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面接で勝ち抜くのは「優等生」ではなく「自分をアピールできる奴」だ!

時代に遊び呆け、コネもなかった私がなぜ野村證券に入社できたのか?
その要因は面接力!今回は「面接」で勝ち抜くポイントについて、経験に基づいて自分なりの意見を述べてみたい。

就職活動には危機感しかなかった

大学時代は立教大学経済学部経済学科に所属。小学校から高校まで野球一筋だったこともあり、大学時代は大学生活を満喫したいと思いテニスサークルに入った。入学当初はまじめに授業も受け、大学2年までに卒業に必要な126単位のうち100単位を取得した。しかし、大学3年以降は授業もほとんど受けず昼間はテニス、夜はサークルの飲み会という生活を送っていた。特に私は千葉県千葉市の実家から通っていたので、大学3年以降は月曜~金曜までは友人の家を泊まり歩き、土日は地元でバイトをするという感じの生活を送っており本当に放蕩息子であった。

しかし、当時の世の中はまだまだ就職氷河期。大学の先輩たちが就職活動で苦労しているのを見ていて、次第に「このままで大丈夫だろうか?」という不安が次第に大きくなっていった。そのため、大学3年の夏には就職活動の準備を始めた。

就職活動を始めたものの失敗続き

当時は書類での郵送とインターネットからのエントリーが混在していた時期だった。私はとにかく大企業に入ることしか頭になく、テレビで見て知っている企業の会社説明会に片っ端から行き、エントリーシートを提出しまくった。しかし、メーカー系は筆記試験があった。大学ではほとんど勉強をしていなかった私はとにかく筆記試験が通らない。そのため、面接のみで受かる金融業界に標準を絞った。

そして大学3年の年明け以降、いよいよ本格的に就職活動が始まった。私は中規模の金融業界の面接試験を受け始めた。しかし・・・

「8社連続1次面接で落選」

これにはさすがに意気消沈。完全に自信をなくしてしまった。家に引きこもり、サークルの先輩に電話やメールで相談しながら面接を受けるも一向に受かる気配がない。そんな時に、非通知で一本の電話がきた。

リクルーターから言われた厳しいアドバイス

それはある大手銀行(緑色)のリクルーターからの電話であった。「興味があれば話を聞いてみない?」という電話に「是非、お願いします!」と飛びついた。
数日後にカフェで面談。その際、「何か悩みはないか?」と言われ、率直に「面接に受かりません。」と相談した。「じゃあここで自己紹介してみて。」と言われ、これまでの面接のように話してみた。

自己紹介が終わった後、「君が何をアピールしたいのかわからない。」と言われ、同時に「テニスサークルのことを話さないのは何で?」と聞かれた。
その言葉が心に突き刺さった。自分はテニスサークルで遊んでいたことが面接でマイナスになると思い、高校まで野球部一筋で主将もやっていたことばかり話していたのである・・・。

開き直ったことで連戦連勝

当然、そのリクルーターからは二度と電話はこなかったが、これが私の大きな転機になった。自分の全てをさらけ出そうと覚悟を決め、自己紹介の内容を全部を変更した。そしたらなんと、それ以降は面接で落ちることがほとんどなくなったのである。名前も忘れてしまったが、そのリクルーターには感謝しかない。

では、一体どういう風に変えたのか?
以下のやりとりは私が今でも覚えている当時の面接での一コマである。
私  「小学校から高校まで12年間野球をしておりました。そして、大学は
    テニスサークルに入りました。」
面接官「大学では遊んじゃってたわけだ?」
私  「はい。そうですね。でも体育会系のノリだったので、夜ガンガン
    酒を飲んで、昼間テニスで酒を抜く感じでした。」
面接官「それで、社会人になって大丈夫?」
私  「大学時代、本気で遊びつくしたからこそ、社会人になったら本気で
    仕事をしようと決めてます!」
面接官「へぇ~、君面白いね。」

これを周囲に話すと「ホントにそんなこと言ったんですか?」と信じてもらえないことが多いが、ホントのことである。
また、野村と競合する大手証券会社のグループ面接では立教大学の私1人以外は早稲田大学と上智大学のメンバーだった。しかし、面接官からは「仲野君は面接慣れしすぎているね。」と言われるほど場慣れもしており、一人だけ審査を通過した。

そんなこんなで、大学4年時になった4月1日より経団連の就職活動が解禁され、4月2日に野村證券の面接を受けた。その夜にすぐ電話をもらい翌々日に再度面接。その場ですぐに内定をもらった。

社内公募も面接で受かった

面接で人生が変わったのは就職活動だけではない。29歳の時に社内公募で自ら野村アグリプランニング&アドバイザリー㈱に出向した時も面接試験だった。その時の社内公募では若手は取る予定ではなかったのに私は受かったのである。

なぜそのような条件にもかかわらず受かったのか?社長と取締役の2人と面接し、最後に「何か言いたいことはある?」と聞かれて私はこう答えた。

「私は、とても気が利く人間です。仕事は死ぬ気で頑張りますが、それ以外に会社の飲み会の予約、送別会があればプレゼントの準備、イベントがあれば司会・進行から盛り上げ役まで何でもします。会社には必ず一人はいた方が便利な人間だと思います!」

後で社長に聞いた話であるが、当時の社長と取締役が両方とも「合格」をつけたのが私だけだった。なぜ合格をつけたのかと社長に理由を聞いたら「面白いと思ったから」。言うのはタダ、どう爪痕を残すかである。

面接官も人間、どう印象を残すか

参考になっただろうか。自分は残念ながら採用をしたことがないので実際に私のやり方が正しいのかわからない。しかし、これだけは言えるのが面接官も人間だと言うことである。

就職活動となると面接官も1日に何人、何十人という数の学生と面談することになる。特に今の時代は海外ボランティアをしてたりとか大学時代に事業をしている人も多い。いわばみんなが「優等生」である。勝ち残るためには、「自分はこんな人間であり、会社の役に立てます!」とはっきり言えるかどうか、そして「面白い奴だな。取ってみようかな。」と思わせわれるかだと私は思う。(業種によっても異なると思うが(汗))

私は今でも面接に王道なんてないと思っている。同じことを話しても相手によって受け取り方は違うし、面接官との相性もある。だからこそ、自分が公開をしないようにどんな質問にも自信を持って応えられるように、ひたすら面接を受けまくって場慣れして欲しい。そうすれば、心に余裕を持つことができしっかりと「自分をアピール」できると思う。
少しでも私の経験が参考になれば幸いである。

「農林漁業を夢のある食産業へ創造する」というミッションを実現するために活動を続けております!何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m