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ノイマンとゲーデルと幾何学デザイン

noteでは小説の掲載を主としていますが、生業はデザイナです。今はWEBがメインですが、印刷物のデザインもします。小説の装丁デザインや本自体のデザインもやったりします。

ただ自分のデザインのルーツであるとか、バックボーンはなんであるかと問われると中々答えられません。美大出身ではなく、グラフィックデザインの学校には3ヶ月ほど通えただけで、途中で交通事故に遭い、ほとんど何も学ぶことなくずっとリハビリ生活をするはめになりました。

デザインについて深く考える余裕もなく、平成不況のなか、食べていくためになんでもしていた気がします。ひたすら商品の背景を切り抜いたり、風俗のお姉さんのパネル掲載用に顔や肌を死ぬほどレタッチをしたこともあります。

デザインは明確なロジックが必要なときが多いので、切り抜きがうまいとかレタッチがきれいというのとはちょっと違うフェーズの話になります。

這いずり回るように生きていたので、自分のデザインの裏付けがなく、それが劣等感になり、デザイナとはとても言えないなと思っていました。とにかく必死ではやっていましたが、闇雲には違いなかったです。

この歳になって、と自分でも驚きますが、わたしはどんなデザインが好きなのだろうと立ち止まって考えることが最近何度かありました。

Geometric designとTypographyは好きだな、自分の制作物にも、どこかにそれらを反映したいといつも思っているな、と43歳で気づくにいたりました。

Geometric designは幾何学模様のデザインで、女性の美しいワンピースの柄にわたしはいつも目を奪われます。Typographyは文字を使ったデザインで、もともと文字はデザインされているものだし、反復や意味をうまく活用することで素晴らしいデザインができたりします。

こちらは、年始に文学フリマという催事がありまして、それのノベリティのひとつとして栞をGeometricでつくりました。黄金比を使っていますが、ある程度自分のものにできるようになるのは、遥か遠い未来かなと実感しました。黄金比を採用すれば美しいはずなのに、しばりのあるデザインで美しく見せることはなかなか難しいことですね。

前置き長くなりましたが、幾何学であったり、黄金比であったり、数学的要素を含んだデザインが改めて好きなのだなと気付きました。それをとくに意識しなくても、熟練のデザイナは1.6の比率をデザインにうまくなじませているし、デザインは全部数学的処理と言い換えられるのかもしれませんが。

幼い頃は数字や計算が大好きで、あとお金も好きだったのでお金の計算方法が知りたくて、姉に習って、4才で九九ができていた記憶があります。小1のときに学校で受けたIQテストでかなり高い数値を出たということで母親が呼び出されて、教育に注意してくださいと言われたらしです。

上記のような面白いエピソードはあるのですが、その後理系科目が伸びることはなく、高校の頃は悲惨で定期テストで一桁台の点数を取ってしまう有様でした。

なんでもして食べていかないといけない中の一環で、時給1,100で放射光物理の研究所で論文集の組版とデザインをやっていたことがあります。ディレクタは日系ブラジル人の方で、複雑なデザインの会話は英語でしなければならず、データの画像の扱いは恐ろしく繊細にしていました。今考えると安い賃金で頑張ってたなと思います。

論文の内容はすべて英語なのですが、文章は読めても内容が恥ずかしいくらいにまったくわかりませんでした。高校物理の成績が少々良くても手も足も出ない放射光物理の話がメインなので理解できなくて当たり前なのですが、情けない気持ちは消えませんでした。

わたしはその放射光の施設のバスケ部に所属していて、パワーフォワードしていました。わたしが、論文はおろか、この施設が何を行っているのか1mmもわかりませんとガードをしていた渡辺先生に話しました。渡辺先生は放射光物理の専門家で、居眠りしながら左手で受験しても東大に入れました、というような天才でした。

天才でしたが、渡辺先生はとても親切で、じゃあ授業しますよと言ってくれて、仕事後、放課後と称して白板を使って放射光施設で何が行われているかレクチャーをしてくれました。電子を光速近くまで加速させて、アンジュレーターの中でその電子をギュッと曲げると光が出る、というようなとてもわかり易くかつ面白い話でした。

渡辺先生の話を聞いたあとで高校の物理や数学の授業を思い出すと、先生たちも予定の時間内に多くを詰め込まないといけないから仕方なかったのかもしれないけれど、とにかく詰まらなかったという印象しか残ってないんですね。

担任の先生に「新田、成績で文系・理系選ぶなよ。好き嫌いで選べよ」と言われた記憶はあるんですが、好きになれるほど授業が印象に残らなかったんだよなというのが今の感想です。

渡辺先生の授業のあと、相対性理論や量子力学の一般書を読むようになり、なかなかスッとは自分の中には入ってこないのだけれど、その分野自体はもちろん、研究者もそうとうエキセントリックなひとが多く、物理や数学が好きになっていきました。正確に言うと概念が好きで、計算はまったくできません。

秋の夜長、今は下の本を読んでします。数学を使って数学が無矛盾であることは証明できないと証明したのが、ゲーデルです。狂気の着想だと思います。ノイマンは、人類史上最高の頭脳を持っていたのではないかと言われている、天才の中の天才です。チューリングは現在のコンピューターの原型を作った人で、彼の暗号解読技術がなければ、ナチスが先の大戦で戦勝国になっている可能性があり、歴史の多大なる影響を与えています。

文系とか理系とか、形式上必要ではあるわけだけど、当たり前だけどみんな人間の所業なので、どこかで繋がっていて、続けていると、なんか見えてくるときがあるんですよね。

帰結を考えずに書いてみました。

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