素と水素と酸素、あと少しばかりの窒素とその他微量の元素」は結晶化して残る。燃やした時の光り方で元素の数を測る。実際に健康に生きるために必要な「要素」は、そこからはすり抜けているのだ。

伝統的な調理のプロセスは美味しさという試金石を持っている。加熱しすぎて美味しくなかったら、それは間違いなのだ。重要なものは、食材の中の生命が身体に取り込まれる時にどんな形かである。

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サプリメント業界も必死である。自分たちの商品がユーザーの満足を買えない理由を見つけなければならないのだ。次から次へと新しい知見を引っ張り出してくる。医者や研究者は言い訳に一生懸命である。

昨今。「タンパク質が足りない、野菜など食わないでサプリ食え」などという記事が多い。もう長く「プロティンサプリメント(アミノ酸をタンクで作って売る)」が売られているが、健康に対しての不安は消えない。タンパク質は身体のあらゆる局面で使われる。細胞の膜タンパクは植物も持っているのだ。筋肉はタンパク質の貯蔵庫であるが、タンパク質の重要な役割はそこではない。

アミノ酸さえあれば、タンパク質を自分で作れるなどと言っているがおそらくそれは間違えである。単に代謝系を持っているからと行ってアミノ酸だけ取っていればいいというわけには行かないのだ。年取った時に苦しむ姿がその証拠である。食事の中から基本的なタンパク質のパーツを受けとっているのだ。医者は、消化というプロセスを食物を完全に分解(元素のレベルまで分解するようなことを考えている方もいる)して取り込むと考えている。多分そこが間違いなのだ。免疫系が粘膜上で生きている細胞生命を受け取り破壊しながら身体という海に放出する。自分自身も分解される。身体に受け取って誤作動数売るようなタンパク質は破壊するが多くのパーツはそのまま取り込まっるのだ。そうでなければアレルギーが起こるはずがない。アレルギーというのは身体の内側にタンパク質が入ってきて、免疫が大騒ぎする現象である。タンパク質として特異性を持ちながら取り込まれるために起こるのである。

生命は、自分自身を食物連鎖の一つのピースとして大きな流れを作り出しているのだ。

商品化された食事は、全く異なったところから「唐突に流れ込む点滴」のようなものだ。やがて身体が衰えて機能不全が起こり始めたとき、病因や施設で何種類もの薬を処方され、「経管栄養・胃ろう・輸液」と管だらけになって、年金ATMとなって医療費を差し上げるのだ。医者は頑張ってねと褒めてくれるが、そんな頑張りなどしたくもなかった。

食物連鎖のコピー

生物はそれぞれの場所で食事の中からを受け取り、作り変えながら自分の身体に組み込んでいく。植物の葉は土中の微生物を受け取り、その微生物の持っている細胞膜や膜タンパクを分化して自分自身の細胞に作り直す。やがて葉は落ちて「マイクロバイオーム」に分解されて土を豊かにするが、その幹や根といった生命のコロニーに入り込みまた葉となってお日様を浴びる。

僕は伝統的な調理法を高く評価している。しかし、それは伝統的だから正しいとは思っていない。長い時間、多くの家庭で「評価され」肯定されてきた事が正しさのエビデンスだと思っている。僕もこの伝統の一部となろうとしているのだ。製薬会社の利益のために「科学のような顔をした」学説を振り回す馬鹿者の言うことを聞いてはならない。

長く使われた伝統的な調理法には意味があるという方に僕は一票。そして僕の毎日の食事作りが、伝統的食事作りの一つの現われになる。

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2021年6月10日〜6月20日  まとめ  ー>

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#ラグー #ミートソース #リガトーニ

【2021年6月30日】温玉を入れるとカルボナーラになる。ラグー風ミートソースのリガトーニを作った。ひき肉を丸めて卵とパン粉にスパイスで味を入れてジックリ炒めてトマトで煮込む。セロリの葉が多く有るので、使うと嬉しい。玉ねぎとピーマンに肉のブロックを使い煮込んだ。煮込みハンバーグ的である。娘の帰りは遅いのでリガトーニを煮ておいて返ってくる頃に合わせてやるといい。

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#マユのご飯

【2021年6月30日】マユのご飯、手羽先の先の方を茹でて、大根や野菜の切れ端を入れた。トビウオの卵が立派だったので、入れた。朝夕の二回のご飯なので昼は見ているだけなのだがいつも何かゲットする。他所様も来ないので行儀は悪くても楽しいほうがいい。

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#トビウオ #イカ #讃岐うどん

【2021年6月30日】昼は面倒なので残り物食べようと話していたのだが、トビウオが3匹100円で、イカも安かったようで、冷蔵庫にいた。魚とイカ類は見つけ次第さばくことにしていたから捌いていっその事ということでイカは茹でてトビウオは焼いた。イカは旨く煮ることが出来た。沸騰した所で入れて再沸騰後に5分で洗って味を入れた。下茹でが大事なようである。卵を持ったトビウオがいた。マユのご飯に入れた。油っ気が少なくアジの友達的であった。小腹がすいてきたので讃岐うどん茹でた。気がついたらマユのご飯がないので作った。

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#アオサギ

【2021年6月30日】庭に行ったらサギが屋根に飛び立った。そばで見るとお驚くほど大きいい。池の鯉を眺めに来たのだろうか、食事に寄ったのだろうか。すぐに隣家の屋根に飛んだ。しばらく見ていたらどこかに消えた。今でヲーキングマシンを歩いていたら、近所のおじいさん(父の同い年の叔父)が庭に入ってきた。まだお元気である。この辺りを朝夕に散歩しているのは知っていたが、庭に入ってきているとは知らなかった。この庭は生命を呼び寄せるのだろうか。僕も毎日歩いている。

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#レバー焼き #揚げ物 #手巻き春巻き

【2021年6月29日】今日は妻のパートの日であった。いつもパートで働いてもらって申し訳ないのでせめてご飯ぐらいはまともなものを作ってあげたい。年をとっていくと珍奇なご馳走よりいつも食べている美味しい手のかかったものがいい。金では買えないピンコロな人生がついてくる。そして、素材から生命を大事に食事を作るというのはとても大変だ。技術的に難しいわけではなく、作るにも食べるにも共に生きるという決心が必要なのだ。大げさである。レバー焼き、揚げ物、先日作った手巻き春巻きなどが入っている。今日はマユと二人である。

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【2021年6月27日】茄子のトロトロ、牛丼がご褒美であった。何とうなぎも入っている。今日は疲れたので何も出来なかった。勘弁していただきたい。


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#マユのご飯

【2021年6月28日】マユの食事を作り出したとき、妻も娘も抵抗した。獣医の監修しているペットフードのほうが良いというのだ。確かに、僕も糖尿病で医師の治療を受けているときは、「公式な栄養学(ポリティカリー・コレクト)」の言うとおりに食事を考えた。しかし結局は眼底網膜症でインスリン初めてレーザ凝固をしろと診断された。然のことでは有るが、「公式な栄養学(ポリティカリー・コレクト)」の食事は薬とセットになっている。その内容からは「お前のような病人は、こんな物食って」薬飲んでいれば良いのだ。もう少ししたらインスリン始めればいい。それが医療のマニュアルである。美味しさなどどこにも論じられていない。「公式な栄養学」に従ったレシピ情報も多く有るが、どれも病人を(お前の病気は自己責任だと)見下している(笑)。だれでも、年取って臓器が衰えてきたらそうなるということからは目を反らせたいのだ。未来を予測できない馬鹿者である。「公式な栄養学」を信じることの出来る人はそれでいいだろうが、僕はもう信じてはいない。I型にしてもII型にしても、その他の「検査値の異常患者」にしても、だれにしても、マユにしても食事は大事なのである。問題はどう大事かである。最近ネットで野菜食ってもタンパク質がないから駄目だという。肉野菜は調理に時間がかかるからアミノ酸系のサプリメント飲めという。サプリメントが全てダメだとは言わない。しかし、大量生産のサプリメントはタンパク質の持っている特徴的な三次構造を壊す。そのために効果がないのだ。アミノ酸というパーツをいくら揃えた所で、食物連鎖の内に組み立てられた生命を持ってくる食事のほうがいい。何よりも美味しさが違う。喜び方が違う。

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#カルボナーラ

【2021年6月27日】自家製のベーコンを出してカルボナーラを作った。あと一つで終わりである。毎年冬に燻煙するのだが、これは美味い。パルジャーミノを買い始めたが大体3ヶ月で使い切る。温玉をパスタに入れるとカルボナーラになると気がついた。チーズはパルジャー味のゴリゴリがいい。パルメザンとは全く違う。

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#冷やし中華

【2021年6月26日】天気が良かったので、冷やし中華である。炭水化物は毒ではない。コスト安く満腹にたどり着くので食事に必要な「生命(=食材の中の細胞生命の内なる海に満ちているタンパク質や脂質)」を失ってしまうのだ。生化学物質は固有の3次元構造を持っているが、「乾燥抽出濃縮工程」で破壊される。無論、伝統的な工程においても、それは起こる。しかし、大きな違いが有るのだ。経済性を重視した時(低コストに見た目を似せる)におかしなことが起こる。天日でジックリと乾燥させるのとボイラーで一気に乾燥させるのでは美味しさが違う。その違いが大事なのである。妻のパートの日なので揚げ物を作ることが多い。昼に作っておいて夜の弁当になる。

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【2021年6月25日】梅もぎをした。父の日であった。娘のゴチで近間の料理屋さんに行って色々と食べた。ここ数年の苦しい日々がやっとどこかに行ったようである。太った。

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#レバー  #ハンバーグ

【2021年6月24日】レバーを魚焼き器で薄目に切って焼いた。妻の実家ではいつもこれを作っていたと聞く、美味しくて臭みがない。ハンバーグは肉が少なかった。とは言ってもうまい。クリームコロッケは冷凍者である。不評であった。たしかにクリームしかないコロッケであった(笑)。ポテトサラダと言うよりも、野菜をつなぎとめるためにマッシュポテトとマヨネーズを合わせたのだ。これは美味しい。

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#焼きそば #青梗菜のクリーム煮

【2021年6月23日】焼きそば、青梗菜のクリーム煮。青梗菜のクリームにはとてもいい。クリームと言っても牛乳を入れてカタクリで固めるだけなので実にあっさりしている。これはおすすめ。八宝菜に飽きたらクリーム入れると美味い。おまけに野菜もタップリと食べる事ができる。

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#パスタ

【2021年6月23日】一日一人なのでパスタを作った。セロリの葉がたくさんあったので、アリオオーリオにセロリの葉を入れてアラビアータソースを混ぜた。メンチカツの最後の一個をサンドイッチにしてマユに見せびらかしたら食べられた。俺たち兄弟なのだ。細胞レベルではイヌもヒトもない。リンネが始めた分類学とダーウインの他人を蹴落としても良いのだ(蹴落とすことで進化するのだ)と言う傲慢な生命観は、勝ち組の皆様には心地よいと見える。アカデミズムが「貧困は自己責任」と太鼓判を押す。大丈夫、彼らとても年取れば、年金ATMとなって、高度医療に金搾り取られながら、管だらけになって同じ様な手術を繰り返して辛い死に方をする。僕は美味しいもの食べながらピンコロに人生を終わる。II型糖尿病が見つけてくれたレシピによって。医者の言う事なんぞ聞いていたら病気になってしまう。


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#雨の庭

【2021年6月23日】朝から雨である。毎朝庭を歩く。水槽にいる昨年生まれた鯉に餌をやり(大きな池の方は妻がやっている)なにかにと見て歩く。毎日歩いているのに枝の伸びは早い。今日は仏壇花をさした。芭蕉、山ぶどう、あじさい、ドクダミ、等である。実家の下駄を履いた。梅が地面に落ちている。今週には収穫するかなあ。

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#アジフライサンド

【2021年6月22日】夜は一人だった。昼作ったアジフライを6枚切りの全粒パンを厚さ半分にカットして挟んで食べた。極楽である。トマトや煮付けを一緒に食べると嬉しい。揚げ物をポコポコ食べたよは更けていった。もう少し生活が楽になると良いのだが。今年は国体の仕事があるのだろうか。

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#揚げ物  #カボチャ煮付け

【2021年6月22日】今日は妻のパートなので、揚げ物を作った。カボチャは一生懸命使わないと余ることが多い。煮付けを作った。先に別鍋で下茹でして合わせてみたら美味しかった。鳥の網焼きは最後にカットして味を入れる。揚げ物は竜田揚げはカタクリを多くして高温で揚げた。手羽はしばらくカレー粉と醤油につけておいた。ここしばらく鳥の網焼きの手順を買えた。焼いたあとで切って味を入れるようにした。ようやく安定してきた。やはりコツが有る。何でも時間がかかるものだ。トマトは薄くスライスするのが良い。


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#マユのご飯

【2021年6月21日】なんも出来ない一日であったが、マユのご飯は作った。イシモチの焼いたもの、ロース肉のソテー、手羽先の先頭の方、夜の牛肉の汁、キャベツとモヤシをタップリと一緒に茹でた。そこらでコンビニ弁当食っているよりよっぽどピンコロの人生が迎えられる。大事なのは調理のプロセスである。素材の中のタンパク質や脂質、その他の生化学物質食物連鎖の中で受け取って生命は生きてきた。商品化された食事はその鎖を断ち切るのである。キャベツの芯を僕のベッドに持ち込むのは止めてほしい(笑)。

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#カボチャ入豚汁

【2021年6月21日】メンチカツがまだ有るので汁を作った。できるだけ旬のものをタップリと入れるとよろしい。豚バラ肉が残っていたので豚汁に仕立てた。塩サバはタップリのカタクリで竜田揚げにして甘酢でまとめた。餃子は冷凍。調理をしている時(トマトを切っている時に)に妻は片付けをするが僕には気に入らない。何度言ってもチョコチョコとシンクのゴミを捨てようとする。飛沫が飛ぶから片付けはしないでもらいたいという。いつものように大喧嘩した。最近は収まっていたのだが。家事は分担してはならない。あんたバカだから私たてを出すのだと言わんばかりである。喧嘩の後片付けがまた面倒である。若いカップルならばセックスして仲直りなのだろうがそうも行かない。僕の都合ではあるが。

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#カレーラーメン

【2021年6月21日】カレーラーメンを作った。メンチカツと温玉とアラビアータソースをいれた。あまり感心しないが今日はだらけているのだ。なんともやる気が出ない日もあるものだ。野菜をどっさり食べたいものだが、めんどくさい。これは最大の敵である。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。