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失敗【エッセイ】六〇〇字

 早大エクステンション「エッセイ教室」夏講座(全六課題)、三回目の課題は、「失敗」。
 失敗の想い出を語り始めたら、自慢じゃないがひと晩二晩で終わらない。しかし敢えてというならやはり、子供のころ夢中だった野球の話だろうか。北海道・滝川高校での、あの失敗がなければ、いまごろ東京ドームの一塁側ベンチの監督チェアに座っていただろう…💦^^ 
(TOP画像は、母校が2022年秋季北海道高校野球(全道大会)に33年ぶりに出場を決め、応援スタンドに駆け出すシーン。なぜか早稲田カラーのユニフォームなのだ)
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 「お前の責任じゃない。あした勝てばいいじゃないか」。校庭横の畦道を泣きベソかいて歩いているSを見つけ、私は、そう言った。
 六〇年前。我々は、全道中学野球大会を目指していた。出場するには、周辺校総当りの予選と、地区大会を勝ち抜く必要がある。
 私はキャプテン、エースで四番。Sは、センターで二番。あと一勝で、全勝で地区大会出場だったのだが。負けて、翌日の決定戦に。Sは、全勝で決める試合で、無安打。さらに決定的なエラーをして、落ち込んでいたのだ。
 しかし決定戦では、Sは二安打を打ち、地区大会出場を決める。全道大会は叶わなかったが、中学時代の最高の想い出になっている。
 Sと私は、同じ高校の野球部に。Sよりも先にレギュラー候補になり、猛練習。しかし、体力が急激に落ち始める。さらに、小三から野球を教えてくれていた父が観戦している目の前で、凡フライをエラーしてしまい、父から「三行半」。一年の途中で、退部することに。体力激減の原因だったのだろうか、二年の年末に、結核が見つかり、半年間、入院。留年…。
 入院中の六月。母校は、甲子園を決める北北海道大会予選の、決勝に勝ち進んでいた。Sは、キャプテンで四番。最終回、彼の逆転ホームランで、十年ぶりの大会出場を決めた。
 ラジオから校歌が流れるなか、影法師が二本、畦道に伸びていた。

(後記)
Sはその後、社会人野球の札幌日産に進み、活躍する。

(おまけ)
8月は、「戦争と平和」をテーマに考えたい。その前に、新聞コラムを二本。

戦争のタネも植えられていたとも言えるのではないだろうか。
日本は、どう? いま。 タネまいていない?

この部分に朝日新聞朝刊(2024年7月31日)「天声人語」の画像を入れておりましたが、朝日新聞社より著作権侵害である旨連絡があり、削除することになりました。


怖いおばちゃんが吠えるのも無理はない。広島市長さん。

東京新聞朝刊(2024年7月31日)


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