純度高く生きるということ
「幸せとは光り輝いているあなたの人生そのものよ」的な言葉を小説で見かけたことがある。当事はあまり腑に落ちなかったが今はわりと腑に落ちる部分が多い。(この小説、名著でしかない)
自分の中で純度とか純粋とか欠けることなくとかはわりかし大事にしてる部分なのでその周辺になるのかなあという世界線をなぞっていく。
今朝、牡羊座は自分を探究しがち的なことを見かけた。誰でもするやろと思いつつもまあ人並み以上にそういうことに時間使ったなあという自覚はある。
いつまでもアップデートされていく自分なので、現時点での結論ではあるが「他人のことはわかるようでわかってないし、自分のことはわからないようでわかっている」というのが一番しっくりくる。
キャリアに多様性が生まれ自分のあり方を見つめ直す~~というような文脈でコーチングが少し前から流行っている。(bosyuに腐るほどあってびっくり)
自分もその世界に飛び込みいろんな恩恵を授かったが1つだけ疑問に思うことがある。
「何でそこまでしないと自分の本当の想いを見つけられないのか」
自分のことを他人を介さないとわからないし、コーチを医者に例えるなら名医に診てもらえば最高だけどやぶ医者引き当てたら…。このコーチングってやつは自分には現代版の医療従事者に映る。自分も患っていたから恐ろしい世の中だなあと思う。
何でそこまで自分がわからないのか。正確には別のものが宿ってしまっているのだと思う。
例えば学校の勉強など、やりたくないことをやる時に自分を騙すというスキルを得る。お小遣い、将来役立つ、勉強しなきゃいけないとか。何かを挿げ替えて頑張るエネルギーを得る。これを繰り返して蝕まれていくのだろう。
(もちろん得るもの全てに意味があるので勉強=悪ではない)
何かを批判したい訳ではなくこうなっているよなあと自分の感性を投げかけたいだけなのであしからず。
これが成長するにつれて、たとえつまらなくても「人が良いから、辞めたら周りに何と思われるかわからないから、こうするしかないから」など自然に巧妙にすり替わってしまう。正確不正解ではなく何を選ぶかなので自分はこういうの辞めましたってだけなんですけどね。
自分はわからないようでわかるというのは結局「楽しい、面白い」に身を預けているうちに「なんか違う」とか「これだ」ってものがつかめてくるのではという話。
そういうのあまりやらないで自分探ししても、まあ精度は低いよねなどと思ったりする。過去の自分に。
この生き方で生きられるのかなんてあまり考えてないけど、巧妙に自分を騙して生きるのは無理になってしまった。そんな男です。
こういうの積み重ねてると光り輝いてるんだろうなと思う。直視できるくらいのまぶしさでありたいね。
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