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恋人ではなく「戦友」が欲しいと気づいたこと

再び恋愛のことを考えている。

ここ2年、マッチングアプリで出会った人と付き合えなくて落ち込んだり、親しかった人と付き合えたと思えば数日で別れたり、自分でも追い付かないスピードで恋愛沙汰が進んでいる。(進めているのは自分だけど)

人肌恋しいときにマッチングアプリを開くことがあるけれど、正直、知らない人の顔を見てもその先に進みたいとは思えない。初めてお金を払ってマッチングアプリを使ってみた2年前は楽しかったのに、何人かの人とコミュニケーションをとった経験を通して再びやってみたいとは思えなくなった。

恋愛体質といえど、これだけ頻繁に“ハプニング”が起こると回し車で走り続けるハムスターのように追い付かなくて疲れてしまう。自分でもひっかかるところがあり、「どうして恋愛をしたかったんだっけ?」と疑問に思う。

そう、どうして恋愛を求めていたのだろうか。そもそも、自分は誰かと付き合いたいのか。

もちろん好意を寄せる異性と付き合うことができたら生活が楽しいものになるとは思う。しかし、その「好意を寄せる」自体が本当なのかふわふわしたままに、成り行きで進めてしまうものだから辛い。

かわいいひとが好きではあるけれど、週末デートができればそれだけでいいとは思わないし、ましてセフレのような関係が欲しいとは思わない。

じゃあ何が欲しいのかといえば、「戦友」なのだと思う。人生をこう歩んでいきたいということを語れて、仕事の悩みごとや臆病になっていることを打ち明けられる相手。一緒に進むことを励まし合えるような存在が欲しい。

些細なことを目の前にして不安を感じてしまう自分。怖気づいて、足がすくんでしまう自分をちょっぴり支えてほしいと願ってしまう(のはわがままだろうか……)。

7年ほど前、同性の友人に「戦友」と呼べる人がいたが、彼ともやがて別々の道を歩むようになった。いろいろと語り合える友人はその時々でいるけれど、心の奥底まで語れる人はあまりいなくて、宙に浮いた感覚でいる。

盲目になるあまり求めるものと向き合うことから避けていた。本当は心の奥底を晒せる人、自分のこうしたいを素直に言える人を探している。そんな人が結果的に、恋人になっていたらいいのかもしれない。

東京に出てきて1年が経ち、だいぶ慣れてきたとはいえコロナ禍で新しいつながりは思ったほど増えていない。休学してインターンをしていた2019-2020年のつながりがほとんどだ。

一人暮らしをするようになり(本当は苦しいのに)独りぼっちでいることに慣れてしまった。苦しさという痛みはあっても、傷んでいることにすら気づかなくなる。本当は、夜や日曜の夕方、苦しくて、重たくて、沈んでいる。

「強くなりたい」と思えたときは気づかぬふりができたけれど、だんだんその体力もなくなってきた。やはり、自分は弱い。そのたびに「嗚呼、メンヘラ」と嘆き、そんな性格の自分を恨む。

こんな暗澹とした気分にならずとも生きられる人間だったらよかったのに、と。

だんだん元の話からずれてきたな……。

そう、戦友が欲しい。なんでも語り合える戦友に出会いたい。

恋のことを考えていたら、そんなことを思うようになっていた。

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