#この仕事を選んだわけ 2019年4月に14年間勤務した野村證券㈱を辞め、㈱食農夢創を設立して起業しました。 周りからすれば「なぜ野村證券の人が農林漁業!?なぜ大手企業を辞めてまでわざわざ企業!?」と思う人も多いでしょうし、実際によく聞かれます。 今回は「この仕事を選んだわけ」をテーマに起業した想いを書きたいと思います! 自己紹介と経歴2005年3月 立教大学経済学部経済学科卒業 2005年4月 野村證券株式会社入社 千里支店配属 2009年9月 野村證券株式会社 自由が
昨今「社会的課題の解決」や「持続可能な社会の構築」といったフレーズをよく目にするようになった。それは「SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」が注目されているからもあるだろう。 しかし、時代を紐解いてみると「社会的課題の解決」への取り組みが食料システムの変遷に繋がっているのも事実である。 今回は、日本の歴史を振り返りながら「社会的課題の課題」や「SDGs」について私見を述べたい。 既存流通の変化のきっかけは公害問題日本は
農林漁業分野で活動しているとよく「JAが悪い!」「市場はいらない!」という声を聞くことも少なくない。でも本当にそうなのだろうか? 今回は日本の歴史を振り返りながら「農協・市場」の存在意義について私見を述べたい。 農林漁業は歴史と切っても切り離せない関係歴史から見ても日本において農林漁業は人々の生活と切っては切り離せない。特に稲作(米)は縄文時代に中国から伝わり、飛鳥時代に米を税として納め始めて以降、その制度は江戸時代まで続いた。稲作および米は日本人の主食としてはもちろん、年
「6次産業化」っていうこと場を聞いたことがあるだろうか?筆者は「6次産業化エグゼクティブプランナー」をはじめとして「6次産業化」に取り組む事業者を多く支援している。しかし、「6次産業化」の定義についてはいまだに確立されていないように感じる。本稿では「6次産業化」について筆者に私見を述べたい。 そもそも「6次産業化」って何?まず「6次産業化」についての経緯を説明する。「6次産業化」は2011年3月に施行(2010年12月に公布)された「地域資源を活用した農林漁業者等による新事
2019年4月5日に㈱食農夢創を設立して2年が過ぎた。有難いことに農林漁業や食関連での相談をいただくことも増えた。 しかし、多くの人が「食農夢創でどんなことをやっているの?」を思っているのではないか?そこで、今回は起業してからの活動をまとめてみる。 食農夢創の取引先はどんなところなの?具体的な活動の内容に入る前に、食農夢創の取引先について簡単に触れておきたい。大きく分けると「民間からの受注」と「行政からの受注」となるのが、食農夢創の場合は主に以下に分けられる。 ➀農業法人
3月1日から4月16日まで生産者支援の一環としてクラウドファンディングを実施し、皆様の応援のおかげでプロジェクトは見事成功することができた! 筆者はこのプロジェクトにおいて企画から準備、実行、募集中のフォロー等をサポートした。その経験を踏まえ、今回はクラウドファンディングについて感じたことを想いのままに書いてみる。 そもそもクラウドファンディングとは?クラウドファンディングとは「クラウド(群衆)」と「ファウンディング(資金調達)」を掛け合わせた造語であり、不特定多数の人か
2021年3月、筆者は明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科(MBS)を首席で卒業することができた。思い起こせば2019年4月に入学した当初から「首席を目指す!」といい続け、見事に「有言実行」を果たしたのである。 そのおかげもあり、よく後輩から「S(MBSはS、A、B、Cの4段階評価)の獲り方を教えてください!」という相談を受ける。そこで、今回は筆者がどのようにして首席まで辿り着いたのか、その方法について自由気ままに述べてみる。 まず、自分は優秀ではない!と自覚す
2021年3月26日、2019年4月より通っていた明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科(MBS)を卒業し、念願のMBAホルダーになった。 しかし、一方で「MBAなんて意味ない!」「肩書だけで実践に役立たない!」という意見も多く聞く。そこで、今回は自分がMBAに通って感じたことを想いのままに書いてみる。 そもそもMBAって何?うん。そうだよね。みんながMBAって言われてすぐにわかる訳ないよね。まずはMBAって何するところかについて簡単に説明する。 MBAとは(グロ
2019年4月に㈱食農夢創を立ち上げて起業した。大手企業を辞めてまでやりたかった「農林漁業を夢のある食産業へ創造する」というミッション。その夢の実現に向けて1年半かけずり回ってきた中で感じた「コンサルタント」という職業について今回は自由気ままに述べてみたい。 そもそも「コンサルタント」ってなに?2011年に前職でコンサルティング会社に出向して以降、約9年間コンサルタントとして活動している。しかし最近、そもそも「コンサルタント」って何をする職業なのだろう?と思い改めて調べてみ
2019年3月に野村アグリプランニング&アドバイザリー㈱から野村證券への人事異動を機に退職して㈱食農夢創を設立して起業した。それは野村證券の中でゼネラリストとしての道をあきらめ、食と農林漁業分野におけるスペシャリストになるという道を選んだ。今回は、ゼネラリストとスペシャリストについて自分の経験を踏まえて自由気ままに論じる。 ゼネラリストを育ててきた日本企業日本企業は長い間、いわゆる年功序列に基づく職能別組織の中でゼネラリストを育てるのが当たり前になっていた。 ゼネラリスト
雰囲気の良い職場と雰囲気の悪い職場がある。その違いはなんだろうか?上司のリーダーシップの差か?それもあるかもしれない。しかし、私はもう一つ理由があると思う。それは職場に「パシリ」がいるかどうか。自慢ではないが私は「パシリの極み」を自称している。今回は自分の経験を踏まえて「パシリ」の必要について論じたい。 なぜ職場には「パシリ」が必要か?みんな、「パシリ」というと良いイメージよりは、むしろ悪いイメージだろう。三省堂大辞林で実際に「パシリ」を調べると以下と書いてある パシリ=
2005年に野村證券㈱に入社してから2019年3月に退社するまでの14年間で2つの支店と子会社を経験した。在籍中には様々な上司や部下と一緒に仕事をしてきたが、「こいつとは一緒に仕事したくない!」って人がいた。今回は自分の実体験に基づいて「嫌われる上司・部下」をテーマに自由気ままに述べてみたい。 平然と嘘をつける奴は嫌だ!野村證券で2つの支店を経験した中で最も私が嫌悪したのが平然と嘘をつけるセールス。お客様にはもちろん、社内でも平然と嘘がつける奴がいた!でも、その嘘バレてます
2019年4月に㈱食農夢創を設立して起業するまでに、私は野村證券㈱で営業を7年8ヵ月、出向先の野村アグリプランニング&アドバイザリー㈱でコンサルタントを7年4ヵ月していた。そのうえで感じることは、営業マンとコンサルタントは詐欺師と紙一重だということ。今回はその理由を自由気ままに述べてみたい。 「自己責任」という言葉に守られている証券会社証券投資を経験したことがある人は「自己責任」という言葉を一度は聞いたことがあると思う。「自己責任」とは、株や投資信託、債券等の金融商品に投資
2019年4月に野村證券を辞めて㈱食農夢創を設立し、現在は農林漁業分野のコンサルティングや農業法人の経営支援を行っている。一人社長として生き抜けている理由の一つが「役職・資格」であると考えている。今回はその「役職・資格」関して自由気ままに述べてみたい。 農林漁業・食分野で積み上げてきた役職・資格・6次産業化中央サポートセンター登録6次産業化エグゼクティブプランナー ・国家戦略・プロフェッショナル検定 食の6次産業化プロデューサー LEVEL4 ・日本政策金融公庫 上級農業
2019年4月に㈱食農夢創を設立して起業した私の強みの一つが「顧客との関係構築力」だと考えている。その原点は野村證券の営業時代にある。どのように顧客との関係を構築してきたのか。今回は営業スキルのうち「顧客との関係構築」について自分の経験を元に自由に述べてみたい。 営業力=いかにお客様の懐に入り込めるか野村證券のノルマが厳しいということはこれまでさんざん述べてきた。そのノルマを達成するためには取引をしてもらわなければならない。しかし、考えてみて欲しい。自分から購入したい商品が
野村證券の営業時代、毎日のノルマに追われながらも続けてきたのが「案件外交」。人生何があるかわからないし、誰にでもチャンスがある!今回は営業スキルのうち「案件外交」について自分の経験を元に自由に述べてみたい。 「案件外交」がなぜ必要なのか?そもそもなぜ「案件外交」をした方が良いのかについて持論を述べたい。野村證券では当然、月間のノルマがあった。そして、野村證券のスゴイところは今月のノルマが終わったからといって、もう稼がなくても良いということにはならない。100%を達成すれば1