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何事も気付くことから始まる。


出国当日、この日は日本を縦断した台風の影響で僕の乗った便は遅れに遅れた。

関空のロビーで次々に欠航の文字が並ぶ中、僕の乗るエアアジアは欠航するつもりはないらしかった。搭乗ゲートで係員さんに声をかける。

「本当に飛びますか?」
「台風の通過を待って飛ぶ予定です。」

予定より約2時間遅れで搭乗が始まり、飛行機は関空を離れた。
最初の1時間くらいは揺れに揺れ、日本の領域を出た頃にやっと飛行機は落ち着いた。そこから4時間くらいは寝たり起きたりの繰り返しであまり記憶がない。
気が付くとクアラルンプール国際空港に着いていた。

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入国審査場を抜けた先で荷物のエックス線検査場がある。
他にも遅れた飛行機があったのだろうか、長蛇の列だった。

「あぁこれを出たらいよいよ、完全に外国かぁ。」

検査機に並ぶ列の先を眺めていた。すると向こうにいた検査官が近づいてくる。

「ジャパン?????」「ジャパーーーーーン?」

検査官がおそらく僕を呼んでいた。
そして近寄ってきた彼はパスポート出せと言う。

「何????何言ってるの???」

恐る恐る持っていたパスポートを差し出す。
彼はパスポートの表紙を見つめてなぜかうなづく。

「なにをされるんだ?」
「ここで日本返されるとかないよな・・・。」

すこし狼狽えたが検査官はパスポートを中を確認すると「行け!!!」と言って出口の扉を指す。

「荷物検査は?」
「必要ない。行っていい。」

彼はそのまま出ろと言う。
そう言っておいて出た瞬間に捕まえたり、賄賂よこせとい言わないだろうなと二度ほど振り返る。
出国ゲートの前でもう一度振り返るとこちらに手を振る笑顔の検査官とそれに文句を言っているようなの白人のバックパッカーたちがいた。

「これ。本当に大丈夫か・・・。」

これから色んなことが起こると覚悟はしていたが、出発前から入国に至るまで予想とはちがう展開だった。
そして不安にかられながら最初の国・マレーシアに入国した。
「本当にこれでよかったんだよな…。」

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空港で朝まで時間を潰して、朝一番のバスに乗ってのマレー鉄道・クアラルンプール駅を目指すことにした。

バスを降りるや否ややって来るタクシー運転手たちを振り切って地上のターミナルロビーに出た。

「なんだここは!!!!」

駅は思っていた以上に近代的だ。
液晶のモニターや電光掲示板の案内、ファーストフード店のカウンター席に伏せる人。足早に交差する通勤客。
誰でもスマートフォンを持っているし、昨日までの日本の光景とそれほど変わらないんじゃないというのが最初の感想だった。

けれども僕らとおなじ顔立ちの華僑系のサラリーマンの中にマレー系のヒジャブ(イスラム系のベール)をつけた学生さん、時々見かけるインド系の人がすれ違う光景を目にする

「あぁホントに外国に来たんだなぁ」

あまり早くホテルに行ってもチェックイン時間まではしばらくあるのですこし異国の空気に慣れるまで僕はホームのベンチで人々を観察していた。

どこかが違う部分があるがどこかは日本に似ている。
「目を閉じるとたぶん音と匂いだけなら日本と変わらないんじゃないか?」
そう思うけれどまだまだ怖くてそんな余裕はなかった。

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(この写真は1番栄えていたブキビッタンエリア)

僕はこの旅以外に一度しか海外に来たことがなかった。
それも10年も前にわずかな期間だけだ。
正直にいうと僕は怖くて仕方なかった。
内心ではどうしてこんなところに来てしまったのだろうかという想いがあり、明日にでも帰りたいという気持ちはしばらくあった。
堂々と旅人として振る舞えるようになったのはもうすぐ中国を抜ける頃だったと思う。

まだこの時は余裕などなくてワンブロック向こうのコンビニ行く事さえ恐ろしく感じていた。

物売りに囲まれたり、値段交渉をしたり、突然鳴らされるクラクションやタクシーの勧誘、自分の360度どこからでもやってくるそうしたスリルや刺激を楽しめるのはもっと先だった。

「さぁこれからどんなことが起きてどんなことをしていくのか…。」
「ホントに怖いな…。」
一時間ほど行き交う人々を眺めたあと僕は意を決してホステルに向かった。

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このマレーシアという国を僕なりに簡単に説明するなら三つの人種、三つの文化が一つになろうとする国だと表現する。
仏教もある、イスラム教もある、ヒンズー教もある。マレー人がいて華僑の人がいて、インド系の人がいる。それで一つの国になっている国だ。

その起源はマレーシアの産業にある。
マレーシアはそもそも錫(すず)がよく取れる国でこの錫工業で栄えた国なのだ。このクアラルンプールも元々は錫鉱山の華僑系労働者の入植地としての街が始まりになっている。インド人もまたこうした鉱山の出稼ぎ労働者が起源である。

こうした経緯もあって実はマレーシアでは華僑系の人たちの方が裕福だった時代がある。
「マレーはマレー人の国なのになんで華僑系の方が裕福やねん!」
こうしたバランスの悪さから以前は人種間の軋轢がかなりあり、悲しい出来事も多かったそうだ。
そして事態を打開しようとマレーシア政府は長年三つの人種それぞれを代表する政党で連立政権を作り、格差是正に取り組んでいる。

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僕の予約していた宿もオーナーはマレー系の人だったが、スタッフには華僑系やインド系の人がいた。
このようにそれぞれの人種が社会の中に混在し、みんなで支え合っている。

しかも嬉しいことに彼らは自分たちの国の発展のモデルを日本と定めている。
これを教わった時はすごく誇らしく思った。

「2020年までには日本のような先進国になる。」
というのがマレーシアという国の目標のだそうだ。

僕が最初にクラルンプール駅で感じた感覚はあながち間違いではなかったのかもしれない。
ただそれでもチャイナタウンやリトルインディアなどマレー系でないエリアには名称があったので街はいくつかの文化的コミュニティに分かれているようだった。

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(チャイナタウンのセントラルマーケット)

僕の宿はチャイナタウンのど真ん中にあった。
そこで僕はまずはチャイナタウンから攻略しようと行動を始めはしたが、雑多なマーケットの中を歩くともう自分と違う人種だらけの中で物売りたちに囲まれる。

飛び交う知らない言語に、少しは勉強してきたが英語なんてまともに使ったことはないのでもうどうしようもない。

すべてが初めての経験で初日はもう恐怖しかなくて1時間で撃沈され、コンビニで食料を買い漁ってホテルに篭った。

まぁ最初は不慣れだったのでしょうがない。

二日目からは同じ宿に泊まる日本人たちと行動しながら順々に華僑系のエリア、インド系のエリア、マレー系のエリアと巡って自分をこの環境に慣れすことからはじめた。

そうしながら一日中様々な場所を回るうちにここがどのグループのエリアなのか自分なりの方法で判断する方法に気付いた。

見分けるポイントはどんな信仰上の礼拝施設がそのエリアの中にあるかだ。

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(国立モスクの中)

つまりどんな神が祀られているかでそのエリアがどんなコミュニティに属するかがわかる。元々自分はこれがなんの宗教の建物でどんな神様が祀られているかはすぐにわかる。

マラーシアのような他民族国家であればこの知覚は結構便利に働く華僑系の街には儒教や道教に基づいた寺院がある。インド系のエリアにはヒンズー寺院があり、マレー人の地域にはもちろんモスクがある。

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(たぶんアルポナという地面に描く絵だと思う。これはペナン島で撮ったものだがインドやバングラディシュの文化だ)

そしてこのスキルが特に便利に働くのは食事の時だった。

「肉が食いたい……。」
「現地食に飽きてきた……。」
「とにかくなんか慣れてる味覚を感じたい……。」
こういう時はチャイナタウンを探せばいいのだ。
意外とどこに行っても中国系の地域やお店はあったので本当に現地食に飽きて来るととりあえず中華系の店を探していた。

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また中華系の魅力は絶対肉が食えるということでもあった。

世界中、たいていの場所でラム肉は食べれる。だんだんとラム肉にも慣れていくのだが日本人の僕には馴染みが薄い。
チキンか豚か牛が食べたいという時は中華一択が安パイなのだ。

イスラムには豚肉を食べれないという戒律があるのはよく知られたことだろう。
つまりマレー系の人たちは食さない。ただチキンは食べられる。

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(マレーシアではチキンライス。タイではカオマンガイ)

ではこのマレーシアではインド系の人はどうしているかというとカレーにチキンが入ったものは食べれたが、僕が歩いた限りでは豚肉は見なかった。

さらに本国インドでは滅多に肉は食べられなかった。
チキンすら無かった。

インドではカーストが高い人ほどベジタリアンになる。ベジタリアンの方が浄性が高くインドのルールの中でも豚は牛の次に食べられないもので鳥はその次になっている。

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なので豚肉を食べないのはイスラム教徒だけと思っているだろうがインド本国でもあまり食べない。むしろ売ってない。手に入らない。

そしてユダヤ教徒にも食事の戒律があるのを知っているだろうか。
これをカシュルートという。実は彼らも豚を食さない。

【カシュルート】
ユダヤ教における食事の決まり。禁止されているものを口にするのは不浄なるものとして考えられている。
肉はラクダ・イワダヌキ・ウサギ・豚は禁止。またこれ以外でも定められた手順で処理されていない肉は禁止。
魚はヒレと鱗のないものは禁止。なのでカニやエビは食べない。
(カザフスタンのスーパーでエビが売っていたのに購入すると店員に笑われた。)もちろんタコやイカや貝類も該当する。
鳥は猛禽類やカラスやフクロウなどは食べてはいけない。
そして昆虫はほとんど食べてはいけない。イナゴやバッタの一部だけになる。なので今話題の昆虫食は彼らには全くの無縁だと思われる。

つまり東南アジア、東アジアから西に向かうと西欧諸国に到達するまでほぼほぼ豚肉を食べれない。

「豚肉は中国にいるうちか、タイにいるうちに食っとけ!」
「そこから西では食えないぞ!」なのだ。

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こうした知識は自分の中に備わっていた知識と出発前に作った自前の情報ノートに記入したもので支えられていた。

僕は旅に出る一年くらい前から手持ちの書物を読み返し旅で使えそうな情報や行きたい場所をリスト化して書き付けたノートを作っていた。

旅の途中も現地で気になったことは現地人に聞いたりインターネットで検索したり電子書籍を購入して補いながら書き付けを続けた。

出発前に1冊だったノートは帰国したときには5冊の束になっていた。
一緒に旅をした仲間にはこれを魔導書という奴もいる。
僕の旅の最も大切な自分へのお土産だ。

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(マレーシアのピンクモスク。)

また事前に調べた事とは別にその国を知るにはその国の博物館に行くのが最も良い方法だ。
国の起こりや文化、宗教的慣習、産業や工芸品などを細かく知ることができる。

クアラルンプールにも国立の博物館があり、しかも日本語のガイドさんがいる日がある。

「実は1番偉い国家元首である王様は複数の王族の代表者による持ち回り制」
「国営の自動車会社は日本の技術支援で創業した」

錫産業で栄えたことや現状の政治制度もこの場所で知った。

旅全体を通してざっと数えて100以上の博物館や資料館、美術館を訪ねることになる。
「まだまだ学ぶべきことは世界中にあり、自分にまだ伸びしろがある。」
各国の聖地を起点に博物館や現地の人たちに学び、この気持ちは幾度も国境を越えるたびに強くなった。

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そうして五日ほど過ぎていよいよクアラルンプールを離れる前夜、地下鉄に乗っていた。
「あぁ僕はやっぱり違う国に来たのだな」
ぼんやり日本に似た地下鉄車内の風景を見つめる。

真向かいの席に座った女の子たちが楽しそうに談笑している。
ヒジャブをしたマレー系の少女が二人と華僑系の少女が一人。
年齢は20代前半くらいだろうか。
若い女性が集まるとやることは日本とそんなに変わらないのだなと感じる。

おもむらに真ん中の少女がスマートフォンを取り出し三人、顔を寄せ合って自撮を始める。

僕はその光景にはっとする。

「あぁこの子達には小さなことなんだな・・・。」

僕は日本より何の宗教に属しどんな人種であるかということが深く意識される国では純粋に民族や宗教の間には隔たりがあるものだと思って旅を始めていた。

「関係ないんだな。」

まだ五日しか経っていなかったが、宗教って意外と些末なことなのかもしれないと思う。
それは旅そのものの目的を大きく揺るがすかもしれなかったが僕はすごく安心した。このことを思い出せればいつでも俯瞰で観測することができる。

この経験が五日目にあったことは本当によかったと今でも思っている。

「マレーシアってすごい国だな。」
「やっぱりこの国を1番はじめの国にしてよかった。」

僕はこの時はじめて日本を出てきて良かったと思った。
行かないと気づけないことはたくさんある。

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