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高校時代の体罰教師と「今の体罰」そして心理学の体罰、不要論

言葉には 只 「言うこと」と
目的意識があって 「その人に向けて 適切に放たれた言葉」とは
全く違う物になる。

これを 体罰と言う形に置き換えて
・暴力による 圧力で 人に伝える
・体罰という形の 身体的なプレッシャー

この違いは 全然違う。

これらの圧力、迫力、プレッシャーは
暴力でも
体罰でも
どちらでも 起こりえる話で
ハラスメントになれば 嫌がることは 身体的でなくとも起こる。
罪か
罰か

状況が 分からないまでも 起きている。正義か悪か 

体罰論で 擁護するとか 
そんな話では無い!ハッキリ言えば それがどちらか?分からない事が多い
だから 
体罰は 極力しない!教師、コーチ、教育者で有るべきだ。

もちろん暴力なんて もってのほかである。

私が学生だった頃にいた先生で

数学教師の1年生に対する、教育的指導
事件
(事件は生徒の中での話)

入学式、一年生、高校生と言う年頃
この時期は もっぱら 何か格好を気にする年頃であって
服装を 少しでも 人と違う容姿にしたい! 丈を変えたい?

など思って こそこそ 変えたりしてしまう。
そこで
常に 一学期は 目を光らせる教師がいる。

・舐められたくない教師
・一番大事な時期に 校則を徹底させたい気持ち
これらは ビンビン伝わってくる。

で オシャレな生徒の服装チェックをする数学教師が 
生徒に「これ 校則の服装と違うんじゃないか?」という
厳密に アウト要素があるのは知っていたので
(;・∀・)「これは 見つかったな!」的、雰囲気

数回 押し問答の末

(;゚Д゚)バッチコ~~~~ん!!!!

数学教師の平手打ちが 生徒に
しかも
振り向きざまの ちょい不意打ちの体罰であった。

体格的に 細く弱弱しい感じであったので
すこし狂気を感じた、 体育教師の恐ろしい風格ではなく
人格的にサイコパス的な「俺を怒らせたら怖いからな」を 表現するための
生徒への体罰による、見せしめにも思えた。

この事件から おおよそ生徒の中で
器量の小さい、すぐに切れる教師という見方で 見られることになる。
これは 体罰ではなく「暴力」である。

体罰というのが 何を指すのか
そこは 考えなければならないが「怪我にならない程度の拳骨を頭に打つ」
その程度を これを「手を上げる」としたなら
器量が あまりにも無い(これくらい 許しても良かろう)

それに とことん増長する人の態度があったとして
何で止めるのか? 手立てがない場合 どのように対処するのか?
体罰的 制圧の行使など 絶対に言葉だけでは止まらない状況を打開する案

全てが 悪なのか?

その状況に置かれた人には救済措置はないのか?
何かが無ければ 体罰の考え方も 一向に進まない。

そして この事で少し 疑問に思ったことがあった。
メンタリストのDAIGOさんが 動画で話をしているのだが
それは あまりにも 大した事とは思えない論理であって なるほどとは
思えない内容である。

どっちも 極論な話で
スポーツに危険性はあるし 野球はボールが当たれば死ぬ恐れもある。
スポーツであるし 肉体も酷使するスポーツである。
それに 肉体を作るには作り変えるという スクラップ&ビルドとなる。
壊して、回復を繰り返す事も 必要な事である。

だから 全部をバッサリと 切り捨てる論法は全くの論外である。
そして
体罰という日本的な部分の 教育の在り方も
そこには「暴力ではない教え」があって 
そして「今では教師の質が劣っているので出来ないと思う」事である。

論理は WHOの調査と結果の論文を持ってきて話している。
つまり その論文が絶対的な話の筋道であって
そこで 体罰論を言っている。

それは 暴力の話であって体罰の話と 同じ 土俵で話をすると
全く違う事になる。
国の調査は 体罰で調査しているのか?疑問点は拭えない。
体罰をする行為は なかなか高度なモノである。

気持ちの高ぶりを押さえられず 自分勝手な怒りを相手に向ける
それに伴った身体的虐待、苦痛は 体罰ではない!
でも
恐らくは 他国の調査は 大半は「暴力的な体罰と主張するもの」と
思う。そこに明らかな違いがあったとしても
それで 犯罪率がかなり違っていたとしても

日本の犯罪の率と比べて 全体的にどうなのでしょうか?
特に 日本は銃刀法など 危険な犯罪も他国とは違うので 厳密、正確な
調査として 話を出来ているのか?

話が深掘り出来ていないんじゃないの?と 疑いの目で納得できない動画で
あった!

すこし そういう感じでいる人がいたので 記事にした。
早口で、捲し立てるのは 詐欺師も同じ手口
別に DAIGOさんが 詐欺師と言っている訳では無い
心理学のテクニックに 伴った会話術を使っているから当然である。

逆に それが 出過ぎているので 気持ちが離れる人もいるはず。

理論などを 引用して話の筋道を立てる行為、方法を使っている事を記事に
している方もいた。この分かりやすくも 功罪があり
不確かな理論が一般的になる事が 大いにある。

私が 水泳の事で説明するなら
その昔は S字の腕の掻きの動作が 高度な泳ぎの代表格であった。
それも そこそこ最近まで 当たり前に泳ぐときの動きにあった。

(;゚Д゚)ば 馬鹿なの?
そんなの 意味のない動作なのに!!!!!
無駄な技術論が なぜか?広まった。 それが「情報を分かりやすく」が
先行した所為(せい)である。

え (;・∀・)結局何が言いたいのか?
DAIGOさんって人も 心理学を使ってテレビなどのパフォーマンスは
メンタリストとして 素晴らしいですけど
こと 人の心理を掴んで人生に役に立つ事を動画内で教えてくれているのかとなると 
疑問符がついて 全然魅力的では無いという事である。

DAIGOさんは 幼少時代 イジメに合った事と 
それから変わった出来事によって 心理学などに目覚めたと
カジサックチャンネルで 話していた。

イジメから脱却の転機になったのが
本気で 敵意を相手に向けて 放った事、物を投げた行為で
相手に 対する本気度が伝わって 「ヤバいやつ」と認識させ
それ以降は ちょっかいを受けなくなっていったらしい。

しかし
若干のコミュニケーション能力が 無い事で
人に対する何かが すこし欠如しているかもしれない(これは想像)
小学低学年から中2まで 友達がいなかったらしい

なぜ 一人もいなかったのか?
イジメは いけないけど 何かがあるのだと思う。

おすすめはしないけど・・・と言っています。
鉈を投げようとして 失敗したらしい。
殺意は飛んだので いじめは無くなった。

人の気持ちが分からないと言う自分自身の 性格は完全に 治った訳では
無く。心理学で補完されたというべきでしょう。
それが 滲み出ていたのが スポーツ、体罰の動画です。

行動の分析も 数字とアナリティクスなどで 見ているらしいから
人の心の有り様を デジタルな視点で見ている。

それは 良い事もあるから 人が知りたい、勉強したいという事で
集まっている。それは 凄いですが
それが 池上彰のように なってしまわぬようにしてほしい。

殺意で相手が いじめをしなくなって変わった。
つまり
相手に それほどの衝動を与えるのが 体罰に近い行いで
それは 人に乱発するような事ではない。

そうした迫力で 向き合う時に「人は影響を受ける」のです。
出来ない人ほど
暴力というモノで 自分を大きく見せる。威嚇行為で行動する。
これは 何度も言うが教育でも 体罰でもない。

自分が した行いで変わったことと
只の 論文の理論だけで 体罰は~~~~と話をするのでは全く 話が違う
全然 話が 進んでなくて 「一方的な語り」それでは納得は出来ません。

体罰と暴力は違う!

しかし 体罰は極力しないで

教師の教える技術で分からせてほしい。

昔の状況、体罰 
今の状況と体罰の風当たりと 教育現場の教師のスキル

プレッシャーが相当違うのに これ以上 体罰を事細かく攻め立てるのは
酷過ぎる!
昔が あまりに「雑過ぎた」のと比べて
今は 切実で 繊細な環境は 考えものだ!

読んでいただきありがとうございました。 また 読んでいただければ 幸いです。 サポートの御代は 今後何かを 製作する時に使います。