自営業の楽しみ:人生のデバッガ
今日昼までの約束でサーバーにアップしたら、サーバーでエラーが起こるが、僕のmacでは起こらない。エラーメッセージも吐き出さずに唐突に動かなくなる。ダイイングメッセージなしのあの世行きである。
いつもの「絶望」
これは対処のしようがない。どこをどう直せばいいのかわからないのである。
サーバーでも無事動いているバージョンのバックアップ持ってきて、動かないプログラムにを少しずつ戻してはサーバーにアップしていった。あるルーチンを動かした途端に動かなくなる。デバッガはこのポイントを指し示すのである。
ここである。何のことはない正規表現で表示フォーマットを作っているところである。なんと、真ん中くらいの
my ($year)=$year=~m/..(..)/mdg;
のところの「mdg」がタイプミスしていたのである。
my ($year)=$year=~m/..(..)/msg;
にしたら動いた。
久しぶりに「絶望」というものを味わったのである。
デバッグは難しい。
特に、どこが悪いかを教えてくれるデバッガが動かない時は大変だ。
昨日の夕方のバージョンまではサーバーでも同じ様に動いていたから問題はないと思っていたのだ。ところがこの現象である。
if($kubun eq "6num"){
$mon=tuki_1to2_all($mon);
return $year.$mon;
}elsif($kubun eq "4num"){
my ($year)=$year=~m/..(..)/mdg;
$mon=tuki_1to2_all($mon);
return $year."/".$mon;
}elsif($kubun eq "YYMM"){
return $year."年".$mon."月"
}else{
}
サーバーのperl
This is perl, v5.10.1 (*) built for x86_64-linux-thread-multi
僕のMACのperl
This is perl 5, version 18, subversion 4 (v5.18.4) built for darwin-thread-multi-2level
2-3時間の後に動くようになっった。ベランダで疲れを癒やしているところである。妻撮影である。一休みしたら飯作って、今週は休みなしである。とは言っても、昼間っから酒のんだりnote書いたり、やりたい放題である。
15日に月次更新があるので、何とかこないだ壊れたシステムで補完しているコン台を解決せねばならない。請求はあまり高くは出せない。ある意味のバグ修正であるので。
自営業は恐ろしい、逃げも隠れもできない。絶望に対処するには諦めないことしか無い。これがまた楽しいんだなあ。
人生のデバッガ
子供と大人、どんな関係性においても、誰かの気に入らないことをすると、その振る舞いを直せという「圧」が発生する。コミュニティとはそういうものである。
問題は、どこを直せばいいのか、明示されないのだ。
人生にはデバッガがないのだ。かつては、宗教がデバッガの役割をした。小さな部屋で告解して懺悔することでエラーは修正されたのだ。
しかし、神様は何も言わなくなって随分と時間が経つ。僕ら開放されたと思っているが、別な神様に怒られるようになったのだ。
イジメの「律」
イジメと教育は同じものだ。社員教育とパワハラも同じである。もし、会社の不正(と社員が感じること)を見つけても黙っていなければならない。上司が無能だったとしても従わなければならない。
これは、「言葉遣い」とか「ソーシャルスキル」という問題ではない。
イジメはコミュニティ(関係性)の破綻である。多くの文学者は個人と社会の問題を主題にする。そして誰にでも効く薬はないのだ。
教育の専門家(インチキ叔父さん)は学校において、気にらないやつを「シカト」して保健室に追い出すのも、会社で仕事を与えないで追い出し部屋に送り込むのも、同じことだとは考えないのだろうか?
先日、大学をクビになった教授が大学を訴えたという記事を読んだ。学問の自由とか色々なことを書いていたが、単純に生徒を集められないからだという。自分がそういう目にあって初めて分かるのだろう。
オーバードクターが自殺する話も読んだことがある。しかし、学者という音は哀れなものだ。潰しが効かない上に気位が高い。自分がヒ素イメにあって初めて気がつくのだろう。
もう一つややこしいのはイジメと個人の「欲」トの関係であるが、これはまた今度。
プログラムは簡単だ。デバッガが有るから(人生に比べればですが...)。
それぞれの個人の内側にはデバッガが有る。私達はそれが共通のものだと思っている。そう思わなかったらコミュニティには属していることは出来ない。
逆に言えば、あるコミュニティに即するということは、共通の価値の分け前を受け取るために、自分のリソースを提供することである。
反社会的なコミュニティでも、企業でも、家庭でも学校でも、バスに乗り合わせた人同士でも、同じである。
僕が「イジメ」の問題を人にとって普遍的な問題だと思うのは、このせいである。伊達に33回の転職をしているわけではない。今は社長だが、稼ぎがなくて社員はマユと妻だけである。
「気分はもう戦争」大友克洋さん、矢作俊彦さんより
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実質的にこのお話の続きです。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。