仏教に学ぶ生き方、考え方「八月六日」
今日は八月六日です。
今日は「平和」というものを考える人々にとって大切な一日です。
人類史上初めて、広島に「原子爆弾」が落とされた日です。
昭和二十年八月六日午前八時十五分、広島に一発の原子爆弾が投下され、多くの人が命を落としたのです。
以前にもお伝えしたかもしれませんが、先代である私の父親は、ちょうどその時に広島の近くの「呉」というところにおりました。
まだ十六歳だった父は、昭和二十年の春に「学徒動員」で徴兵されました。
そしてその「初任地」が呉だったのです。
呉には重要な軍港があり、そこには「戦艦大和」を始めとする主要な軍艦が停泊しておりました。
当然軍事的に重要な拠点である呉はアメリカ軍の「攻撃目標」になり、多くのアメリカ軍機が飛来したそうです。
呉の地形は山あいの中に「湾港」があります。
なので近くの山の頂には、アメリカ軍機を迎え撃つ「射撃台」があり、そこに麓から「弾薬」を運ぶ仕事をさせられていたそうです。
重い弾薬を背負って山を登る。
これを朝、昼、午後の一日三回、そして夕方〜夜にもう一度運ぶと「すいとん」の夜食が特別に食べさせてもらえたので、それを目当てに一日四回運んだそうです。
八月六日の朝、いつものように弾薬を運んでいると、ものすごい閃光とともに背中が熱くなるのを感じ、全員でその場に伏せ、目と耳を防ぐ「防御姿勢」を取りました。
でもそれから何も起こりません。しばらくしてから立ち上がって広島のほうを見ると大きな「火だるま」がみるみる膨らんで、キノコ雲が空高くそびえ立つのが見えたそうです。
当時はそれが何かを知る術もなく、しばらくしてから「新型爆弾」が落ちたらしいということを人づてに聞きました。
程なく終戦を迎え、しばらくすることもなく後片付けをしたりしていましたが、夏も終わりになる頃、「復員切符」(戦地から家に帰るための無料切符)をもらって呉から広島を通り帰ってきたそうです。
その時に広島の駅から一面何もない荒野が広がっており、その様子に「愕然」としたそうです。
私は子どもの頃から、幾度となくこの話を聞かされました。
そして帰路での広島の風景を話し始めると決まって言葉が詰まり、目には「涙をためて」いた姿を思い出します。
子ども心に戦争は被害を受けた人のみならず、多くの人の心に悲しみを「刻み込む」のだと感じておりました。
先日「沖縄戦」で戦ったアメリカ軍兵士の息子さんが、テレビで生前の父親の様子を語っておりました。
沖縄戦で多くの日本人と戦ったそのアメリカ軍兵士は、凱旋をし「英雄」として迎え入れられます。
でもそれからの生活の中で度々、何時間も「泣き続ける」ことがあったそうです。
ふとした何気ないときに泣き始め、泣き始めるととめどなく涙が溢れて「数時間」泣き続けたそうです。
きっと戦闘のときは押し殺していた「人間本来の感情」があらわになってきたのでしょう。
それは亡くなるまで続いたと語っておられました。
つまり戦争はその勝敗に関係なく、苦しみや悲しみを「持ち続けながら」生きる人を多く生み出すのです。
そしてそれはいつまでも消えることがない。
それが戦争の「恐ろしさ」なのだと改めて感じました。
仏教の戒律の中に「不殺生戒」があります。
これは「むやみに殺生をしてはいけませんよ」という教えです。
それは「戒め」というより、むしろ多くの悲しみや苦しみを背負わないようにするための「お守り」なのではないかと感じております。
☆今日の一句☆
夏の空
戦の壊すは
人心(ひとごころ)
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