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クソみたいな投資哲学

投資。
私は、まだほとんどしたことがない。

なんだから、えらそうなおっさんがマウント顕示欲を満たすための手段として使うそんな言葉かもしれない。

投資をしている自分はかっこいい。そう思っているのかもしれない。

投資という言葉にはプレッシャーがある。
タダでお金をあげる代わりに、リターンをくれ。
もはやタダではない。このタダみせて、リターンを求める。これが投資だと思う。

投資という言葉を聞くようになったのは、高校生ぐらいだろうか。

私の父は、投資という言葉をよく使う。マンション投資、不動産投資、証券投資。

その中で私は、中学生の時に成績が悪く私立の高校に行きそうになっていた。なんとか避けたく、勉強教材を買いに本屋に行ったのだが、その時に親に「お前がいつかビックになるように投資をしているんだからな」と言われた。

なんだか、その時感じたなぞの将来へのプレッシャーと期待があることの意味を理解しきれず、投資という言葉に?がついたそんな瞬間だったと思う。

そこから、いくつか投資という言葉を自分の中でも反芻するようになった。

そして勉強していく中で、投資とは株主への報いの義務が発生することを学んだ。
それ以来、なぜか自分の生きる判断軸に、株主である親の期待を重視するようになってしまった。

考えてみたら当たり前かもしれない。
食べ物も家も、学校も行かせてもらって、今こうして自由な発想をもらっている。
間違いなく投資のおかげであると感じている。
だが、同時に自分自身が人間として何をなしたいか・・
これがふとわからなくなることもある。

ただ、最近わかってきたこともある。
まずは、健康で毎日元気に暮らすこと。そして、定期的に親に顔を出し近況を面白く報告すること。
これが一番の株主へのリターンである。そうかってに解釈をするようになった。

そうなった時に、自分が進むべき道は、しっかりと報告ができる体制をつくること。そして、面白い人生を生きること。そう今は結論づけたい。

話は変わるが、親へのリターンはわかったが、
投資対象として一番難しいのが、結婚であると考えている。

結婚を投資と考える地点で、この世の女性の3分の2は結婚対象として除外されそうだが、私は結婚は重要な投資であり最も難しいものであると考える。

男という生き物は女性の前では冷静な判断ができなくなる。
本来あるロジックを崩壊させ、目先の利益に走る時がある。
それは、過去の歴史を紐解いてみても同じ現象が起きているし、今日もこの地球上でのその現場は生まれているのだろう。

結婚は、財産は半分にしてしまう。そして、その人と生活を共にするケースが多い。
生活における思考や行動も常に相手がどう動くかで私の人生における支配率は向上していく。
人は変わりたい時、人と環境を変えるのがいいと言われている。それくらい人と環境は重要である。
その人とこれだけの近距離で生活をするとなると、影響度は計り知れない。

だからこそ、どの人と一緒にいるかは自分の人生を決めるぐらい重要な要因であると感じる。

私は、明確な基準がある。
そこには、常にポジティブで、自分の限界を突破して前向きな人で自分にないものを持っているセンスを感じる人。そして誠実な人間。
その人に私は投資をしたい。

それは、これから関わる異性に関わらず全てのひとに対して。


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