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サカナに関するエトセトラ.

木魚のデザイン

木魚にはサカナの意匠が施されていて、日本だけでなく他の仏教国でもこのデザインが採用されている。

通説では寝る時も目を閉じない魚のように寝る間も惜しんで修行に励むことを表現しているとされるが、諸説ある。

実は何故こうなったかわかっていない。
いつからどうしてこうなったかは資料がみつかっていないのだ。

この諸説についての文献を少し紹介しようと思う。

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(ベトナム・ハノイの博物館で見つけた木魚)

まず、大正時代に東京工業大学の小室信蔵先生が書かれた『図案の意匠資料』という本がある。

ここにはインドでの逸話が書かれている。

要約すると。

『インドのあるお寺でちゃんと修行に励まない怠けた弟子と立派な師匠がいた。師匠はその弟子に仏教の教えを授けようとするが弟子は怠けてしまって全然教えを受け取らない。
そうこうしているうちに怠けた弟子はついに修行を成し遂げずに病死してしまう。
そして、亡くなった弟子はある時大きな魚に転生して、師匠の前に現れる。
大きな魚に転生してしまった弟子に向かって師匠は「ちゃんと修行しないからだぞ。」みたいなことを言って叱りつけた。叱られた魚はその言葉に打ちのめされてまた亡くなってしまう。
それからというもの師匠はサカナの形を刻んだものを傍らに置くようにして、ほかの弟子達への戒めとするようになった。』

ちゃんと修行に励みましょうということだ。

この『図案の意匠資料』の中にはさらに『和漢三才図会』という江戸時代に書かれた事典に関する記述もされている。

その中ではまた別の説が紹介されていて、こっちでは仏教の世界感を表している意匠と書かれている。

簡単に内容を紹介すると。

『人間の住む世界は大きな魚の背の上にあって人間がたくさんいるので魚は背が痒くなって時々背びれを叩く。すると山や川が震動する。』

木魚はこのことを表現しているのだ。

小室信蔵先生は世界を支えるような強い生き物が出す音で悪いものを払おうという思想に基づいているのではないかと考えられている。

古今東西、音の神聖性はさまざまな宗教で取り入れられている。
神を呼ぶもの、空間を清めるもの、その有用性は古代から続くものなのだろう。

もう一つの音を出すサカナ

木魚以外にも仏教にはもう一つの音を出すサカナがいる。

魚の太鼓とかいて『魚鼓』、これを『ほう』と読む。

修行僧の食事の時間を知らせる道具で禅宗系寺院ではよく見かける。
これを打ち鳴らして食事係の僧侶が仲間の修行僧にご飯の時間を知らせる。

その歴史は古く、紀元後400年ごろに書かれた法顕伝の中にも登場し当時から形状も用途も今と変わっていない。
日本だけでなく広く仏教圏で今も利用されていおり、もちろん永平寺なのどの日本の禅宗寺院でも当たり前のように使っている。

木製で音を鳴らす仏具は他にもたくさんあり、これら全てを仏典ではその音の神聖性を指摘する記述もある。

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(中国・昆明のお寺で見つけた魚鼓、鮮やか。)

サカナのデザインにまつわるetc.

サカナのデザインは他にもさまざまな地域、宗教にも散在する。

最も身近なものは魚座の双魚だと思う。
このデザインは古代メソポタミアに起源があるとされ、双魚はチグリス川とユーフラテス川を表す。
尾っぽに結ばれたひもは二つの川がやがて合流するという表現らしい。

また双魚のデザインはチベット地域でも見られる。

チベット仏教には八つの縁起の良いシンボル『八吉祥紋』というのがあって、その中に向かい合う双魚のシンボルがある。

ラダックの僧院でみたシンボルの説明によると双魚は「幸福、自発性、繁栄と豊富」と表現してあった。

異なる時代と異なる地域、民族性だが同じようなデザインなのは面白い。
これについては今後も色々と書籍や資料を探してみたいと思っている。

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(僧院で写したノート。直訳なのでもっとちゃんとした意訳があるはず)


その他にはメソポタミア地方にもゆかりの深いキリスト教でもサカナのデザインが使用されている。

キリスト教のものは『イクトゥス』という名前で呼ばれている。

成立当時、まだ迫害を受けていたキリスト教徒が密かにお互いがキリスト教徒だとわかるように使ったシンボルとされている。

なぜ魚を使ったかというと。
ギリシャ語で『イエス・キリスト・神の・子・救世主』という順で頭文字を並べるとギリシャ語のサカナという意味のイクトゥスとなるからだ。

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(こういう簡単な絵をお墓に描いていた)

他にもユーラシア大陸全体に目を向けると5世紀から6世紀に繁栄した中央アジアの遊牧民族のエフタルは『ズーン』という魚の神を崇拝していた。
黄金の魚の頭のついた宝冠を被り、魚の骨を奉納する儀式などもあったらしい。
しかし、ユーラシア内陸部起源の遊牧民族がなぜ魚を崇拝したのかは謎のままであり、さらに彼ら以外に魚を崇拝した遊牧民もいない。

謎めいていて実に興味深い。

帰国後、道中で興味を持った分野やそれまでに国内で触れてきた分野を深掘りしていく作業を続ける中でサカナのデザイン一つを取ってみても新しい知識の発見や新しい謎に触れることができる。

今のところアウトプットできることは以上であるが、まだ謎は尽きない。
今後も継続して勉学に励みたいと思う。







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