本気モードを出し惜しみしている貴方へ
やあ、まさぽんやで。
(普段は英会話の伝道師)
今回の記事は、いつもと少しテイストを変えて、「今の自分に対する説教」を書いてみようと思う。
つまり、今からここに書くことは全て "自分に向けた" メッセージ。
自分の今の課題などを深く掘り下げて、さらなる進化を果たすためにどうすべきかを自問自答した上で鼓舞していくので、noteの読者の方々に共感を頂けるかは微妙かもしれない・・・。
本気でやらないと成長できない
ということは、わかっているんだ。
やるからには「本気の覚悟」を持って動かない限り、永遠に成長はしないし、目標なんて到底達成できないってことを。
今は確かに、毎日 "熱心に" 活動をしている。
しかし、その熱心さは見せかけで、実は毎日、同じことの繰り返しだ。
英語に取り組む傍らで、こうしてnoteを更新したり、本を読んで新たな知識を取り入れたり、過去に作った講座をリニューアルしたり、自分の生徒さんをサポートしたり、気分転換を兼ねてアウトドア活動をしたり・・・。
そんなこんなで時間は過ぎ去り、また新しい日がやって来る。
自分が自分の人生の舵を握り、進みたい方向に進むというより、何か強制的なものに突き動かされ、しぶしぶ1日を過ごしているような感覚。
工場内のベルトコンベアから、組み立てるべきパーツが次々に流れてくるのように、日々のタスクを処理することだけに思考が向かっている。
「それなりに」上手くやっている気はするけど、本来そこにあるべき情熱とか野心とか充実感とか、何かが大きく欠けてしまっているのだ。
実際、思考がクリアな状態で行動しているのは「ほんの一瞬」だけで、後の時間のほとんどは、思考停止モードでロボットのように動いているだけ。
ほとんどの人はそうじゃないか、といった免罪符を心の建前に持ってくることで、かつて自分が望んでいた理想や繊細な感覚は、心の奥にしまい込む。
ただただ目の前のタスクを処理し続けるだけ。
そんな日常に、気付いたら自分が陥っている。
10年前に想像した今の自分の姿は、本来ならもっと充実感を伴って日々を過ごしているはずなのに、それを達成できていない今の自分を、どこか他人事として、非現実的なものに感じてしまう。
それでも業績は伸びるかもしれないが、果たして自分自身、これで「成長」を果たしているのかといったら、甚だ疑問が残る。
確かに、過去の自分を否定することで、人は今の自分を肯定できる。
しかし、仮にそうしたところで、過去の自分はもうここにはいない・・・。
過去と現在の自分自身を、単純に比較することなんてできないのに、それを “成長” などと呼んでしまっても良いのだろうか。
ぼくは甚だ疑問である。
本気を出すからこそ、人は成長できる。
ならば、本気とは一体何を指すのか。
分かっているのにやめられない「先延ばし癖」
1日の終わりにその日の行動を振り返る時、毎回のように「その日のうちに出来なかった事」がぼくの脳内にリストアップされる。
記事を書こうと思っていたけど、リサーチだけで終わってしまった。
都内のイベントに参加しようと思ったけど、朝寝坊で行く気が失せた。
英検の過去問を解こうとしたけど、他の用事に追いやられた。
今日できなかったことは明日へ。
明日もできなかったことは明後日へ。
そうして「やろうと思っているのにできないこと」ばかりがどんどん膨れ上がり、読むべき本は積読で部屋の中を覆い尽くし、以前に購入した教材は「1日目」からまったく先に進んでいない。。
作業がひと段落する度にメールをチェックし、チャンネル登録したYouTubeの更新情報をチェックし、SNSのタイムラインに目を通す・・・。
毎日、新しい情報が更新されるのに、
なぜか新鮮味を感じないのはなぜだろう。
それは自分が、毎日のように同じことをしているからではないだろうか。
日常が惰性にまみれると、人間は自分の心の中を深く見つめなくなる。
自分の心を見なければ、当然、他者の心の中も見えるはずがない。
本来、今すぐに取り掛かるべきことが先延ばしにされると、「後でやるべきこと」として次々とタスクが積み上げられ、ぼくの心のベルトコンベアを埋め尽くし、思考や感性が入り込む余地を奪っていく。
「やることはやっている」を免罪符にして、今日もぼくは1日を終えた。
気付けばもう、22時を過ぎているのだ。
「とりあえず」で動くの、やめたら?
思考停止モードで進んで虚しくなるくらいなら、立ち止まって今の自分を振り返り、これまで進んできた距離に想いを馳せる方がいい。
だが「とりあえず」で行動するのは、決して悪いことばかりではない。
やらないよりはやった方がマシなことが、世の中にいくらでもあるから。
たとえばぼくは今、noteで「とりあえず100記事」を目指して更新を続けているけど、実際に100記事を達成するまでは、ただがむしゃらに文章を書き続けることだろう。
テーマなんて何でもいいのだ。
自分が日々感じたことで、
かつ、他の誰かの役に立つこと。
その最大公約数でさえあれば、何でも。
数を増やすということは、ただそれだけで力になる。
そのプロセスで得られる宝物はきっと目に見えないけれど、自分の内部の “何か得体の知れないもの” を大きく向上させてくれるに違いない。
だが、
そんな風に「とりあえず」で動いた先に、何か素晴らしいものが待ち受けていることは「ほとんどない」ことも、ぼくは過去の経験から知っている。
なぜなら未来とは、現在の延長線上にあるからである。
未来を素晴らしいものにしたければ、今この瞬間を「素晴らしいもの」で満たしていかなければならない。
自分以外の「誰か」や「何か」に依存し、それらが自分の未来を素敵なものに変えてくれるだなんて、一切期待しない方が良いのだ。
自分が本気を出し惜しみせず、本気で考え、本気で行動し、本気で勉強をするからこそ、世界も本気でその本来の豊かさを教えてくれるのだ、と思う。
まとめ
今日はたまたま、何を書いたらいいかが思い浮かばなかったんで、今の自分の状況を整理する目的で、こんな記事を書いてみたよ。
自分がやるべきことは既に分かっているし、実際にやることはやっているけれど、なぜだかそこに身が入らない時がある。
「このまま道をまっすぐに進めば、目的地に辿り着く」
そんな単純な法則ですら、疑ってかかりたくなる時がある。
いずれにせよぼくらは、前に進むことしかできないのだと思う。
過去にはもう戻れないのだから。
たとえそれが輝かしく思えても・・・。
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