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オープンワールドゲームとしての考察

「人生はドラクエだ」と言い切る大学の先輩がいる。
「旅はドラクエだ」と言う青年と旅をした。
「人生は旅だ」という言葉があったりもする。

ただ僕はバックパッカーの旅はオープンワールドゲームそのものだと思う。

日本を含めた広大なフィールドをバックパッカーはそれぞれの目的のためにプレーヤーとして駆け回っている。
僕のような聖地を巡ることを目的としたプレーヤーをはじめ様々な目的を持った旅人たちに出会った。

大学の卒業旅行、思い出作りの青年たち。
カメラを片手に世界の絶景を求めて旅をする者。
世界中の民族に出会うために旅をする者。
社会人を辞めて自身の見聞を広めるためにやってきた者
自転車やバイクで世界をめぐり自分への挑戦を続ける者

人類の起源を求めるていう壮大な計画を持った青年と旅をした時もあった。
世界中の風俗を回るという壮大な野望を持った奴にも出会った。

みんな目的の違う旅路を進み、時に出会い共に旅をし、またそれぞれの旅を進むためにそれぞれの道に帰っていく。
旅を人生に似ているだろうし、それがゲームにも似ているなら、ドラクエもあながち間違いではない。

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そんな目的の異なるプレーヤーたちが一堂に会する時がある。
ゲームで言えばイベントクエストや大型クエスト、メインクエストだ。

世界中には多くのバックパッカーが必ずと言っていいほど通過する遺跡や絶景、イベントがある。
エジプトのピラミッドやガンジス川で沐浴なんてのは定番中の定番のクエストだ。

時期や条件を揃えることで起こる発生条件のある時限クエストもある。
タイのコムローイやインドのホーリー、スペインの牛追い祭りは開催時期の決まったイベントだ。

その他にも攻略するために7人のパーティーメンバーがいないと行けない砂漠があったり、僕がエジプトのいた頃はピラミッド最寄駅の改札を出て右に曲がると高確率でエンカウントするモンスター親子(詐欺集団)なんてのもいた。
こっちはサブクエストみたいに思っている。

世界中の旅人が集まるタイのカオサン通はルイーダの酒場みたいなものだと思うし、インドの奥地にはパーミッションというアイテムがないと入れない氷の洞窟というダンジョンもある。

バックパッカーの旅はリアルなオープンワールドゲームで間違いない。
そんな中を旅人はプレイヤーとして生き抜いていく。

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そしてそのプレーヤーとしての旅人たちにはそれぞれ個性がある。
僕はこれをジョブシステムのように考えている。

根性や体力の度合いは格闘系ジョブの評価に繋がり英語力は魔法系のパラメーター値を作り、職歴・学歴という技能系固有スキルが存在する。

店を閉めてきた美容師、筋骨隆々の看護師、英語の出来るプログラマー、銃撃戦を追うカメラマン、ギター一本で旅する保険外交員。

これらを総合して僕は頭の中で出会った人のジョブを例えてみる。

常に着物出歩くアメリカ帰りの美容師は「侍」だった。
路上演奏だけで旅費を稼ぐのは「吟遊詩人」のやることだ。
卓越した多言語力と異常な学力を無駄遣いする「賢者」とも旅をした。

カメラ片手に絶景追いかける姿は機巧士か銃士だと思ってる。
あのファインダー覗いて何かを狙ってる姿はそっくりだからだ。

英語が魔法だとするなら、フィリピンやマルタの語学学校は魔法学校かもしれない。
そして僕は二人の師匠の元で魔法の基礎を学び、ルアンパバーンでは魔法学校に体験入学したことになる。

その他にもNPC、ノンプレーヤーキャラクターもいる。
これはツアーガイドのことだ。
彼らは遺跡への導き手であるし、観光案内人でもあるし、時に危険から僕らを守ってくれる。

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ラオスを後にした僕はカンボジアに向かった。
東南アジア最大のメインクエストと言っていいアンコールワットに行くためだ。

そしてこの地で僕はこの旅で初めて日本人宿を利用した。
日本人宿というのは宿の主人やオーナーが日本人の経営者である宿というのが一般的で、こういう宿には日本語が使えるスタッフがいて、宿主催のツアーにも日本語のできるガイドが同行してくれることがある。

つまりこの宿はカンボジアにある日本人のギルドなのだ。

僕はこの宿でたくさんの日本人に出会い、彼らと共にギルド斡旋のアンコールというメインクエストに挑むことにした。
NPCというガイド付きのツアーでだ。

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アンコール遺跡群というクエストはゲーム的に観るととても理想的な形をしている。

まず4人から数人のグループを編成して行動するのが条件になっている。
なぜなら広大な遺跡を見て回るのにはタクシーやトゥクトゥクをチャーターするのが良い。
そして、外国人はチケットがなくては入れない。
つまりクエスト受注に必要なアイテムがあるのだ。

ちなみにチケットセンターは遺跡群の入り口付近にあり、遺跡をバックにしたサンライズを見るプレーヤーのために早朝5時にから開いている。

これがこのクエストの参加条件であり、発生条件だ。

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(アンコールチケットセンター。朝の5時。でもこんなに)

次にマップとしてのアンコール遺跡群とその背景をみてみる。

アンコールワットと周辺寺院は隣接するシェムリアップという街の北部にある。
シェムリアップはこのアンコールと周辺のクメール王朝の遺跡群を観光するための中核都市であり、ゲーム的に表現するとつまりはホームタウンである。

街にはたくさんの宿と飲食店が立ち並び、民芸品ばかりの大きなバザールやプールのあるお店やマッサージ店、女の子が強引な客引きをする怪しいお店まで、とにかく何でもある。

夜になるとメインの飲み屋街を中心に毎晩お祭り騒ぎになる。
深夜遅くまで街の明かりは消えない。昼間はみな遺跡探索に出かけているのでむしろ夜の方が街は騒がしく、世界中から訪れる観光客たちで溢れかえっている。
朝方まで人々の喧騒とクラクションの音が鳴り止まない。

まさにダンジョンを支えるホームタウンだ。

遺跡群は仏教寺院と思っている人も多いかもしれないが、仏教寺院とヒンズー寺院が混在している。
ちなみにカンボジア国旗にもなっているアンコールワットはヒンズー寺院であり、壁面に大きな顔のついた彫像が有名なアンコールトムは仏教寺院である。

アンコールワットはヒンズー教の神・ビシュヌを祀る神殿であり、ヒンズー教におけるビシュヌは「世界の維持」を司る神である。
国家を維持し、堅守するという願いを込めてアンコールワットは建てられたヒンズー寺院なのだ。

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これらの遺跡群はクメール王国という国家が作った神殿群であり、王宮はアンコールワットに隣接していた。

この王国の時代背景もゲーム的に簡単にまとめると、クメール国は今のカンボジアやタイ南部・中部を領土として9世紀から17世紀まで存在した王国である。

この国は今のベトナム中南部フエにあったチャンパ王国と長く戦争状態にあった。またタイ北部のチェンライも近隣の国家だった。チェンマイの旧市街、僕とアブーが滞在していた場所がかつてクメール国とタイを二分していた国の遺骸である。

このクメール国はのちにアユタヤ王国というタイ中部に出現する国家に滅ぼされ、長く歴史の舞台から退場する。
つまりアンコールは忘れ去れた古(いにしえ)の都なのだ。

アンコールトムにはこのチャンパ王国との長い戦争の歴史を示した壁画がある。

19世期になり再び遺跡群は発見され、シェムリアップを伴い今はダンジョンと都市の関係を作っているみたいな構図になっている。

アンコールワット以外にも周辺にはベンメリア遺跡やプレアビヒア遺跡など新たな調査が進められているクメール王国の遺跡が点在している。

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僕はアンコール遺跡群の見学というこのクエストは自分の思うように進めたかった。
なぜならアンコールは幼い時から憧れ続けたどうしても見たい遺跡が目白押しの遺跡群なのだ。
ラオスでは英語で自分の意思を明確に伝える事に苦労し、みんな飽きて帰ってしまうことを経験した。

だからできるだけ目的を同じとする人間と行動する方が自分にとって都合がいいと考えた。
であれば自分の目的や希望を説明しやすい日本人とパーティーを組むのがいいだろう。そこで日本人宿で仲間を探す事にしたのだ。

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仲間は宿のフロントが斡旋してくれた。これなら本当にギルドだ。
紹介されたのは3人組の大学生のグループだった。
ダイビングサークルの仲間という彼らはGoProやデジタル一眼などの記録機材という装備が充実していた。
おまけにいい写真の撮れる場所をよく知っているし、角度などを教えてくれる。

どうしてそんなにも詳しいのかと彼らに尋ねると答えはInstagramだという。
他のユーザーのSNSで予め撮影された写真をチェックしているのだ。

それと同じ角度を探しながら自分たちも同じ写真を撮ろうとしている。

Instagramは現代の攻略本になっている。

「マサシさんもインスタやったほうがいいですよ。」

インスタの使い方はこの日本人ギルドで学んだ。アカウントもこの宿で出会った旅人たちに作ってもらった。

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建造物の多くは長い年月打ち捨てたれたことで破損が進み、現在はユネスコの管理下で修復が進められている。
日本もいくつかの修復事業に参加しメインとなるアンコールワットやアンコールトムの修復は日本が請け負っている。
それだけ日本の技術が信頼されている証拠であり我々にとってはとても誇らしい事だ。
アンコールトムの入り口には日本の修復計画書が掲示されていた。日本語で描かれた再建計画は仏像や寺院の修復に関わっていた立場の僕にはとても眩しい仕事であり羨ましく思えた。

しかし中にはもう直らないものもある。
この写真のように剥がされてしまった壁画や首の折られてしまった遺物がたくさんあった。
これらは壊れたのではない。壊されたのだ。

これ以上の破損を避けるために保管庫に移されたものもあるし、剥がれた壁画や彫像の頭部は元・宗主国、各国の博物館や美術館に持ちされているらしい。

ガイドがいうにはかつての寺院のは仏像や壁面に金剛石(ダイヤモンド)などの宝石がはめ込まれたものもあったらしくこれらもすべて欠損しているとの事だ。

ダンジョンとしてみたアンコール遺跡群ではたくさんの宝物が盗掘や破壊によって失われている状態なのだ。

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二日ほど掛けて大学生3人たちとアンコール関連の遺跡や博物館を巡ったあと僕はシャムリアップを離れるかどうか迷っていた。
博物館で知りたいことは概ね理解し、ガイドにもいくつか気になっていたことは教えてもらえた。最低限のやりたいことはクリアしていた。

郊外の見たい遺跡はまだあったが、旅を急ぐ理由があったのだ。

実は中国のビザ期限が迫っていた。
通常中国は帰路の航空券を提示すれば14日以内の観光であればビザは要らない。
しかし僕はベトナムから入国してカザフスタンに抜ける予定をしていたの時間も足りない上に入国の審査が厳しくなる。
これを回避するために日本で2ヶ月の観光ビザを予め取っておいたのだ。

しかしこのビザ、取得から3ヶ月以内に入国しないと失効する。
この時もうすでに2ヶ月と数日が過ぎていた。つまりあと約3週間以内に中国に行く必要があったのだ。

ビザもクエスト達成に必要な条件である。
僕が中国国内で目指していたクエストはどうしてもこのビザがないと届かないような場所にあり、どうしても行きたい場所なのだ。ビザを失効することは絶対にできない。
おまけにベトナムも行きたいところがたくさんある。あと3週で陸路で中国に抜けなくてはいけない。

最低限カンボジアで見たいものは見た。カンボジアならまたいつでも日本から来れる。どこも時限クエストではないし、達成条件もそれほど高くはないのだが。

「ねぇ兄さん。一緒にベンメリアとプレアビヒア行きましょうよ!」

僕にそう声をかけてきたのは宿で出会ったケンちゃんという一人の青年だった。
彼は数年勤めた会社を辞めて、憧れだった世界一周の旅に出てき銃士だった。
大きな一眼レフとGoProを手に絶景を求めて旅をする絶景ハンターだ。

彼もまた僕にいい写真の撮り方やポイントの見つけ方を教えてくれた一人であり、僕と同じ世界一周を志す旅人だ。
旅の目的は違えど目指す先は同じだった。同じ東南アジアから旅をはじめ、ここから西を目指して旅を続け予定だった。

「いつかどこかの国で合流できたらまた一緒に旅ができるといいですね。」

彼とはそう言い合ってカンボジアで別れる。

この時はベンメリアとプレアビヒアに行くチャーター便を出すためにあと一人メンバーが必要だった。
彼はあと一人のメンバーを求めて僕に声をかけたくれたのだ。

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「メンツは揃ってますから。あと一人なんです。」
「んーん。けんちゃん。ちょっと待って。予定計算して考えるから。」

ベンメリアはまだ修復の手が入っていない遺跡で打ち捨てられたままの光景が残っている。それはそれで見てみたい。いつか修復が進んだ時に自分の目で比較することができる。
プレアビヒアは最近登録された世界遺産でラオスとの国境近くにあり、領有権問題で数年前には銃撃戦にもなった紛争地でもある。いつまた立ち入り禁止なるかわからない。

惜しい。それぞれ1日ずつ。2日ならあとで盛り返せるはずだ。
トラブルがあったらあったでそれはそれで楽しもう。
今は目の前にあるチャンスを味わうのもいいことのはずだ。
僕はその日のうちに彼に返事をした。

「やっぱり付いてくわ。よろしく頼むよ。」
「もう手配は終わってるので早速明日にでも出発しましょう。」

僕らはまず2台のバイタクに乗ってベンメリアとトンレサップ湖のクルーズに出向き、次の日には8人乗りのバンで遠くラオス国境地帯プレアビヒアを目指すこういうプランだった。

ベンメリアでは集合写真を撮ってもらっただけで金銭を要求するガイドのふりをした現地人にエンカウントし、仕方なく少しだけチップを差し出した。
トンレサップ湖にいたっては手配したエンジンボートに無理やり手漕ぎボート乗り場に連れていかれ、放置されそうになる。

「けんちゃん!絶対にそのボートのロープ握って逃すな!」

波止場でけんちゃんは逃げようとするエンジンボートのロープを握り、僕は迫りくる手漕ぎボートのスタッフを追い払う。
みんなでエンジンボートの船頭を丸め込み船をジャックして沖に出てやった。

そこで僕らは満点の星空と共にジャングルに落ちる雷鳴の柱列を見る。

こんなクエスト報酬はなかなか手に入らない。

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2日目のプレアビヒア行きには大学一年生の男の子が一人加わった。
彼の名はナオヤ。このあと僕とベトナムを一緒に旅をすることになった奴だ。

「ナオ君てさ。まだ18やん。大学生とはいえ親何も言わんかった?」
「うち親もバックパッカーみたいなことしてたんすよ。」

サラブレッドだな。今はバックパッカーを親に持つ二世パッカーがいることに驚かされる。

「だから小さい時から憧れだったんすよ。18になったら一人で出ていいって言われてたので。」

彼は大学一年の夏、ついに一人で世界を見る機会を得たのだった。

「まじか。すげーな。」

実に色々なプレーヤーがいる。
彼はゲーム的に表現するならスキル継承を受けた格闘家だった。
どうして格闘家かというと旅費をフィットネスジムでバイトして作ってきたからだ。

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トータル5日ほどをシェムリアップで過ごしたあと僕とナオ君は首都プノンペンに移った。
首都は観光都市シェムリアップと違ってビルが立ち並び経済発展の匂いが立ち込める都会だった。
僕らがこの首都にやってきたのは「キリングフィールド」などのポルポト政権での惨劇の資料を見るためだった。

また僕にはさらに首都の経済的な発展を肌で感じたいという思いがあった。
それまで読んでいた電子書籍の内容も確かめたいし、それとは別に気になっていたことがあったのだ。
実はこれまでマレーシアとラオスで僕は東南アジア諸国の発展模様に触れる風景を見ていた。
クアランプールの国立博物館を訪れた時、中国の一路一帯構想の横断幕を持った訪問団のグループと一緒になった。

一路一帯構想は中国とヨーロッパを繋ぐものだと思っていたが、シンガポールを目指すルートも検討されていることをこの時知った。

この時は駆け出しの僕は中国人ギルドの一団に囲まれていたのだ。
まぁあちらは本当の商業集団だったのだが。

しかし東南アジアの鉄道網にはミッシングリンクがある。
タイと中国は繋がっていない。ベトナムからも鉄道は繋がっていない。

このリンクを繋ぐために今、ラオス国内をタイに向けて縦断する鉄道が中国によって建築されている。この鉄道がルアンパバーンの近郊を通過する予定になっており、トンネルと鉄道橋がルアンパバーンの北部で着々と建設されていた。

このカンボジアにもそれに似た景色があるように思っていたし、読んでいた本にもそれらしいことが書かれていた。

「あの高いビルも中国が建ててんだ。」

キリングフィールドに向かう道中で僕らのガイドをしてくれたトゥクトゥクのドライバーはシェムリアップにはなかった見上げるような高さのビルを次々に指差す。

「あっちのビルもそうだ」

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彼は僕らが泊まった宿専属のトゥクトゥク運転手でリチャードという青年だった。
大学に通う学費を作るためにガイドをしているとのことで、この仕事なら英語も勉強できるしお金ももらえるので一石二鳥だと言っていた。

彼こそプノンペンを案内してくれたNPCであり、僕らを助けてくれた人物である。

ナオ君と二人で彼のトゥクトゥクに乗ってキリングフィールドに向かう道すがら彼は建物の説明や現地の話を聞かせてくれる。

そんな中、ナオ君が彼の示した建物をスマホのカメラで写そうとするとリチャードが静止した。

「スマホをしまって!」

その時は二人とも彼がなぜそんなことを言っているのかわからなかったが、一日のツアーを終えて彼とホテルの共有スペースで話していた時理由を教えて開くれた。

「実は今日は何度か危ない時があったんだ」

「どういうこと?」

「プノンペンにはまだまだ危険な路地や危ない場所がたくさんあるんだ。」

都会化している一方で発展に追いついていない部分や人の業というか吹き溜まりのような場所があるらしい。
彼がスマホを隠すように言った時は危険地域や近くに怪しい人物がいた時だったという。

「バイクに乗って追いかけてきて、景色を撮るためにスマホを出した瞬間に後ろから近づいて奪っていく強盗がいるんだ。」

トゥクトゥクでは逃げる犯人を追いかけられない。彼が言うには途中から一時バイクがついて来ていた時があったそうだ。

「そんなの僕らにはわからないよ。」

NPCがいることで僕らは危険なクエストをクリアできていたのだ。
僕もまだまだ旅に慣れている訳でもなかったし、ナオ君も初めての一人海外だ。
僕らは意外と危険と隣り合わせだったらしい。
もしも自分たち二人で自力でキリングフィールドを目指していたらどうなっただろうか。

「じゃあこの後も気をつけて行動しないとね。」

「でも一つだけ見分ける方法があるんだ。」

彼は続ける。

「指の本数を見るといい。」
「指?」

嘘か誠か、彼がいうにはプノンペンの犯罪者の中には隣国ベトナムで罪を犯して刑期を終えてた後、密入国してカンボジアで犯罪に再度手を染めるケースが結構あるらしい。

そしてベトナムでは重罪の前科持ちは出所時に片手の小指と薬指を切断するらしい。これが元・犯罪者の証となるとのことだ。

「片手の指が二本ない奴を見かけたら気を付けるんだよ。」

その他にも彼は市内で近づかない方がいい場所や、夜は危険になる通りなどを地図で丁寧に教えてくれた。

その後僕らは二日ほどプノンペンに滞在するのだが、リチャードの教えを守りながらローカルのバザールなどを巡った。
結局、指のないヤバい奴にはエンカウントしなかったがカンボジアを離れる最後の夜にリチャードの言っていたことの片鱗を目にした。

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リチャードに見送られながら夜行の国際バスでベトナムに経つために僕らは宿の近くにあったバスターミナルに向かった。
大通り沿いに小さな待合所があるだけの作りでここのどこにバスが止まれるのかと思っているとやっぱり時間になってもバスが来ない。

たまらずチケットブースのスタッフに尋ねるとバスは別のターミナルあり、このターミナルから乗る乗客が集まり次第トラックでバスのあるターミナルまで移動するとのことだった。

今は運搬用のトラックが遅れているので待ってくれと言われる。
1時間ほどして予定のトラックがやってくると次々と乗客を乗せてトラックは走り出す。

もう深夜1時が近づいていて、まるで今から戦地へ護送されるような雰囲気だった。
移動クエストなんて簡単なものだと思っていたが予定通りではない。
トラックは荷台に人々を押し込み街灯の消えたプノンペンの街を走り出す。
夜の街はまるでシャムリアップと違う。
立ち並ぶビルや建物のはざまは暗く深い。それでもクラクションだけは鳴り止まなかったが本当に警告を発しているように聞こえる。

トラックはリチャードが夜は絶対に近づいてはいけないと言っていた通りに差し掛かる。

そこで彼の言葉の意味を理解した。

この通りだけこんな夜更けに何人も人がいる。
明らかに売春目的の女性が一定の間隔で立っているし、そんな中に幾人かの男の集団が駐車車両の横や路上に輪になって屯ろしている。

どう見ても雰囲気がおかしい。

こんな光景はシャムリアップでは目にしなかった。リチャードが教えてくれたことはこのことだったのかと理解した。

そしてこのトラックこそ安全にこの地域を抜けられるゲームでいうところのファストトラベル機能だったのだ。

あそこにいる奴らは今の僕らのレベルではエンカウントしてはまずいモンスターたちだ。

夜の闇の中、トラックは僕らを安全に護送する。

ちなみにこのバスもまたとんでもないバスでもちろんトラブルになってしまうのだがそれは次回。

バックパックを背負った旅人はこうしてプレーヤーとしてレベルを上げていき、持ち前のスキルに磨きをかけながら新たな知識と仲間に出会いながら旅を続ける。まだこれは旅の前半。

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